新型コロナが直撃 苦悩する地域の民間病院 密着150日 平成立石病院

  • 2020年10月8日
 

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新型コロナウイルスへの感染防止と経済活動の両立を目指し、全国でキャンペーンが繰り広げらられる中、再流行に備えて防護服の着用や消毒の研修を黙々と行う医療関係者がいます。地域の医療を支える民間病院では、新型コロナへの緊張感が依然続いているのです。緊急事態宣言直前から半年に渡り、この病院を密着取材してきたディレクターが、最前線の苦悩を振り返ります。

緊張が続く現場 コロナ専用病床は今も

10月上旬。葛飾区にある平成立石病院では何重にも閉ざされた扉の向こうで、看護師たちが防護服の着脱や消毒方法について研修を受けていた。
東京でも「Go To トラベル」が始まり1日あたりの感染者数が100人を切る日も出てきた。しかし医療の現場では、新型コロナウイルスへのさらなる対応の長期化を見据えた動きが続いている。

防護服を着る看護師

半年以上にわたって、入院患者を受け入れてきた平成立石病院。“第2波”が過ぎてからも、19床ある新型コロナ専用の病床のうち、半分以上は常に埋まった状態が続いている。これまで入院患者の対応は感染リスクを少しでも減らすため、ごく限られた看護師たちで行ってきた。しかし、看護師の疲労やインフルエンザとの同時流行も視野に入れ、新たに他の病棟から有志を募り、コロナに対応する看護師を増やすための研修を始めることになったのだ。

「現場の緊張感は何も変わっていない」

新型コロナウイルスと戦い続ける医療現場からはそんな声が聞こえてきた。

未知のウイルス 医療はどうなる?

今もなお、新型コロナウイルスとの戦いを続ける平成立石病院。私たちがこの病院に初めて撮影に訪れたのは4月6日のことだった。
この頃、東京では1日あたりの感染者数が100人を超え始め、累計は1000人を突破。マスクや消毒用アルコールの不足が叫ばれ、緊急事態宣言が出される直前のタイミングであり、社会全体が“未知のウイルス”を前に大きな不安に包まれていた。

NHKでも多くの取材チームが動き出し、いくつも緊急の番組が立ち上がっていたが、中でも関心が高まっていたのは医療現場についてだった。未だ誰も経験したことの無い事態。その最前線となっている医療現場では、いったい何が起きているのだろうか?

伝えなければいけないであろう医療現場の実情。しかし、取材に応じる医療機関はなかなか見つからない。唯一私たちの取材を受け入れてくれたのが、以前別のテーマでNHKの取材を受けた東京・葛飾区にある平成立石病院だった。下町風情の残る地域を支える全203床、中規模の救急指定病院だ。決して諸手を挙げて取材を歓迎したわけではなかっただろう。ただ、医療現場の現在を伝えてほしい、という思いから取材に応じたということだった。

平成立石病院

その週末4月10日放送の「ネタドリ!」に向けてチームが組まれ、リスク分散のために、現場の取材と放送局内での編集作業は分離されることになった。現場の対応となった私たちは小型のデジタルカメラを片手に病院へ向かった。取材をしなければという責任感そして医療現場の実情を知り伝えていきたいという思いの一方で、新型コロナウイルスの最前線となっている医療機関へ入っていくことに対して、自身が感染するのでは?あるいは自身が感染源になるのでは?服装は普通の格好でいいのだろうか?そんな不安や怖さも抱えて、初めて病院に向かった。

渋谷の放送センターから病院まで、緊急事態宣言を前に首都高はすでにガラガラになっていた。ナビよりも15分以上早く、病院へ着く。早く着きすぎて取材前の心構えもできないままであったが、そこには不思議な光景が広がっていた。

まさに総力戦~緊迫の医療現場~

病院1階の小型駐車スペースを埋め尽くすように設置されたテント。職員の男性たちが慌ただしくあたりを走り回っていた。
建てられていたテントは、PCR検査のための検体採取を病院内部と隔離して行うためのもの。災害時などに使用されることを見越して東日本大震災を機に購入したのだという。

PCR検査用の検体を採取するテント

「テントの中は危険区域、汚染区域なので絶対に入らないでください」

病院の受付に到着すると挨拶もそこそこに、早足で駐車場に案内された。取材の窓口になってくれたのは病院の“裏方”を取り仕切る永井淳一事務長。ふだんであれば違和感を覚えるであろうほどに距離をとった位置からテントについての説明を受けた。

取材の合間も絶え間なく検査などの電話に対応する永井事務長

“危険”“汚染”という言葉に、ここが新型コロナウイルスに対応する最前線なのだということを強く感じた。話を聞こうとするも、絶え間なく永井事務長の携帯電話が鳴り続けていた。検査の追加や入院の要請、その合間を縫って検査に訪れる患者の対応なども行っていく。医師や看護師だけでなく医療現場全体が非常事態のまっただ中にさらされているのだと気づかされた瞬間だった。

テントの中では防護服に身を包み、完全防備をした医師と看護師が二人でPCR検査を行っていた。不安そうな表情を浮かべながら次々に検査を受ける人がテントに入っていく。
1人1人の名前を確認、問診し、鼻の奥まで細い棒を差し込んで、検体を採取していく。そして1回検体の採取が終わるごとにテントの入り口などをすべて開けて換気し、イスや機器をアルコールで拭いて消毒する。それらを行うのはほんの限られた人数だ。
1人あたりにかかる時間は5分程度。しかし通常の診察の合間を縫って行われるため、この頃は1日に10件程度がこの病院で検体採取ができる限界だった。

当時、世間では、PCR検査の検査数拡大を求める声が多くあがっていた。しかし実際に現場を見てみると、それが容易でないことが一目瞭然であった。

私は検体を採取する様子を換気のために空けられている隙間からズーム機能を使い、できるだけ距離を取って撮影していた。医師、看護師ともにフェイスシールドとマスクをしているが、目線から見て取れる表情からは、離れていても緊張感が伝わってきた。

テントの中で検体を採取する医師と看護師

どこからも助けは来ない 来ることはできない

私はタイミングを見計らって、少し離れた場所から医師に話しかけた。この日検査を担当していたのは病院の副院長で救急科部長の大桃丈知医師。ここ数日、検査の依頼は増え続けており、若年層にも感染が広がりつつあると危機感を持っていた。

大桃医師は、国の災害派遣医療チーム・日本DMAT※にも所属しており、これまで東日本大震災や熊本地震などで最前線に立ってきた災害医療のプロである。中国・武漢からの帰国者や横浜のクルーズ船の乗客乗員などにも対応し、新型コロナについて国内でいち早く現場に入った医師の1人だ。大桃医師は、新型ウイルスとの戦いは、これまで経験した災害とは違う難しさがあると明かした。

大桃医師
「通常の災害と違うのは、ほかの地域から援軍が求められないということ、日本全域ですから。さらに全世界ですから、ほかの国からの援助も非常に受けづらい」

※日本DMAT( Disaster Medical Assistance Team )は、大規模災害や一度に多くの傷病者が発生した事故などの現場で、迅速に活動できるよう専門的な訓練を受けた医療チーム。厚生労働省により平成17年に発足。

下町を支える地域の病院がなぜ新型コロナ対応を?

平成立石病院では、このとき軽症・中等症の患者の入院を7床の完全に隔離された病室を使って対応していた。一般の病室との間にはシャッターが下ろされ、感染のリスクを減らすため、中にはごく限られた少数の医師や看護師しか入ることが出来ないようになっていた。病室に入る前のスペースには防護服着脱時の注意事項や感染症対策のルールが至る所に記されており、医療現場も手探りでこの事態に当たっていることがひしひしと伝わってくる。

医療用マスクの補給が間に合わず消毒して繰り返し使われていた

4月に入ってからは入院が相次ぎ、病床は常に満床の状態が続いていた。この日も1人が退院しベッドが空くと、すぐに永井事務長の電話に入院の要請があった。慌ただしくメモをとり、他のスタッフに指示を出す。この病院では2月からこの事態が続いているという。そしてPCR検査のための検体採取が終わり、テントを撤去するとその空いたスペースへは、すぐに、民間救急車がやってくる。救急車から降りた運転手は、防護服を身にまとっていた。続いて降りてきた男性は、他の患者と接触しないよう、裏口から隔離された病室に入っていく。

東京スカイツリーを望む下町に建つ平成立石病院。民間の救急病院である平成立石病院には感染症の専門医は1人もいない。にも関わらず、新型コロナウイルス感染者の入院、PCR検査の検体採取、救急対応を請け負っていた。

当初、東京都では感染症指定医療機関というあらかじめ指定された12の病院が、軽症から重症の患者まですべてを受け入れて対応してきた。しかし、患者が急増したため、都は一般の病院に軽症・中等症の患者を受け入れるように要請することになったのだ。
増加の一途をたどる感染者の“数”。その裏に、医療現場がおかれた想像以上に厳しい状況があった。

〝新型コロナか判断つかない〟救急外来の戸惑い

「はい、平成立石病院です。熱は何度ですか?」

年間約1万人の救急患者を受け入れている平成立石病院。その救急の現場でも、未知のウイルスに対し厳戒態勢がとられていた。私たちが取材していた日、高熱で歩けないという男性が搬送されてきた。救急車から患者を降ろす前に、医師が防護服を身につけて1人で乗り込む。PCR検査の検体採取はくしゃみが出る恐れがあるため、院内ではなく車内で行うのだ。発熱している救急患者1人1人にこの対応をとるので、通常の何倍も時間がかかっているという。

防護服を着用し救急車に乗り込む医師

医師が救急車から降りてきた。PCR検査の結果が出るまで数日かかるため、CT検査で肺の状態を確認するという。ストレッチャーに乗った患者を防護服に身を包んだ救命士たちが、他の患者や職員と距離をとりながら検査室まで運ぶ。その後を消毒液を持った救命士が追いかけ、ストレッチャーが通った廊下やエレベーターを全て念入りに拭き上げていた。

CT検査の結果、この患者の肺には肺炎の影があった。しかし、新型コロナウイルスに特徴的な肺炎像とは少し違うため、断定は難しいという。

注意深くCT画像を見る大桃医師

大桃医師
「新型コロナウイルスの肺炎の場合、左右の肺にすりガラスのような影が見えます。この方の場合は肺炎であることは間違いないけれど、新型コロナかというと“限りなくグレー”。この場合、対応が難しくなります」

大桃医師は、急いで院内の個室が空いているか調べ始めた。新型コロナ“疑い患者”は、PCR検査の結果が出るまでのあいだ、「一般患者の病床」にも「感染者用の病床」にも入れることができない。この日は、幸い1部屋だけ個室が空いていたため、そこに入院させることができたが、これで個室は全て満室になった。

数日後、再び訪ねると、個室が満室のあいだに問題が起きていた。深夜、新たな“疑い患者”が搬送されてきたため入院できる個室がないか他の病院に電話をしたところ、45か所から受け入れを断られ、患者は自宅に帰ってもらわざるを得なかったという。

大桃医師
「受け入れる準備がまだ整っていない病院もあるでしょう。いま、新型コロナかもしれない患者さんの受け入れ先は、まず見つからない状態です」

“風評”“差別”…医療従事者の置かれた厳しい現実

「やるしかない」「誰かがやらなくちゃいけない」「覚悟はしていたので」

少しずつデジタルカメラを回しながら取材を積み重ねていく日々。新型コロナウイルスの対応にあたる看護師や医師は常に責任感を口にしていた。しかし一方で誰がコロナに対応していくのか?病院では連日のように話し合いが持たれていた。

「もしもということを考えたときに、小さなお子さんが自宅にいるというようなスタッフには、なかなか無理にということは、お願いができない」(大澤秀一院長)

感染疑いのある人の検査や入院患者の診察や治療。平成立石病院の大澤秀一院長は、自ら率先して新型コロナウイルスに相対していた。

大澤秀一院長

泌尿器科医としての通常の外来や手術はもちろん、院長業務と並行しながら臨む新型コロナウイルスへの対応。その中で、大澤院長はスタッフを取り巻く環境に頭を悩ませていた。この頃、各地で新型コロナに対応している医療従事者への“差別”や病院への“風評”が報じられていたのだ。

未だ全容のつかめないウイルスを前に広がり続ける不安。取材をしていても患者同士が「ここはコロナを診ているらしい」「怖い」「うつるかも」などと話している姿を頻繁に目にした。
平成立石病院でも、新型コロナウイルスに対応していることを家族に言えないでいるスタッフが少なくなかった。

「放送ではスタッフの顔や名前は出ないようにしてほしい」(大澤院長)

地域を支える病院として決して間違ったことはしていない、という思いを抱えつつも、大澤院長は新型コロナウイルスに対応していることによってスタッフが風評や差別にさらされるのではないかと懸念していた。

私たちはカメラを回しながら、なぜ最前線で戦う医療従事者がこんな思いを抱えなければいけないのか?そうした疑問や怒りを感じながら、一方で、番組を放送することで、病院へ苦情などがきてしまったら…そんな不安も抱えながら取材を続け、金曜日の放送を迎えた。


番組の放送後に病院を訪ねると、激励の手紙や支援物資が届いていた。それを見て私たち取材陣も慌ただしい1週間を終えほっと一息つくことが出来た。しかし病院をとりまく環境が好転したわけではない。平成立石病院で取材を始めた翌日の4月7日には、東京をはじめとした各地に緊急事態宣言が出された。感染はさらに拡大し、病院でも検査の依頼や入院の要請が増え続けた。状況は逼迫の度合いを強めていったのだ。
それでもこのとき私たちは、半年以上にわたって病院を取材することになるとは、予想していなかった。

  • 後田麟太郎

    首都圏局

    後田麟太郎

    2015年入局。松山局を経て2019年から首都圏局。 これまで医療や介護・貧困に関心を持ち取材。

  • 村山世奈

    首都圏局

    村山世奈

    2015年入局。沖縄局で戦争や米軍基地問題を取材し、2019年から首都圏局で災害や新型コロナを取材。

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