WEBリポート
  1. NHK
  2. ちかさとナビ
  3. WEBリポート
  4. さよなら新宿メトロ食堂街 (2) タカノフルーツパーラー ~フルーツパフェに見る半世紀~

さよなら新宿メトロ食堂街 (2) タカノフルーツパーラー ~フルーツパフェに見る半世紀~

  • 2020年9月30日

昭和から令和にかけての半世紀、食堂街の老舗から見ると、どんな時代だったのでしょうか。
54年の歴史に幕を下ろした新宿西口の「メトロ食堂街」。多くの店が軒を連ねた食堂街の一角に、開館当初から店を構えるフルーツパーラーがありました。高度成長期から現在へ。パーラーの歩みから見つめました。
(首都圏局/カメラマン 田元俊之)

半世紀前 珍しかった“エキナカ”

JRの西口改札と東京メトロ丸ノ内線をつなぐ通路の上のフロアにあった「メトロ食堂街」。白と黒を基調にした内装の店が「タカノフルーツパーラー 新宿地下鉄ビル店」です。
地元・新宿に本店があり、メトロ食堂街が開館した54年前から店を構えるこの店は、今回の閉店をどう受け止めているのか。取材を申し込むことにしました。

営業時間前に話を聞いたのは、森山登美男さん(63)。今は、本店で商品開発に携わっていますが、開店当初のことを知っている数少ない社員の1人です。森山さんが入社したのは昭和53年。この「新宿地下鉄ビル店」が最初に担当した店だったそうです。当時の店の様子について質問すると、懐かしそうにこう振り返りました。

森山登美男さん

「当時は、この店に来ること自体が“おしゃれ”という感じでした。今は駅の中にお店があるのは当たり前ですが、当時はデパートに行かないと食べるところがなかったんです。駅のすぐ近くで、座って食べたり飲んだりできる、しかもフルーツを食べられる店も少なかったので、本当に毎日忙しかったです」

パフェ1つを1分で 5本のグラスを片手に持って

開店当初 新宿高野 社史より

当時、最先端だった“エキナカ”のパーラー。看板メニューは、フルーツパフェです。
平日も行列ができるほど人気で、社史に残っている開店当初の写真からは店内がにぎわっている様子がうかがえます。
当時の繁盛ぶりがわかるエピソードを、森山さんが教えてくれました。

「毎日行列が絶えなくて、時間がないお客さんもいたので、パフェ用のグラスを指の間に4本、そして手のひらに1本、一度に5本のグラスを片手に持って、ソフトクリームを入れていました。それからフルーツを盛り付けて、1つ作るのに1分かからないくらいのスピードでやらないと間に合わないくらいお客さんが来ていました」

パフェを見れば時代がわかる!?

森山さんが当時作っていたのは、どんなパフェだったのか。会社に残っているメニューブックを見せてもらいました。一番古いのは、昭和40年代後半のものです。グラスに入っているのはほとんどがソフトクリームで、その上にフルーツが少し載っています。今のフルーツパフェとはだいぶイメージが違いました。森山さんは、時代とともにフルーツパフェも変わっていったと話しました。

(左:昭和40年代後半 右:昭和50年代中頃)

森山登美男さん
「見比べるとわかりますが、だんだんフルーツを使う量が多くなっていくんです。この中で一番昔のパフェは、バナナ、ぶどう、メロンくらい。その後、フルーツの切り方やデザインも変わります。そしていちごを入れたり、色みをつけてカラフルになっていったりしました」

森山さんによりますと、当時はフルーツといえばバナナやりんご、みかんが一般的でした。昭和の終わりにかけて、グレープフルーツやキウイフルーツなどが海外から入ってくるようになったほか、国内のりんごやみかんの品種も増えたといいます。平成に入ると国産のマンゴーや桃、いちごのそれぞれの県のブランドが人気を集めるようになり、店でも取り入れるようになったそうです。

森山登美男さん
「うちの店に来れば季節がわかるように旬のフルーツを提供してきました。そして皆さんが知らないフルーツを探す。沖縄マンゴーも最初は高くて誰も食べられませんでした。でもパフェにすれば食べられるし、おいしいとわかれば売れます。新しいフルーツをお客さんに広める役割も背負ってきたと思っています」

現在のフルーツパフェ

森山さんに話を聞いて印象的だったのは「私たちは時代を追いかけるのではなく、フルーツを追いかけるのが基本」ということばです。時代の求めに応じて商品を提供してきたと思っていましたが、実際には森山さんたちは「新しいフルーツを知ってほしい、食べてほしい」という純粋な思いでフルーツの世界を広げてきたのではと感じました。

半世紀の歴史に幕 親子で訪れる人も

開店時間の午前11時前、店の外にはすでに4人のお客さんが待っていました。この日は台風12号が近づいて雨でしたが、昼すぎには満席に。閉店を知って、最後に食べに来たという人が連日訪れているといいます。

「さみしくなります」「お元気で」「ありがとう」
レジで支払いを終えたお客さんたちは、それぞれ思いを従業員に伝えていました。

武居あやこさんと娘の岐美さんも、親子でよく訪れました。待ち合わせに利用しやすいことから、およそ20年前から通っているそうです。

武居あやこさん

「季節のフルーツが食べたいときによく来ていました。とても居心地のいい場所だったのでなくなるのは本当にさみしいですね」

さよならメトロ食堂街

メトロ食堂街でキャリアをスタートさせた森山さん。取材中、昔のメニューブックを見ながら「今でも作れと言われたら当時と同じようにフルーツパフェを作れますよ」と懐かしんでいました。その言葉からは、森山さんがフルーツ、そしてパフェを通じてお客さんを喜ばせたいと仕事に打ち込んできた自負のようなものを感じました。

森山登美男さん
「メトロ食堂街の店舗で育ったので、やっぱりなくなるのはさみしいです。駅に近いということで、常連さんだけでなく、地方から東京に観光に来た人など、たくさんのお客さんに来ていただきました。本当に感謝しています。閉店してしまうのは申し訳ないですが、いつの日かまた新宿駅の西口にお店を出せればと思います」

ページトップに戻る