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御嶽山噴火から6年 行方不明の息子を探す父 許可を得て規制エリアへ

  • 2020年9月28日

死者・行方不明者63人を出した御嶽山の噴火から27日で6年が経ちました。多くの人が犠牲となった山頂付近の登山道は、いまも規制が続いています。噴火で行方不明となった大学生の父親が、みずから息子を捜すため特別な許可を得て、規制エリアに入りました。「何年かかっても見つかるまであきらめない」と、息子を捜し続ける父親の思いを取材しました。
長野放送局/記者 横山悠

戦後最悪の火山災害

6年前の平成26年9月27日、長野県と岐阜県の県境にある御嶽山が突然、噴火し、死者58人、行方不明者5人の「戦後最悪の火山災害」となりました。
この行方不明者5人のうちの1人が、愛知県刈谷市の野村敏明さんの息子で、当時19歳の大学生だった亮太さんです。
亮太さんは幼い頃からサッカーに打ち込み、高校ではサッカー部のキャプテンでした。サッカーの試合には、亮太さんの姉や妹も含め、家族で応援に行くことが楽しみでした。

親子で富士山に登ったり、噴火の1週間前には、野村さんが学生時代からやっていたテニスを一緒にしたりしたこともありました。

「月並みな言い方ですけど、真面目で優しくて、責任感の強い子だったんじゃないかと思います」

「山をなめちゃいかんよ」最後の会話に

噴火当日の9月27日の土曜日。亮太さんは朝6時前、御嶽山に登山に行くと言って出かけたあと、すぐに戻って来ました。
「ストックを持って行かなかったから、何でもいいから貸してほしい」
そう野村さんに頼みました。

 

野村さんが持たせたストック

「山をなめちゃいかんよ。気をつけて行ってきてね」
野村さんは、こう声をかけて送り出しました。
それが、亮太さんとの最後の会話になりました。

その数時間後、御嶽山が突然、噴火します。
当時、亮太さんは、長野県にある王滝村側と木曽町側の2つの山頂をつなぐ「八丁ダルミ」と呼ばれる登山道を歩いていました。そこで撮ってもらった笑顔の写真を最後に、噴煙で姿が見えなくなったといいます。

「『そんな写真を撮る時間があるなら逃げれば助かったのではないか』と思われる方もいると思いますが、『時々こんな噴火もあるのかな』というくらいの受け止め方しかできなかったのではないかなと思います」(2018年9月のインタビューより)

みずから息子を捜したい

噴火後、「八丁ダルミ」では、リュックやスマートフォン、応援していた「名古屋グランパス」のタオル、そして、野村さんが亮太さんに持たせたストックなど、亮太さんが当日身につけていたものが次々と見つかりました。

「これだけ本人が身につけていたものが見つかっていて、あとは本人を見つけないと。見つけてほしいと言っているようなものだと思います」

「八丁ダルミ」はいまも立ち入り規制が続いていますが、野村さんは、その登山道でみずから亮太さんを捜したいと考え続けてきました。

そして、噴火後初めて王滝村側の山頂の立ち入り規制が解除されたことし、野村さんは、山頂の先にある「八丁ダルミ」での捜索を村に要望し、特別に許可がおりたのです。

6年間で最も息子に近づけた

8月7日から2日間の日程で、御嶽山を訪れました。「八丁ダルミ」を目指して登山を始めましたが、いずれも天候に恵まれず、捜索は中止に。

そして、朝から青空が広がった8月29日、山頂を訪れた野村さんたちは、ついに「八丁ダルミ」に足を踏み入れることができました。

規制区域に入る野村さん

亮太さんの写真が撮られた場所に花を供えると、持ち物が見つかった場所をたどって足取りを確認しました。

火山灰だらけになったリュック。
最後の写真にも写っているオレンジ色のタオル。
充電すればいまだに使えるスマートフォン。
いずれも、亮太さんから届いた居場所につながるメッセージです。

およそ4時間の捜索で新たな手がかりを見つけることはできませんでしたが、野村さんは、「そこに亮太がいたことを改めて実感できた」と話し、この6年間で最も亮太さんに近づくことができた時間となりました。

「亮太には申し訳ないけど、まだ時間がかかっちゃうけどもう1回出直して捜索に来るよ、と伝えました。息子もきっと家に帰りたいと思っているはずです。この先何年かかっても、見つかるまであきらめたくないと思っています」
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