去年9月の台風15号。暴風で千葉県市原市のゴルフ練習場の鉄柱が倒壊し、多くの住宅に被害が出ました。あれから1年。取材を進めると、住宅が被害を受けて避難先での生活を余儀なくされた14世帯のうち、自宅に戻ってこられたのはわずか3世帯にとどまっていました。 (千葉局/記者 坂本 譲)
鉄柱が倒壊したのは、去年9月9日。千葉県を襲った記録的な暴風によって、市原市のゴルフ練習場の金属製の鉄柱13本が倒れ、周辺の住宅21棟に被害が出たのです。
その後、東京・江戸川区の解体工事業者が無償で撤去を申し出て、2か月余りたった去年11月13日、ようやく鉄柱が撤去されます。ゴルフ練習場側も、土地を売却して、住民への補償を行う方針を示しました。
あれから1年。突如、日常を奪われた住民たちは、いったいどのような状況に置かれているのか。まずは、現場に向かいました。
現場に着くと、鉄柱はすべて撤去され、ゴルフ練習場のあった場所は更地になっていました。一方で、鉄柱が撤去されたあとの住宅も、多くが解体。空き地になった区画が目立ちます。
市原市によると、住宅が被害を受けて、避難先での生活を余儀なくされたのは、14世帯。このうち、ことし8月下旬の時点で、修理や再建を終えて自宅に戻ってこられたのはわずか3世帯にとどまります。補償はまだ行われておらず、交渉中だといいます。
今の状況について、住民に直接、話を聞かせてもらいたいと考え、取材を続けた結果、3人の方が胸の内を明かしてくれました。
「この世じゃないような、衝撃的な光景だった」
住民の1人、松山高宏さんは当時の状況をこうふり返ります。松山さんの住宅は鉄柱が住宅の一部に倒れ、屋根などが壊れました。
松山さんの家に倒れてきた鉄柱
台風15号のあと、台風19号やその後千葉県を襲った大雨。屋根からは雨漏りが続き、住宅の木材が腐るのを防ぐため、バケツに水をためて一時間おきに交換するなど対応に追われました。
妻と息子たち、家族5人で暮らしていた松山さん。鉄柱の重みで被害がいつまた悪化するか分からないなか、家族は市が用意した住宅に避難。松山さんは雨漏り対応のため1人自宅に残り、3か月にわたって離れ離れの生活が続きました。
当初は、ゴルフ練習場側からの補償をもとに修理を進める予定だった松山さん。しかし、なかなか補償は行われず、家族離れ離れの生活が続く中、自らがかけていた火災保険の保険金での修理を決めました。
「1日も早くもとの暮らしに戻りたい」
それが決断の理由だったといいます。
家族も家にもどり、修理もようやくことし8月に終わりました。現在は台風以前の日常を取り戻すことができたと感じています。
しかし、気にかかっているのが、地域に今も目立つ空き地です。
〇が松山さん宅 手前は更地 道路はさんでゴルフ練習場跡地
補償が行われていないため、修理や再建に乗り出せない人が多いのです。松山さんは、地域全体の復旧のためには一刻も早い補償が必要だと考えています。
「家がほしい」
NHKが行ったアンケートにそう答えたのは、鉄柱の倒壊で住宅に被害を受けた男性。匿名を条件に、取材に応じてくれました。
男性の住宅の2階部分には倒れた鉄柱がめり込みました。事故当時1階で寝ていたという男性ですが、大きな音と地響きで目覚め、2階に上がると重みによって天井が落ちてきていたといいます。
当時の自宅の様子
「全壊」の認定を受けた住宅。公費で解体し、現在は自治体の借り上げた住宅で生活をしています。「長らく住んでいた地区には思い入れがある」と語る一方で、資金面の問題で家の再建に乗り出せないと言います。
ゴルフ練習場からの補償金が、いつ、いくら支払われるのか分からない状況で、今後の生活への不安を感じているという男性。仕事もいつまで続けられるかわからないといいます。住宅の再建、そして生活の立て直しのために、一刻も早い補償を望んでいます。
話を聞かせてくれた方の中には、資金面以外の問題に悩まされている方もいました。
坂本高志さんです。坂本さんの住宅は、倒壊した鉄柱によって2階部分が激しく壊れました。
坂本さんは“全壊”となった住宅を解体し、今も避難先で生活を続けています。
自宅を再建するかどうか揺れ動いているという坂本さん。その理由について、倒壊の精神的なショックがぬぐい去れないためだと明かしてくれました。
坂本さんは補償だけではなく、住民が負った心の傷に対してもしっかり目を向けてもらいたいと語ります。
倒壊から1年を前に、ゴルフ練習場側に取材を申し入れると、弁護士を通じて、メールで回答がありました。
「現在、土地売却交渉が大詰めの状況であり、今年中には土地売買契約が締結でき、その後、住民への補償をしたいと考えておりますが、未だ買い主候補の会社で手続きが通っていないため、正式なことは申し上げられません」
現場で取材する記者
3人の方に話を伺い、あの鉄柱の倒壊が資金面だけではなく、精神面にまで深く影響を与え続けていることを痛感しました。「記憶としては絶対忘れることはできない、それでも前に進むしかない」という言葉。補償交渉も続き、この1年間、常に鉄柱の倒壊と向き合い続けてきた住民に、1日でも早く補償が行われ、平穏な暮らしが戻ってほしい。そう強く感じました。