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真夏の逆転劇 水面下の攻防

自民党など与党が推す青島健太と、立憲民主党などの野党が推す大野元裕との事実上の一騎打ちとなった埼玉県知事選挙。勝利を手にしたのは、全国知事会の会長も務め、県政に4期君臨した埼玉県の上田清司知事とともに選挙戦を戦った大野だった。
 大野元裕 92万3482票
 青島健太 86万6021票
当初は青島優勢との見方が多かった今回の選挙。大野逆転の要因とは?

さいたま放送局・清有美子、右田可奈、宗像真宏

 

それは突然に

「救急搬送される数日前から、後援会と選対の一部を含めた周囲から、『出馬取りやめを熟慮せよ』という声があがって、ついに私の身体自体が白旗を揚げてしまいました」

選挙期間中の8月16日、神妙な面持ちで語る行田邦子の動画が突如現れた。
告示直前に立候補を見送らざるを得なかったことへの悔しさと共に、何かに向けた憎しみめいた感情すら感じる動画だった。

告示日の2日前の8月6日。行田の姿はNHKさいたま放送局にあった。政見放送の収録のためだった。

収録を終えてNHKをあとにしたが、はからずも、この収録が、行田氏の知事選に向けた最後の表立った活動になってしまった。

行田はこの日、政策発表を行う予定だった。準備を急いでいた陣営に入ってきたのが、行田入院の一報だった。熱中症の疑い。予期せぬ一報だった。

当初行う予定だった政策発表は中止に。かわりに決まったのは、行田に立候補を辞退するよう促すという方針だった。

 

「無念」

翌日になって、行田の家族が本人から聞き取ったというコメントが発表された。

行田の立候補辞退が固まり、青島と大野の事実上一騎打ちの構図が固まった。

 

相次ぐ 野党系の立候補表明

今回の埼玉県知事選挙。最初に立候補を表明したのが行田だった。行田に次いで立候補を表明したのが大野。ここから混迷する選挙戦は始まった。

 

大野は2010年に民主党の参議院議員に初当選。その後、民進党を経て、国民民主党に移り、選挙前に離党した。

 

行田も2007年に大野と同じ民主党から参議院議員に初当選。その後、みどりの風やみんなの党を経て、希望の党に移り、同じく選挙前に離党した。

いわば同じ野党系の道をたどってきた2人。その2人が同じ選挙に出れば野党系の票が割れることになるのは明らかだった。

一方、上田知事も、元々は民主党などから衆議院選挙に3回連続で当選した経歴を持つ。その上田知事は、今回、大野の支援に回った

 

割れる”野党票”… 出口調査でも

大野と行田が戦うと野党票が割れそうだというのは、NHKが参議院選挙で行った出口調査でも明らかになっていた。

参議院選挙の埼玉選挙区で、県知事選の投票予定候補者を聞いたところ、野党系の支持層は、いずれも票が割れる結果となった。

 

全体結果を見ても、青島が28%、大野が10%、行田が7%。
大野と行田を足しても青島には追いつかない結果だった。

 

一本化に向けた攻防

行田と大野の立候補が決まってからは、野党系の候補の一本化に向けた話は、幾度となく取りざたされた。

関係者によると、野党系候補の一本化に向け、水面下で大野陣営は行田に立候補を辞退するよう図る動きを見せていた。

しかし、行田の立候補の意思は固く、平行線の状況が続いた。長い梅雨が明け、暑い日が続くようになっても、変化は見られなかった。

選挙の告示日は8月8日。8月に入っても、一本化に向けた議論は進まなかった。

告示の数日前に行われた大野陣営の選挙対策会議では、案の定、厳しい選挙情勢が報告された。

「現状、ダブルスコアで青島さんに負けています」

野党系の票が分裂すると見られていた中、当然と言えば当然の情勢だった。
告示まで残された時間はわずか。出席者には焦りも見られた。

「やはり、行田さんに降りてもらうしかないでしょう」

陣営の意を受け、改めて様々な人が行田に立候補を辞退するよう、説得にあたったが、行田の意思は固かったという。

 

行田は、告示4日前の8月4日・日曜日には、大宮駅で「大宮街頭大作戦」と称し、大々的な練り歩きを実施した。翌5日には、地元テレビ局の討論会にも出席した。

立候補辞退どころか、選挙戦に向けて陣営は盛り上がりを見せていた。

「もう行田さんの立候補辞退はないだろう」

多くの人がそう思っていた。

しかし、水面下では一本化に向けた動きが進んでいたという話もあった。

行田本人の意思が固いなか、関係者は、一本化に向けて行田の後援会と大野を支援する上田知事のつながりを指摘した。

 

行田の後援会は上田知事の後援会とメンバーの多くが重なっていた。

そうしたなかで飛び込んできた行田の入院の一報。

行田の立候補辞退は決定的となった。

 

様相は一転 激戦に

告示直前の行田の立候補辞退を受け、選挙戦は与野党一騎打ちの構図となり、一気に激戦と化した。

行田の立候補辞退は、青島陣営にとっても青天の霹靂だった。

 

自民党側は国会議員やスポーツ選手などを応援に入れて、組織固めと無党派層への浸透に力を入れた。しかし、投開票日が近づいても、激戦の状況は変わらなかった。

一方の大野陣営。激戦の中、行田の病状が回復すれば、街頭に行田を呼んで、大野の応援演説をしてもらう計画が持ち上がっていたという。

そんなさなかに飛び出したのが、行田の突然の動画だ。
動画は、立候補辞退の説明だけにとどまらなかった。

「不出馬は痛恨の極みです。青島健太さんに投票します。私自身の県政運営のスタンスと最も近いからです」

突然飛び出したまさかの青島支持の表明。行田に応援演説まで期待していた大野陣営の思惑とは真逆の反応だった。

 

しかし、大野陣営は行田の後援会の大半は大野を支援する上田知事の後援会と重なっているため、影響は少ないだろうと、強気な姿勢を見せた。

一方の青島陣営。激戦となっている情勢を鑑みた自民党側が行田に接触して支援を表明させたのではないかという情報が広がったが、自民党サイドは否定した。

「積極的な青島支援というより、立候補を辞退させられた大野陣営や自分の後援会への恨みでやっているのではないか」

 

選挙戦終盤 総力戦に

動画の配信以降、行田は表立った動きを見せなかった。動画がどのように選挙戦に影響したかは定かではない。

しかし、選挙戦は最後まで激戦となった。最終盤、青島陣営は公明党や公明党の支持母体の創価学会に支援を改めて強く要請。

 

自民党としても、菅官房長官が告示前と告示後の2回も応援に入ったほか、投票日前日の24日には、丸川珠代・元東京オリンピック・パラリンピック担当大臣や、山本一太群馬県知事が応援に入るなど、知名度の高い応援弁士を集めて、最後の票の底上げに力を入れた。

 

大野陣営も、支援する上田知事が保守票の切り崩しを行うとともに、大野が最も尊敬するという祖父の元美が市長を務めていた川口市で、自民党の支援組織の切り崩しも行った。

 

また、国政からは、立憲民主党の枝野代表や国民民主党の玉木代表をはじめとする野党幹部が次々と埼玉県入り。最後まで大野の支援を訴えた。

 

大野は1日10時間以上街頭に立ち、時に保冷剤を首にあてながら、合計150時間以上、無党派層に向けて声をからした。

 

”県民党”を訴えて

当初、無党派層の支持はスポーツライターの青島に流れるのではないかという見方もあった。しかし、ふたを開ければ、NHKの出口調査で、大野は無党派層から60%近い支持を得る結果となった。一方の青島は、無党派層からの支持は30%台前半。結果を左右する1つのポイントとなった。

 

「野党候補が直前で一本化されたことで潮目が変わった。大野陣営と上田知事の戦略にやられた」
青島の関係者の中からはこんな声も聞かれた。

一本化により野党の結束が強まって激戦を制した大野。
その大野が、選挙戦を通じて、一貫して訴え続けた言葉がある。

「県民党」

与野党対決の構図となってもなお、特定の党派に偏らない主義主張であることを訴え続けたのだ。

 

NHKの当選確実が出た後、大野はツイッターにこう投稿している。

「県民党の勝利です。ここからがスタートです」

それもそのはず。上田知事とともに戦い、野党の支援を受けて勝利した大野だが、その先に待ち受ける県議会は、過半数を自民党会派の議員が占めるのだ。

上田県政をどう継承し、自民多数の議会を相手にどんな議会運営をみせるのか。
その手腕が問われるのはこれからだ。
(※文中 敬称略)

 

さいたま放送局
清 有美子
平成15年入局。
京都局、経済部などを経て、現在さいたま局遊軍キャップ。
趣味はワイナリーめぐりと和菓子づくり 。
さいたま放送局
宗像 真宏
平成28年入局。
さいたま局4年目で現在県警・司法担当。
アメフトで鍛えた体を駆使して選挙取材にもあたる。
さいたま放送局
右田 可奈
平成23年入局。
神戸局、福島局を経て、現在県政担当。
瀬戸内海と日本海に囲まれて育つ。「海なし県」に初めて在住。