地域の詳しい防災を伝える「#3丁目の防災」。
今回は「新宿区西新宿1丁目」です。「世界一忙しい駅」としてギネス世界記録にも認定された新宿駅の西口一帯です。東日本大震災のとき、「帰宅困難者」であふれたこのエリア。11年がたち、対策は進んだのでしょうか。
(アナウンサー 高井正智/首都圏局 記者 直井良介・ディレクター 横山紗也香)
11年前のあの日、私(高井)は、西新宿1丁目にいました。
2011年3月11日
取材に向かう車内で感じた、大きな揺れ。すぐさま降りて、リポートの撮影を始めます。
「いま地震が…大きな揺れが起きています。看板や建物が揺れています」
大変なことが起きた。緊張で口の中が乾き、思うように言葉になりませんでした。上を見ると、高層ビルが倒れるのではないかと思うくらい、見たこともない揺れ方をしていたのです。その後も取材を続けましたが、夕方になると、街の様子は一変します。電車が止まる中で発生したのは、かつて経験したことがない大渋滞でした。車の合間をぬって、スーツ姿の人たちがぞろぞろと歩いていく姿が印象に残っています。
2011年3月11日
家族の安否も分からないまま、黙々と家を目指す人たち。「帰宅困難者」と呼ばれたことは、あとになって知りました。そのときの強い無力感。心に重く残り続け、私の中で「宿題」のように残っていました。
あのとき私がいた「西新宿1丁目」の防災はどうなっているのか。今回、取材することにしました。
案内してくれたのは、久田嘉章さんです。このエリアにある工学院大学の教授で、企業などで作る「新宿駅周辺防災対策協議会」の座長を務めています。西新宿1丁目は、新宿駅西口一帯のエリアです。日本で一番利用者が多く、2018年には「世界一忙しい駅」としてギネス世界記録にも登録された新宿駅。
その西側、日本屈指の高層ビルが建ち並ぶオフィス街を抱えています。そして、そのことが大きなリスクにつながっているのです。
大きなリスクは、日中、首都圏の各地から人が集まることです。それがわかるのが、こちらの地図です。東京の夜と昼の人口の違いを表しています。
色が濃いほど夜に比べて昼間の人が多く、西新宿1丁目は、昼と夜の人口の差は、517倍にものぼります。昼間の人口は、この地区だけでも実に6万人にのぼります。
今回の取材で、私にとって強く印象に残った言葉があります。久田さんの話していた「ビル一棟一棟が、一つの『町』に相当する」という言葉です。200メートル級のビル、そこには1棟あたり数千人もの人がいることがあります。そうした人たちが一斉に帰宅しようとすることが、大きな混乱につながると感じたのです。それでは、この地域ではどのような防災が行われているのか。その1つがこちらです。
これは、「オフィス街」というさまざまな企業が集まる地域という特性を生かした取り組みです。その中のひとつとして久田さんが案内してくれたのが、『チーム・新宿』です。
タッグを組んだのは、地域の大学や行政に加えて周辺の企業。ドローンを使って帰宅困難者の状況を収集・発信しようというのです。
ドローンを飛ばすのは、損害保険会社。事故や災害時の状況把握のためにさまざまなドローンや操作技術を持っています。使うのは、自社で保有するカメラ付きドローンです。映像を見るのは大学の専門家。帰宅困難者をどこに誘導すべきか検討します。その情報を共有し、判断するのが行政の役割です。個々の企業などが持つ技術を結集して、リスクを減らそうと取り組んでいるのです。
高井アナウンサー
「西新宿1丁目ならではの、このつながり、そして技術。これが生かされていますね」
チーム新宿 工学院大学 村上正浩教授
「この地域には、いろんなノウハウを持っている専門家がいて、つながっている。『地域連携』がキーワードです。こういう地域だからこそできることだと思います」
西新宿1丁目やその周辺に、多くの高層ビルが立ち並ぶ理由。それは、かつて広大な浄水場があったためでした。
この写真は、かつて西新宿にあった淀橋浄水場です。明治時代に東京でコレラが流行したことなどをきっかけに、当時の最新の浄水場として明治31年に建設。戦後の高度経済成長期まで都民ののどを潤しました。その後、新宿駅周辺の市街地開発に伴って、1965年に浄水場の機能は廃止。東村山市に移転されました。その広大な跡地に官民が高層ビルを建設し、西新宿は日本屈指のオフィス街になったのです。
西新宿1丁目の防災の特徴、もうひとつは「安心してとどまる」ための工夫です。帰宅困難者を出さないためには、ビルに人をとどめ、受け入れることが大切です。そのために、エリア全体で、対策を進めようとしています。そのひとつが、隣の西新宿2丁目の52階建ての高層ビルにあります。
入り口を入ると広がっていたのは、大きな広場。屋外の広場に、ビルの改修に合わせて大きな屋根をかけたと言います。広さはおよそ6500平方メートル。ふだんはイベントなどに使い、大きな地震があったときには、最大2800人受け入れる帰宅困難者の一時滞在施設になります。驚いたのが、床暖房まで整備されていたこと。たとえ冬でも安心してとどまることができる工夫だと言います。
対策は、ビルに入る1社1社でも、工夫して行われていると言います。このビルの39階にある旅行会社で、そのひとつを見せてもらいました。
それは、「備蓄」です。この会社は、5日分以上の食料や水を備えています。さらに、棚や、棚の上のテレビなどは揺れで倒れないように固定しています。さらにこの企業では、外出中の社員にも、安否確認メールを送って、むやみに帰宅せずに、近くの安全な建物に避難するように呼びかけるなど、帰宅困難者を出さない取り組みを徹底しています。
旅行会社 総務広報部 内尾智子部長
「企業の責任として、まずは72時間、施設もしっかりしているビル内でとどまる。とにかく社員に安心してもらってこのビルに滞在できるように、訓練含めて取り組んでいきたい」
防災の「あたりまえ」を忠実に守ることは、社員が『とどまりたい』と思える場所を作り、ひいては、エリア全体を守ることにつながると改めて気付かされました。
今回の取材を通じ、西新宿1丁目という大きなビル街も、ひとつの「地域」なのだと感じました。「地域」というと、通常は商店街や町内会をイメージしますが、「都心の働く人が集まる地域」だからこそ強みになる、技術や人のつながりがあるのです。最後に、久田さんにその思いを聞きました。
新宿駅 周辺防災対策協議会 座長久田嘉章さん
「ここは住んでいる人はほとんどいなくて、いるのは働きに来ている人なのですが、やっぱり地域をよくしたいし、自分の環境もよくしたいというのは同じなんです。そういう人たちを集めて、ふだんから防災の取り組みをすることで、いざとなったらみんなで助け合おうというつながりが生まれます。それを、地域をあげて形にするのが重要だと思います」
取材を終えた今、私(高井)は、西新宿1丁目のみなさんの11年の取り組みが本当に心強く、正直、ほっとした気持ちにもなりました。その一方で、みなさんが口を揃えて話されたこの言葉をしっかり心にとめたいと思いました。「今行っている取り組みが決して十分ではない」。東日本大震災の発生以降、私自身も少しでも多くの人の命を守るためにできることがないかと、細々と取材を進めてきたつもりです。そして、あらためて気づかされました。あの日の“宿題”に終わりはない。これからも、少しでもリスクを減らすために自分にできることを続けていく決意です。そして、あの日の“宿題”は西新宿一丁目や私だけのものではありません。この記事を読んでくださったみなさんも、どうか一緒に取り組んでいっていただければと思います。