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台風15号で被災の千葉 支援のブルーシートでバッグ作り

  • 2020年10月21日

房総半島の地図に各地の名物がプリントされた生地が印象的なトートバッグ。本体はブルーシートで作られています。去年の台風15号の際、千葉県の被災地に全国から寄せられ使われてきたブルーシートが、1年たち修理が進むなかで役目を終え始めているのです。ブルーシートがバッグに生まれ変わることで地域に新たなつながりが広がっています。
(首都圏局/ディレクター 村山世奈)

出口が見え始めた屋根の復旧

「1年たってやっとここまできたという感じです」

千葉県南房総市で建築会社を営む福原巧太さん(34)は、台風15号で被害にあった300棟以上の建物を修理してきました。

1年以上たった今もまだ室内のカビを取り除いたり、ゆがみを元に戻したりする作業が続いていますが、屋根の修理は依頼があったうちの8割完了したそうです。町を見渡すと、傷ついた屋根を覆っていたブルーシートが今はほとんど見られなくなっています。

去年9月末(左)と今年10月(右)の千葉県鋸南町

“見るものすべて傷ついていた”異常な光景

令和元年9月9日に千葉県に上陸した台風15号は、県内10か所で観測史上1位の最大瞬間風速を更新する記録的な暴風をもたらし、8万1000棟を超える住宅に被害が出ました。

暴風で実家の屋根瓦が飛ばされた福原さん。さらに町をまわって目にした被害の大きさに驚きました。

福原さん
目の前の建物がすべて傷ついている異常な光景でした。

被災翌日の家屋の様子(福原さん撮影)

福原さんのもとには、住宅の応急処置を求める依頼が1日100件以上寄せられました。しかし、ブルーシートや土のう袋が足りず、助けたくても助けられない状況でした。福原さんは、わらにもすがる思いでSNSに「助けてください」と投稿しました。

福原さんがSNSに投稿した文章

当時の投稿
「想定外の被害状況です。ブルーシート、土のう袋、ヒモ、ロープ類、材料がないことで救済できない状況に陥っています。この投稿を見て『ブルーシート使って!』という方や屋根には上がれないが物品の寄付ならという方、どうか助けてください!」

全国から届いた1000枚

投稿は3000回以上拡散され、その日のうちに物資が次々と届き始めました。送り主は、北海道から沖縄まで400人以上。直接運んできてくれる人もいて、ブルーシートだけで1000枚にのぼりました。

福原さんが驚いたのは、支援者のほとんどは面識のない人だったことです。投稿を見て、多くの応援メッセージも寄せられました。

寄せられたメッセージ
「初めまして。我が家にあったブルーシート6枚送りました。お役に立てれば」
「ブルーシートと気持ち送らせていただきました。頑張ってください!」
「食料品や電池等は足りてますか?」
「負けないで!応援します」

会社の作業場がブルーシートでいっぱいになった

善意のブルーシートは捨てられない

支援物資のおかげで住宅の応急処置は進みました。それから1年が経ちブルーシートは少しずつ必要なくなってきていますが、福原さんは、1人1人の思いがこめられたブルーシートを簡単に捨てることはできないと感じていました。

もしも処分する場合には、有料で引き取ってもらうか、細かく裁断しなければなりません。高齢の人にとってこれは負担です。

福原さんはやむにやまれず、修理にあたった住宅や地域の人から、役目を終えたブルーシートを引き取り始めました。

状態のいいブルーシートを保存する福原さん

福原さんが引き取ったブルーシートの活用法を悩んでいたとき、南房総市に暮らすデザイナーの工藤紘佑さんと出会いました。千葉の海にひかれて東京から移住してきた工藤さんは、復興に向かう地域のために何かしたいとブルーシートのバッグを試作していました。それを知った福原さんは、工藤さんとともに引き取ったブルーシートをトートバッグに生まれ変わらせることにしたのです。

福原さん
これが完成したときは感動しました。少し色あせていたりほつれていたりする部分も、屋根の上で活躍してくれていた証しとして残しています。

養生テープの跡もそのまま生かす

バッグ作りで地域を活気づけたい

福原さんがバッグ作りを決めたもう1つの目的は、地域を元気づけることでした。
台風で自宅や職場に大きな被害をうけた地元の人たちは、この1年復旧に追われ、かつてのように集まる機会も減っていました。
福原さんは、バッグ作りに住民が参加することで、人々がコミュニケーションをとる機会を増やしたいと考えたのです。

10月、鋸南町の古民家カフェでデザイナーの工藤さんがバッグ作りの講習を行い、6人の住民が参加しました。全員が去年の台風で自宅に被害を受け、まだ完全に復旧していない人もいました。

デザイナーの工藤さん(右)から教わりながら縫う

参加した猪野惇子さん
「縫い物が好きなんです。今は目が悪くなってなかなかできていないけど、やり始めると楽しいですね。良い機会を与えてもらいました」

参加した黒川美奈さん
「ボランティアの人たちにたくさん助けていただいたので、ちょっとでも自分にできることがあるならと思って参加しました。ブルーシートがバッグになるなんて想像していませんでしたが、みなさんのお役に立って使ってもらえるとうれしいです」

「ブルーシートを縫うのは初めて」と黒川美奈さん

ブルーシートが再びつなぐ縁

この取り組みを続けていくため、福原さんはインターネットを通じて資金を募るクラウドファンディングを始めました。バッグ作りを担ってくれる住民たちに給料を支払い、雇用の場にしていこうというのです。

クラウドファンディングを始めるとわずか10日で60人以上から支援が寄せられ、目標額を達成しました。支援してくれた人のなかには、1年前にブルーシートを送ってくれた人も多くいました。

東京・国立で設備工事会社を営む田中友統さんもその1人です。田中さんは東日本大震災でボランティアをした経験から、「自分もいつ被災するか分からないので余裕があるときは人助けをしたい」と感じ、熊本地震などの支援を行ってきました。
去年の台風15号では、被災の状況がなかなか伝わってこないなか、友人を通して福原さんの「助けてください」の投稿を知り、現地にかけつける決心がついたといいます。

田中さん
“行かなきゃな”って思いました。多分ああいう書き込みをすること自体に覚悟がいると思うんですね。これは大変なことが起きているなと思いました。

南房総市に物資を運んだ田中友統さん(左)

田中さんは社員2人とともにブルーシートなどを買い込み、福原さんのもとへ運びました。現地に行くと飛ばされた瓦が散乱していて、1泊2日の予定を延長して3日間、がれきの撤去にあたりました。

田中さんは、それ以来ずっと千葉のことを気にかけてきましたが、新型コロナの流行もあり一度も訪れることはできていません。そんななか、クラウドファンディングでブルーシートのバッグ作りを知り、すぐに支援を決めたといいます。

10月、できあがったばかりのバッグが田中さんのもとに届きました。楽しみにしていた娘の凜子ちゃんとともに初めて手にしました。

「ママと買い物に行くときに使う」と娘の凜子ちゃん

田中さん
“気持ちが返ってくる”というか。もしかしたらこれが僕が持っていったブルーシートかもしれなくて、それが現地で使われてこういうかたちで返ってくるっていうのはすごくうれしいですよね。じーんと来ちゃいます。

田中さんは、千葉の福原さんにテレビ電話をつなぎ1年ぶりに対面しました。

オンラインで1年ぶりに福原さんと話す田中さん

福原さん
実際にご支援いただいた方の手元に届けられたのがうれしいです。こうしてつながることで、また私たちの活力になります。

田中さん
来年あたりコロナがなければ海に遊びに行きます。一緒に飲もう。

福原さんは千葉のことを気にかけ続けてくれる人たちに感謝するとともに、バッグ作りを通して復興に向かう被災地の様子を今後も伝え続けるつもりです。

福原さん
被災地は忘れられたら復興復旧が進みにくくなってしまうと思うので、地域の状況をどんどん発信して、さらに地域のみなさんとブルーシートを作り変えることで、そこからまた地域の復興につなげていきたいと思います。

 

筆者も去年の台風15号の直後、千葉県鋸南町に取材に入り大きな被害を目の当たりにしました。そのときに誰もが口にしていたのが「まさか自分が被災者になるなんて」という言葉です。いつ自分が被災するか分からないからこそ、地域を越えた助け合いがめぐりめぐって自分のためにもなると感じます。全国から応援の気持ちを込めて贈られたブルーシートが、屋根を守り、バッグになり、いま地域に明るさを取り戻そうとしています。

  • 村山世奈

    首都圏局

    村山世奈

    2015年入局。沖縄局で戦争や米軍基地問題を取材し、2019年から首都圏局で災害や新型コロナを取材。

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