11月29日は伝説的ミュージシャン、尾崎豊さんの誕生日です。尾崎さんには5歳年上の兄がいます。多感な時期を埼玉県朝霞市で過ごした2人。とても仲がよかった兄弟。今回、兄を取材し、尾崎豊さんの実像と、弟の思いを胸に歩む兄の姿を追いました。
(さいたま放送局 記者/江田剛章)
1992年に26歳の若さで亡くなった尾崎豊さん。苦悩や葛藤、生きる意味などを歌にし、若者たちから圧倒的な支持を集めました。
尾崎豊さんが通っていた、東京・渋谷区の高校近くにある記念碑です。肖像のほか、名曲のひとつ「十七歳の地図」の歌詞が刻まれています。
今も多くのファンが訪れていて、中には遠方からやって来たという人の姿もありました。
15歳のころから尾崎豊さんの曲を聞くようになり、大ファンになりました。自分の周りにも、同じように尾崎豊さんが好きだという人が多くいます。この場所に来ると、尾崎豊さんとのつながりを一緒に共感できるような気がしていいなと思います。
尾崎豊さんが10代の多感な時期を過ごした実家は、今も埼玉県朝霞市に残っています。今回、兄の尾崎康さんが、老朽化で実家の取り壊しを検討する中で撮影に応じてくれました。
兄の尾崎康さん
「ことしに入って家の中の荷物を整理し、運び出しも済ませましたが、ここに来るとやはり、豊とのさまざまな思い出が思い起こされますね。豊もよくこの台所でいすに座ってテレビを見ていました」
家の中には、豊さんの思春期を思い出させる跡が、今も残っています。階段を上がった先にある壁のくぼみがそのひとつです。
兄の尾崎康さん
「僕の記憶では豊が蹴って開けたくぼみだったのですが、家が古くなってきたことによって穴が開いたようになっていますね。どういういきさつだったかは覚えていませんが、その日、母が豊のことを怒っていた記憶がありますね」
豊さんと康さんは、公務員だった父、パートをしていた母と4人暮らしでした。
2人は5歳違いで同じ11月生まれ。
康さんにとって豊さんは、陽気で明るく、かわいい弟だったといいます。
豊さんが多くの時間を過ごした自分の部屋は、2階にあります。
それまで本格的に楽器を弾いたことがなかった豊さんがいつの間にか手にしていたギターは、康さんが使わなくなったものでした。豊さんはこの部屋で1日中ギターを弾き、歌詞や曲を練っていきました。
兄の尾崎康さん
「豊はたぶん自分の心の内面にあるもの、引っかかった違和感や矛盾、美しいと思ったものとか、そういったものを素直に歌ったのだと思います。すごいなあと思いましたよね」
豊さんはその後、18歳でデビュー。「ミュージシャン尾崎豊」として瞬く間に時の人になりました。
若者の心の叫びを代弁してきた豊さんの存在は、兄の康さんにも影響を与えてきました。大学時代は法学部で学び、学生のころから何度も司法試験に挑戦し続けた康さんですが、なかなか合格せず、諦めかけていたといいます。
そんな中、1992年に突然、豊さんが亡くなります。再び司法試験に挑戦しようと決めた康さんは、豊さんが亡くなった2年後に合格。弁護士になりました。現在は埼玉弁護士会の会長を務めています。これまで一貫して、少年少女が関係する事件や、児童虐待事件に携わってきました。
兄の尾崎康さん
「僕は豊と価値観が似ていると思っていますし、豊が感じていたであろう社会とうまくいかない違和感や葛藤は僕も感じていました。もともと子どもが好きで以前から子どもが置かれる状況というのに興味があったのですが、そこにはやっぱり、ミュージシャンとしての豊の影響もあったと思います」
康さんは仲間の弁護士たちと、虐待などを受けた子どもを保護する「子どもシェルター」の運営にも関わっています。豊さんが歌で訴えた“若い世代の生きづらさ”は、今の時代でも変わっていないと考えながら、子どもたちと向き合い続けているということです。
康さんは、弟とのつながりを実感することができる「あるもの」を、今も大切に保管しています。
豊さんが高校生のころ、実家の玄関前のスロープに刻んだメッセージです。
当時、豊さんが好んで聞いていた洋楽の曲の歌詞にそえられているのは、「I Love You forever」の文字。
兄の尾崎康さん
「僕が頑張るということは、豊が頑張るのと多少は同じ意味を持つのではないかと感じています。豊の存在は僕の中でいまも生き続けているし、弁護士として僕自身のアンテナやセンサーにひっかかった違和感や矛盾を発信していくということを通じて、豊に恥じないようにきちんと、自分の仕事、やるべきことをやっていきたいと思っています」