埼玉県北本市の小学校で行われた家族を支えることについて学ぶ道徳の授業。
「でも、何でも頼られてしまったら…?」
先生のひと言が子どもたちに気付きを与えました。
授業でヤングケアラーについてどう教えるか。教員たちの模索の現場を取材しました。
さいたま局記者/二宮舞子
去年12月、北本市立南小学校でヤングケアラーについて学ぶ試験的な授業が行われました。
大人に代わって家事や家族の介護などを担っているヤングケアラー。
子ども自身がヤングケアラーだと認識していないケースも多く、どう支援に結びつけるかが課題です。
こうした中、埼玉県は、ヤングケアラーについて学ぶ授業を始めようとしています。
ほかの学校からも視察に訪れる中、教えるのは5年2組の担任の金子甚武先生です。
教材として使われたのは道徳の教科書。こんなストーリーです。
主人公は小学生の男の子。
病気の母親が退院後、手術のせいか味とにおいが全くなくなり、味噌汁の味が濃くなったり薄くなったりと、料理の味付けがうまくできなくなりました。
そこで、男の子は母親を役に立とうと料理を手伝うことにします。
1時間早起きをして、一緒に食事の味付けを担当するようになりました。
母親に対し「ぼくにもっと頼っていいんだよ」と奮起します。
教科書にヤングケアラーについての記述は一切ありません。
いったいどのように授業を進めるのでしょうか。
お母さんが手術後に味とにおいが分からなくなったことを知ったとき、「ぼく」はどんな気持ちだと思う?
もう一度、お母さんの料理が食べたい。
家族の役に立ちたい、お母さんの役に立ちたい。
もっと頼っていいよ。
そうだよね。「ぼくにもっと頼っていいよ」と思ったんだよね。
お母さんを手伝おうと思ったのは何でだろう?
安静にしてほしいから。
病み上がりだからあんまり働いてほしくないから自分も手伝う。
授業は、子ども自身の考えを積極的に引き出そうと、グループで意見を出し合う時間や、発表する時間を大事にし、子どもたちの意見を尊重しながら進められます。
道徳の教科書での、このパートの本来のねらいは「家族の中での自分の役割や家族を支えることについて考え、家族の一員として思いやり助け合って、進んで家族の役に立とうとする気持ちを育てる」となっています。
子どもたちの発言を聞くと、そのねらいはすでに達成しているように思えますが…。
授業の後半にさしかかったころ、金子先生は1枚の紙を黒板に張り出しました。
「何でも頼られてしまったら…?」
教科書の本来のねらいとは違う視点を子どもたちに投げかけたのです。
金子甚武先生
「もし、こういうことが起きちゃったらどうする? 何でも頼られてしまったらどうしようか? お皿洗いやって、家の掃除やって、お洗濯やって、ごはんやって、きょうだいの面倒見て。ばーって言われちゃったらどんな気持ち?」
これまでと違う問いかけに戸惑いを隠せない子どもたち。
出てきた発言は。
できることだけをやる。
やり方を教えてもらって全部やる。
断る。自分でやって。少しなら手伝う。
あれもこれも全部やってっていわれたら「どうしよう」ってならない?
時間は限られている。全部できるかな?
これから先、どういうふうに自分が頼られるかわからないじゃん、家族から。
もし、なんかしんどいなと思ったときには迷わず相談した方が良いと思います。
いろいろな協力の方法があると思うので、知ってほしいと思います。
そして、金子先生は、困ったときは、先生やスクールカウンセラーなどに相談すること、それに電話で24時間対応可能な相談窓口があることを子どもたちに伝えました。
お手伝いの範囲を超えて家事の負担が大きくなった場合にどうすればいいのか。
教科書に書いていない「ヤングケアラー」の存在に気づくきっかけを与え、困ったら迷わず相談することを強く呼びかけました。
この授業で先生が一番伝えたかったことでした。
できないことはやらなくてもいいって無理しなくてもいいってことが分かりました。
無理はしないでできることをやっていこいうと生かしていきたいです。
もし何でも頼まれてしまったらどうするかなどを、いちばん学べたと思います。
きょうだいもいるので協力してやりたいと思います。
困ったら学校の先生や親戚、友達に相談したい。
金子甚武先生
「『何でも頼られてしまったらどう?』というところで子どもたちが一気に空気が変わったというか。すごく困り感が出てきてどうするどうするって、そういうところが子どもから出て、より子どもたちがよく考えられたのかなと思いました。子どもたちの考え方の視野が広がったのかなと感じました」
子どもたちに意図が伝わったと手応えを感じた授業。
しかし金子先生自身も、少し前までは授業でヤングケアラーについてどのように取り上げたらよいのか分からなかったそうです。
授業でヤングケアラーについて教えることを前提とした教材や指導方法がほとんどないため、埼玉県では、今年度、小学校から高校までの教員たちがヤングケアラーに関する指導案の作成や教材の検討を進めてきました。
この日の授業も、その一環だったのです。
金子甚武先生
「どのように子どもたちに、ヤングケアラーについて気づかせるかというところと、板書計画などもゼロから作らなくてはならないので、どこでどの発問をするかとかもすごく大変です。 自分自身も始めはどのように教えるのか全然分からなかったので、他の先生も絶対にそれは抱えていると思います」
金子先生は、視察したほかの小学校の教員やヤングケアラーに詳しい専門家たちと授業の内容について意見を交わしました。
今回、ヤングケアラーという授業ではあるのですが、最終的な到達点というか道徳の授業として考えるといろいろな答えがあったのが正解なのか、みんなが無理しちゃいけないんだと言わければいけなかったのか、難しいんですけれど、どうだったんだろう。
家族の手伝いはしたいという子どももいてもいいと思うし、手伝いの範ちゅうを超えて、
自分の生活にいっぱいいっぱいになったり、子どもらしく生活できてないと思ったときに、誰かに相談してもいいんだということが頭に入るだけでもいいのかなと。
自分はこう思うけど、あの子はこう思うんだねという、いろいろな考えを知ることが、ひとつの学びだと思う。
授業のねらいに向けて先生がこっちに持っていきたいという方向に行かなくても、それはいいのではないか。
ヤングケアラーをテーマにしたときに、子どもたちが家族のことを嫌いにならずに、どのように正しい知識を身につけて困ったときに助けてと言えるすべを学ぶかが、すごく大事だなと思いました。
授業を視察していたヤングケアラーの専門家は。
埼玉県立大学 上原美子教授
「ヤングケアラーかなと気になってる子だけではなくて全員に向けて授業したことが、いちばん大きい。
今はもしかしたら、ちょっとした小さなお手伝いだから大丈夫だとしても、年齢が上がったり家族の様子が変わったときに、もしかしたら大変になってしまって誰かに伝えたいとなったときに、『そうだ、いろいろな方法があるんだ』と思えるのではないかと思います。
お手伝いを断るということもできるんだと子どもたちの中で共有できたことがとても大きい」
ところでヤングケアラーについて学ぶ授業といいつつも、授業のなかでヤングケアラーという言葉は一度も使われませんでした。
その真意を尋ねてみると…。
ヤングケアラーということは、かなりプライバシーにもかかわるような問題だと感じております。ヤングケアラーという言葉を使うことで子どもたちが何か変な意識をしてしまったりとか、そういうところも予想されたので、今回はこのような言葉を使わずに、間接的に子どもたちが困ったときにいろんな方法があるんだよということを知ってもらいたくて授業をしました。
ヤングケアラーという言葉を出されていないというところではとても賛同しています。『あの子はヤングケアラーだ』というようないわゆるラベリング、判断をしてしまうとそのような見方しかできなくなる。
その子どもの状況や家族の様子、ケアの度合いも変わるし、家族構成も変わるかもしれないので、ラベリングをするというよりも子どもたちが困ったときに、子どもは学校にいる時間が長いので、気づく感度を高めていくことが教職員としての役目かなと。
今回のような試験的な授業は、ほかにも小学校の生活科や中学校の社会科など、あわせて10クラスで行われました。
埼玉県教育局では独自の指導案や教材を完成させて、2月には各市町村の教育委員会などを通じて学校に配布する方針です。
来年度から授業で活用してもらうよう、呼びかけることにしています。
埼玉県教育局人権教育課 早野裕之さん
「学校で子どもたちと向き合う中で、ヤングケアラーかなと思われる子どもがたくさん存在していて、先生方もいろいろとアンテナを張って気づいている部分はあると思います。
ただ、今までは家族は大事にしよう、家族のことは家族の中でやっていくことが当たり前という考えがあって、『頑張ってるね、偉いね』で終わってしまっていた部分を、一緒になって考えて子どもたちのサポートにつなげていくことが大切だと考えています。
ふだんの授業にほんのちょっとだけヤングケアラーという考えを入れていただくだけで多くの子どもたちが救われていくのかなと、がらっと授業が変わるのかなと感じているので、ぜひ多くの先生方に活用していただけたらと思っています」
今回の授業で非常に興味深かったのは、教員のたったひとつの質問で子どもたちの考え方が転換するのがわかったことです。
子どもの時、皿洗いをしたり洗濯物を干したりして親から感謝されたり褒めてもらったりした経験は多くの人があるのではないでしょうか。
子どもたちも、お手伝いをするのはよいことだという価値観を持っていると思います。
お手伝いとヤングケアラーを線引きすることは難しいですが、取材を通じて、子どもが子どもらしい生活を送れているかが、ひとつの指標なのではないかと感じるようになりました。
ヤングケアラーについて取材を始めてまだ半年。
これからも当事者の声を聞きながら取材を続けたいと思います。