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夏の高校野球開幕 浦和学院 森大監督に聞く

  • 2022年07月07日

今月8日に開幕する夏の高校野球埼玉大会。春のセンバツでベスト4となり、5季連続の県大会優勝を目指す浦和学院は初戦で浦和東と対戦します。浦和学院を30年率いて強豪校に育て上げた森士(おさむ)前監督からバトンを受けた長男の森大監督に泉浩司アナウンサーが伺いました。

史上初の記録に挑む

ことしは監督として迎える初めての夏ということになりますが、改めて今どんな思いでしょうか。

去年の秋に就任してから3年生の選手には「最後の夏が勝負だよ」と話していましたし、「いよいよだな」という気持ちでいます。

県内では去年の春夏秋、そして、ことしの春と4季連続で優勝、この夏で史上初の5季連続優勝がかかっています。この記録は前任の父親から引き継いだ記録でもありますね。

そのとおりです。森前監督が去年の春と夏を制しているから今、この記録が続いているので、そういう面でも前監督と一緒になって戦う集大成だと思って準備しています。

去年の春からは県内で公式戦負けなしの25連勝中です。 打倒浦和学院で各チームが挑んでくると思いますが、こうした状況でチームとしてどのようなことで必要でしょうか。

私の現役時代にも3年連続の夏の甲子園をかけた大会があったんですが、そのときに前監督からは「記録を積み上げてきた先輩たちの偉業はすごいことだけれども、今、プレーしているのは君たちなのだから、プレッシャーを感じるだけではなく、これからの未来に向けて、自分たちのやっていることを信じてやっていけばいいんだ」と言われました。今の3年生にも私の経験を踏まえつつ、「自分たちのやってきたことを信じて、悔いの残らない戦い方をしよう」と話をしているところです。

“親子鷹”と呼ばれた高校時代

野球を始めたきっかけはなんだったんでしょうか。

私が生まれてまもなく父親が監督として甲子園への出場を果たしました。父親は私を抱きかかえながら甲子園を見て「お前もここで野球をやるんだぞ」というようなことを言っていたと聞いています。

本当に物心ついたときから野球のボールが部屋に転がっていたので、父親に騙されたなと思いながら今も野球を続けています。

浦和学院時代にはピッチャーとして2007年と2008年に夏の甲子園に2度出場しています。 監督である父親との“親子鷹”として注目されましたが、森さんにとって高校時代はどのようなものでしたか。

私の野球人生の基盤になった3年間だったと思っています。監督が自分の父親だったのでやはりプレッシャーもありましたが、先輩や同級生の仲間に支えられて、最終的には監督と一緒にもう一度甲子園に行こうという気持ちで3年生の夏に挑んだ記憶がありますね。

やはりほかの選手よりあたりはきつかったですか。

今だから言えますが、きつかったですね。 でも、それも覚悟のうえで浦和学院に入学したので後悔はしていないです。

高校時代に父親としての記憶は残っていますか。

年末年始や休みのときには親子としての関係に戻りますが、やはり親子というよりは監督と選手としての関係のほうが強かったです。

野球部での親子の約束事みたいなものはあったんですか。

父親からは「ほかの選手よりも厳しく指導するぞ」、あとは、「同じ実力だったらお前は使わないぞ、それでもいいなら浦和学院で挑戦してみろ」と言われました。グラウンド内では常に敬語でしたし、心の中では「ふざけんじゃねえぞ」と思ったこともいっぱいありましたけれど、すごくいい経験をさせてもらいました。

森士 前監督

25歳で引退して指導者に

高校卒業後は早稲田大学に進学しました。斎藤佑樹選手の2学年下だそうですね。大学時代に学んだことはなんだったんでしょうか。

先輩である斎藤佑樹さんをはじめ、プロ野球で活躍する選手たちが上級生、同級生、下級生にいましたので、自分の野球の実力のなさを痛感したこともありました。大学では1度もベンチに入れなかったんですが、試合に出ていなくてもチームを勝たせるためにはどうしたらよいのかということを本当に夜中まで選手同士で話したこともありましたので、大学時代は選手としてのチームづくりという部分を学ばせてもらったのかなと思っています。

大学卒業後は三菱自動車倉敷オーシャンズでプレーしますが、25歳で引退します。25歳というとまだまだ現役でプレーできる感じもするんですが、どういう経緯で引退を決意したんでしょうか。

ちょうど入社3年目で、ピッチャーで副主将もやらせてもらっていましたので、4年目も現役を続ける気持ちでいたんですが、3年目が終わったあとの冬に父親の前監督から「浦和学院のコーチをやってみないか」という連絡が来ました。もともと指導者をやりたいという思いはありましたので、悩んだ末に現役を引退することを決断しました。

コーチを務めながら引退後は筑波大学の大学院で1年間、早稲田大学の大学院で2年間学んでいます。

筑波大学には体育の教師免許をとりに行ったんです。せっかく大学に通うんだったら大学院にも顔を出したいと思って、栄養学やスポーツ生理学、脳科学などいろいろな面でスポーツを学ばせてもらいました。その後、早稲田の大学院では心理学を2年間学びました。

修士論文のテーマが「部活動の指導行動の在り方」だそうですね。

社会人野球を引退してから、指導者がどのような指導をすれば選手たちが理解してくれるのかということが気になっていたので、修士論文のテーマにさせてもらいました。

どのような結論だったんですか。

1990年代から2000年代は、どちらかと言えば厳しい指導で(チームが)強くなっていくと言われていたんですね。それは研究でも実証されているんです。でも今はどうなんだろうということで、私が大学院に通っていた2018年にさまざまな高校にアンケートをとらせてもらいました。結論から言うと、厳しい指導だけではなく選手の主体的、能動的な動きが勝敗に関係していました。つまり、強豪チーム、勝ち続けるチームは、決められた規則の中でも選手の自律的な行動が得られているという結果が出たんです。

規律だけではなく選手が自主的に行動することが大事だということですね。

浦和学院でも「自律」をテーマにしているんですが、規律と自律のバランスが大切なんだということは研究を通じて感じました。

浦和学院の目指す「超攻撃型野球」

浦和学院の目指す野球として「超攻撃型野球」という言葉を使っていますが、具体的にどのような野球を目指しているんですか。

英語で言うと、アグレッシブやポジティブと言う言葉になるんですが、攻撃面でも守備面でも、そして、走塁面でも、すべてにおいて積極的に、失敗を恐れずにプレーしてもらいたいという意味を込めています。本番の大会が近づいている今の時期は不安を抱える選手たちが多いんですが、「今までやってきたことを信じて、失敗を恐れずに突き進んでいこう」と選手たちには伝えています。

前の監督がやってきたことを変えた部分もありますね。

私の中で取り組んで一番大きかったことは、冬場に朝練をやめて選手たちに十分な睡眠をとらすようにしたことですね。成長段階の子どもたちには睡眠の「長さ」より「質」が重要なんだということを大学院で学んだので、朝練をやめて睡眠の向上を心がけました。

実際の効果はどうだったんですか。

年に2回、選手たちの血液検査をしているんですが、その結果、選手の成長ホルモンの分泌が去年と比べるとかなり上昇していました。また、選手の身長も伸びました。主力選手で言えば、ショートの金田選手や捕手の高山選手は1.5センチから2センチくらい身長が伸びました。直接、プレーにどのような影響が出るのかはこれからですが、1つの成果だとは思っています。

春のセンバツでの近江戦

監督としての理想像はありますか。

監督に就任して間もないので、理想像も経験を積むにつれて変わっていくものとは思っています。ただ、春のセンバツの準決勝で対戦した近江高校との試合が私にとっては印象深いですね。相手のエースの山田投手の最後まで粘り強い、気迫のこもったピッチングに魅せられました。本当に魅了されたという感じでしたね。

野球も科学的に進歩していますが、やはり、最後は「チームを勝たせたい」とか、「みんなのために私が頑張るんだ」とか、そういう気迫の部分も必要なのかなということをすごく感じましたので、理想像で言えば、選手にもそういう部分を目指してほしいということはあります。

キャスターからひと言

去年の秋季大会から監督のバトンを引き継いだ森大さん。父親であり監督だった士(おさむ)さんとのエピソードは非常に興味深かったです。また、科学的なデータに基づいた指導論や大学院で学んだという部活動の指導行動の在り方の話など、時代の先を見据えた先進的な取り組みを現場でトライし続けていることが森さんの言葉の端々から伝わってきました。

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