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浦和から新都心へ さいたま市役所移転決定の舞台裏(前編)

  • 2022年05月18日

現在、さいたま市浦和区に位置するさいたま市役所の本庁舎。この市役所本庁舎の移転先を定める条例の改正案が、4月に開かれた市議会の臨時議会で可決された。この臨時議会は当初は1日の予定だったものの、議論が長引き、可決されたのは翌日の未明となる異例の展開を見せた。この議会の裏側では、合併前の旧浦和市側と旧大宮市側の議員による激しい駆け引きが行われていた。3市の合併によって、さいたま市が誕生してから21年。合併前の自治体のグループによる駆け引きが行われた、その背景と舞台裏を取材した。

(さいたま放送局記者 佐藤惠介)

異例の“未明決着”

条例の改正案が可決された直後のさいたま市議会

「条例の改正案を可決といたします」議長の声が鳴り響いた。
4月28日、さいたま市議会で開かれた臨時議会。翌日の未明まで続いた議論はついに決着し、議会からは拍手がわいた。中にはスタンディングオベーションする議員もいた。閉会のあいさつを述べる市長も感情が高ぶって言葉を詰まらせていた。

可決後のあいさつで言葉を詰まらせる清水市長

市役所本庁舎の位置を決める条例の改正案

審議されたのは、さいたま市“浦和区”にある市役所の本庁舎をさいたま新都心周辺の“大宮区”に移転させるための条例の改正案。地方自治法によって、市役所の位置を条例で定めなければならないとされていて、位置を変更するには改正する必要があったためだ。
記名投票による採決が行われ、出席議員の3分の2以上となる特別多数議決で可決した。

現在の本庁舎と移転先の位置関係

これで、新しい市役所は、現在の住所である浦和区常盤6丁目から大宮区北袋町1丁目に移転することが決定したのだった。
21年前の2001年5月1日、旧浦和市、旧大宮市、旧与野市の3つの市が合併して誕生したさいたま市。市役所の本庁舎をどこに置くかは、合併前の協議の段階から、旧浦和市と旧大宮市の間で対立していた。そして、合併してから20年余り、残された課題となっていた。条例の改正案の成立は、それを乗り越える大きな一歩目となった。
当日はおよそ16時間、合併から数えると20年以上の時間がかかった議論の背景、その舞台裏でどのような駆け引きがあったのか、ひもといていく。

20年ごしの移転先表明

移転方針を表明する清水市長 画像提供:さいたま市議会

「本市の中央に位置し、さいたま市合併の象徴であるさいたま新都心周辺に本庁舎を整備し、それぞれ強みのある大宮と浦和の両都心の機能をより充実させることで、魅力あふれるさいたま市に発展していける」。

2021年2月、さいたま市の清水勇人市長は、市議会で市役所をJRさいたま新都心駅近くに移転させる方針を表明。旧浦和市側と旧大宮市側の両者をたてる形となった。およそ3か月後に行われる市長選挙をにらんでの表明だった。

4回目の当選を決めた清水市長 令和3年5月

選挙戦でも、さいたま市のさらなる発展のためには移転が必要だと主張し、清水市長は4回目の当選を果たした。清水市長はこの後、次々と移転に向けた計画を進めていく。市長選直後の6月市議会では、移転に向けて基本構想を策定する費用を盛り込んだ補正予算案を市議会に提出。10月には、計画の基本構想の素案を発表した。しかし、ここで、市役所のある浦和の住民側から待ったがかかる。

浦和区の自治会連合会 移転計画の再検討を要望

浦和区の自治会連合会が提出した請願

素案発表後の去年11月、浦和区の自治会連合会が「説明や意見交換なく進められている」として、移転計画の再検討についての要望書を市長に提出した。さらに12月市議会でも、浦和区の自治会連合会は同じく再検討を求める請願を提出した。このため、市側は、市役所の位置の条例の改正案の提出時期について、慎重にならざるを得なくなった。

事態が動き出したのは、ことしの2月市議会。自治会連合会の意向を最大限尊重することを求める決議が可決された。決議では、住民に丁寧な説明を続けることや浦和のまちづくりの将来像についてより具体的にすることなどが求められていて、自治会連合会の要望が反映されることになった。
浦和区以外の旧浦和市内の自治会にも、移転計画の見直しを求める運動を広げようとする動きもあったが、大きく波及することもなかった。こうしたことなどから請願が取り下げられた。市側は、地元から一定の理解を得られたとして、本庁舎の位置を定める条例の改正案を審議する機運が高まったと考えた。

そもそもなぜ移転が必要?

そもそも、なぜ新しい本庁舎の整備や移転が進められているのか、ここで説明したい。
さいたま市は本庁舎の移転が必要な理由として、大きく3つあげている。

1つ目の理由は、さいたま市が設置した審議会からの答申を受けたことだ。「さいたま市本庁舎整備審議会」は「浦和駅」「大宮駅」「さいたま新都心駅」の3つエリアを候補地として、様々な観点から議論した結果として、「さいたま新都心駅周辺(半径800m圏内)」が望ましいとする答申を平成30年5月に市に出していた。

現在のさいたま市役所 旧浦和市役所を利用

2つ目の理由として、旧浦和市の市役所をそのまま利用してきた現在の本庁舎は、建築から45年が経過し老朽化が進んでいたことだとしている。市の調査の結果、本庁舎には、鉄筋の腐食や漏水などが見られていて、市は目標使用年数を60年(令和18年まで)とした。60年を超えて使用した場合は人的被害に繋がる懸念があるとした。また、目標使用年数の60年を前倒しして新庁舎を整備することで、維持管理などの経費を減らせるとしている。

3つ目の理由は、市の拠点となる市役所を市内の中心に位置するさいたま新都心に整備することで、各地域とネットワークを結んで全市的な発展を目指せるとした。

市役所をどこに置くか~合併前から続く議論

合併に伴う市役所の看板を貼り替え 平成13年

3つの市が合併したあと、市役所の本庁舎をどこに置くのか。合併前の協議の段階から、議論が交わされていた。3市は、当面、浦和の市役所を使うことで一致していたものの、大宮側が将来的には新都心周辺にすることを主張し、これに浦和側が反発。県庁所在地として引き続き、行政の中心を担いたかったという浦和側と経済的に大きく発展した大宮側の思惑や利害から意見が分かれる形となっていた。

合併協定書を調印する3市長 平成12年9月

最終的には双方が妥協。市役所の場所として、合併を象徴し、市の中央に位置するさいたま新都心の名前があがった。そこで、3市が合併した際に調印した協定書には「さいたま新都心周辺が望ましいという意見をふまえて検討する」などと盛り込まれた。

新しい本庁舎の移転予定地

この協定書を踏まえて、合併後も主張の対立は続いた。大宮側は「さいたま新都心に移すという約束だ」と主張し、浦和側は「さいたま新都心周辺は中央区のことを指していて、大宮区ではない」などと主張していた。

さいたま新都心駅周辺は大宮区と中央区の両方の地域があり、新庁舎が建てられる予定の住所は大宮区となっている。

合併後初めての選挙で当選した故・相川宗一氏 平成13年5月

合併後に初めて行われたさいたま市長選挙では、旧浦和市の市長だった故・相川宗一氏が当選。本庁舎の位置については、検討会議などで、議論が進められていたが、旧浦和市役所だった庁舎が利用され続けてきた。この理由について、ある議員は、「相川さんは、父親も元浦和市長だった。自分の父が造った現在の市役所に愛着があったと思う」と話す。

初当選を果たした清水氏 平成21年5月

さいたま市が誕生してから8年後の平成21年。旧大宮市のエリアを選挙区としていた元埼玉県議会議員、清水勇人市長が2期8年市長を務めた相川氏を破って当選し、現在に至る。
清水氏が市長に就任してから、旧大宮市内の住民などから、市役所の本庁舎の移転を進めてほしいという声が出ていたという。

臨時議会の前日まで 駆け引きが…

そして舞台は、臨時議会前日のさいたま市議会に戻る。

私は議会関係者への取材をしていた。「もしかしたら深夜の決着もありえる」複数の関係者から同じような返答が返ってきた。議会棟の議員控え室では、別会派の議員同士で意見交換が行われている様子もうかがえた。
また、数日前には浦和派の議員が反対票を投じるため、所属する会派を抜ける動きもあった。

この時、旧浦和市を選挙区とする議員らで作る自民党の「浦和派」のグループでは反対をすることを決め、「野党会派の票をあわせ、改正案は可決されないのではないか」という話が広まっていた。

さいたま市議会の議会棟

市側は反対に回る可能性があった議員へ賛成に回るよう協力の呼びかけを行っていた。

突然だが、取材した私は2021年11月にさいたま局へ異動となった新参記者。前任地は宮城県石巻市。その石巻市も複数の自治体が合併した経緯があるため、どこの自治体出身かで、住民感情に違いがあることは経験していたが、さいたま市のような政令指定都市になるような大きな都市で、そのようなことが残っているとは想像すらしていなかった。しかし、議会の動きを見ているとひと筋縄ではいかない雰囲気を感じざるを得なかった。

それぞれの思惑が交錯する中、臨時議会は翌日の開会を迎えた。

(後編へ)。

  • 佐藤惠介

    さいたま放送局

    佐藤惠介

    平成28年入局
    仙台局、石巻支局をへて、令和3年さいたま放送局。さいたま市政を担当

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