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聖火台を作った川口市のランナー 聖火にこめた思いは?

  • 2021年07月15日
聖火ランナーをつとめた鈴木昭重さん

埼玉県で行われた聖火リレーで最初のランナーに予定されていたのは、前回の東京オリンピックの聖火台を製作した男性でした。男性が聖火にこめた思いとは…

(さいたま局/記者 宗像真宏)

聖火台を父・兄とともに製作

今月6日から3日間の日程で全国で46番目に始まった、埼玉県での聖火リレー。約270人のランナーが県内の40の市や町を走りました。そのうちの1人、鈴木昭重さん(86)。父親の萬之助さんと兄の文吾さんとともに旧国立競技場に設置されていた聖火台を製作しました。

川口市の青木町公園内に置かれた聖火台のレプリカと鈴木昭重さん

当時の様子について、鈴木さんは「父親が図面を見た途端に燃え上がってしまった。川口で受けたならやらなきゃ職人の恥だと」と話していました。

聖火台のレプリカに掲示された写真 左:文吾さん 右:父・萬之助さん

兄の命日に聖火リレー

そして3か月後にできあがった聖火台。しかし、製作の途中に父親の萬之助さんは亡くなっていました。その時の様子について鈴木さんは「2か月かかって型を作って鉄を流し込んだときに1個ボルトが緩んでいて、飛んでいってしまった。穴の空いたやつは使えないといって再度作ることになったんだけれども、再度作る時に親父は寝込んじゃって、1週間後に死んでしまった」と話していました。

まさに命懸けで作られた聖火台。聖火台は無事に国立競技場に設置され、最初に作られたものは埼玉県での聖火リレーがスタートする場所として予定されていた川口市の青木町公園に設置されています。
そして走る予定だった今月6日は兄、文吾さんが亡くなって13年目の命日でした。
 

鈴木昭重さん
「この聖火台の中には親父と兄弟3人が入っていると思う。兄の命日に走るというのは何の因果というか、手を合わせて5人で走る覚悟でいた」

鋳物教室で指導する鈴木さん

鋳物文化の継承

聖火台という日本を代表する鋳物を製作した鈴木さんたち。
もともと川口市は鋳物の町として知られてきました。しかし、受注が激減したこともあり工場も激減。かつての川口高等技術専門校には鋳物科があり、授業を行っていましたが昭和52年になくなってしまいました。その後、兄の文吾さんが日本で唯一の鋳物教室を開き、文化を継承してきました。しかし、兄の文吾さんも13年前になくなり、後を継いだのが鈴木さんでした。

生徒と製作にあたる鈴木さん

教室は毎週水曜日と金曜日に開かれています。私が取材に行ったのは水曜日。
午後4時に教室に訪れると、すでに数人の生徒が鋳物を作っていました。今作っているのは父親と兄とともに作った聖火台の模型です。この日も芸術大学に通う生徒や女性など多くの人が教室に鋳物を習いに来ていました。
しかし、ここにも新型コロナウイルスの影響が。多いときには60人ほどいた生徒ですが、感染拡大の影響で半分の30人ほどに減ってしまったと言います。鈴木さんは生徒数が減った事について心配そうな顔をしながらも「コロナが落ち着けばまた増えてくるのではないかと思う。それなりに焦らずにやっていきたい」と話していました。

「出発記念式」で記念撮影をする鈴木さん

聖火台のレプリカの前で行われた「出発記念式」

迎えた聖火リレー当日。川口市では「まん延防止等重点措置」が適用されていたため公道での聖火リレーは中止になりましたが、その代わりに「出発記念式」が行われました。鈴木さんは埼玉県での最初のランナーとしてユニフォームを着て登場。会場では小雨が降り続くなど、式典日和ではありませんでした。川口市を走る予定だったランナーとともに入場した鈴木さんの表情は硬く、やや緊張している様子でした。司会の女性に名前を呼ばれると、はっきりとした返事をして壇上に上った鈴木さん。父と兄とともに作った聖火台の前で、聖火とともに写真撮影を行いました。

点火セレモニーで次のランナーに聖火をつなぐ鈴木さん

聖火をつなぐ

そして、鈴木さんは7月8日、埼玉県内のゴール地点となっていた、さいたま市の「さいたま新都心公園」で行われた「点火セレモニー」に参加しました。聖火台の前から走るという鈴木さんの夢はかないませんでしたが、「トーチキス」を行って、聖火をつなぐことはできました。
 

「本当は、兄の命日なんで、親父と、兄3人の5人で走るつもりだったんだけど、それが走れないんだけど、きょう改めて聖火台の前で手をあわせた。走れなかったのは残念だが、仕方がない。古い聖火台から新しい聖火台に火がつくことをお祈りして世界平和を祈願したい」

これからの「川口の鋳物」への期待

取材の中で鈴木さんは「今はいろんなことが機械でできるようになり、昔のようにすべて手で作るということはほとんどなくなった」と少し悲しそうな表情で話していました。一方、「これから若い人が今の文化と古い文化を足し合わせて新しい、いい文化を作ってくれる。これを楽しみにしている」と話してくれました。今後の川口の鋳物がどのように新しい文化として継承されていくのか。今後も注目していきたいと思います。  

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