コロナ禍にあって何かと窮屈な学校生活を強いられている小学生。子どもたちの本音を知るため、先生は作文を書かせました。でも、なぜ作文?そのヒントは、スペイン風邪がはやった、大正時代の少女が書いた日記にありました。
(首都圏局千葉担当/ディレクター 神谷友輔)
子どもたちが書きつけたノートには、こんなことばが並んでいます。
子どもたちのノートより
・コロナいや ・いやだ息ぐるしい
・こわい ・外にでれない
・プンプン ・あそべない
・はらだたしい
・ごはんを食べにいけない
鼻をかむとイヤな目で見られるしー、もう超Z(超絶)さいあくなんだけど。もうコロナは『ボーン』となって『ピュー』てとんでって、『バァーン』ときえてほしいぃーーーぃーーー
いつかんせんしてもおかしくないじょうきょうでずっと生きていかないといけなくてヨロコビはあるけど、イカリやカナシミは千万倍もあります
自分の欲求や気分を素直にはき出す子、社会の出来事と自分の置かれた状況を静かに見つめる子、そのありのままの表現を見て、とても切なくなりました。子どもたちの声に耳を傾けたら、我々大人が気づかないコロナ禍の社会が垣間見えるのではないか、そんな思いで取材に入りました。
取材に訪れたのは千葉市内にある千葉大学教育学部附属小学校です。全児童639人、教育学部の附属とあって意欲的な研究授業で知られています。
求める子ども像は「自ら進んで、学び合うことのできるこども」。ふだんは児童の自主性を重んじる付属小ですが、コロナ感染予防のもと、子どもたちの学校生活は制限を余儀なくされています。
たとえば、音楽の授業での合唱は禁止。歌えない代わりに、先生が伴奏するピアノの音楽を聞きながら手拍子や足踏みでリズムを取ります。休み時間も、密になりやすい遊びは禁止です。黒板に貼られたリストを見ると、ドッジボールもダメ、鬼ごっこもジャングルジムも、すべり台もみんなダメ。定番の遊びができないなんて・・・
なかでも、私が一番寂しく感じたのが給食の時間です。配膳の開始とともに、当番の子が黒板に大きく『サイレントタイム 12:30』と書きました。
12時30分からみんなそろって「ごちそうさま」するまでは食べる以外、口を動かしてはいけません。
子どもたちは全員前を向いて黙々と食べています。コロナ前は、私たちのころと同じように各自の机をくっつけて和気あいあいと食事をしていたのに。先生は、少しでも子どもたちが話すと、「しゃべりません。もういけません」と注意していました。楽しいはずの給食が、ちっとも気持ちの弾まない時間に見えました。
そんな子どもたちの様子を見て、気に掛けていた人がいます。3年2組担任の中谷佳子先生です。でも、毎日子どもたちと一緒にいながらその声に耳を傾ける余裕がなかったといいます。
去年、最初の緊急事態宣言の時は、突然の休校でオンライン授業の準備に追われました。先生も子どもたちも、慣れないリモート環境での授業に3か月間、四苦八苦。休校が明けたら、今度は子どもたち1人1人の体温や体調を把握するため「健康カード」を毎朝チェックすることになりました。
コロナの感染状況が変化する度に、授業や学校行事の見直しも迫られます。ただでさえ多忙な教員の仕事に、コロナの対策が拍車をかけたのです。
また、話を聞くにもその方法を考える必要がありました。ただ質問して話したり、アンケートをとったりするだけでは、事実の羅列やどこかで見聞きしたような内容にとどまり、心の奥底にある子どもたちの素直な思いまでは引き出せないことは、これまでの教員経験で想像できました。子どもたちが、自らの心の内をはきだせるようにするにはどうしたらいいのか、アイデアが必要でした。
その日、中谷先生は「千葉県と疫病-くり返す脅威-」という千葉県文書館の企画展を訪ねていました。社会科が専門の中谷先生にとって、“いま”の社会問題であるコロナを教材にすることは日頃からの課題です。10年前の東日本大震災の時も試みたかったものの、うまくいきませんでした。幕末以来、千葉県内で流行したさまざまな感染症について、その当時書かれた資料を見れば、何かヒントになるのではないかと思ったのです。
ひとつの資料に目がとまりました。大正時代、スペイン風邪がはやったときに書かれた12歳の少女の日記です。文章から、当時少女が抱えていた不安や重苦しい気持ちが実感を持って伝わりました。子どもたちに、こんなふうに今の気持ちを書いてもらえたら・・・ 中谷先生はそのための授業を考えることにしたのです。
中谷佳子教諭
「今の率直な思いとか、今のコロナという現状を小学生としてどういうふうにとらえてるかを文章に残すことが一番の目的で、それは子どもにとっても、それを読む担任である私にとっても、何かしらのメリットがあるんじゃないかと思っています」
「コロナに対する思い」を書き残すため、中谷先生は5回にわたる社会科の授業を考えました。
まず見せたのは、スペイン風邪の危険性を伝えるおよそ100年前のポスターです。絵を通してわかりやすく流行性感冒の感染の仕方やその予防策を知ってもらおうと、大正9年に内務省の衛生局が作成したものです。
『恐るべし「ハヤリカゼ」の「バイキン」!』『マスクをかけぬ命知らず!』との警告文が目立つポスター。周りの乗客が黒いマスクで口元を覆う中で、大きな口を開けて寝ている男が描かれています。男の口に吸いこまれるように描かれた赤い矢印は「バイキン」を表しています。
何これ?
そん時に流行した病気ってこと?
別の日には、当時使われていたマスクを見せるなど、100年前の日本にも今のコロナと同じような病気がはやった時期があったことを教えました。
次に、同じ時期に書かれた少女の日記を見せました。
大正時代の少女の日記より
1918年(大正7年)10月22日(火)
「この頃は大変嫌な風邪が流行するので先生も父母も気をつけよとおっしゃる」
11月2日(土)
「学校は今日から4日間お休みになった。学校は264人ほどの欠席があった」
それって全校レベル?
このころでは、そういう病気をコロナみたいに感じてたのかな
少女の日記から、子どもたちは当時の状況を正確に読み取ることができました。
4日目の授業では、歴史の専門家に出張授業をお願いしました。千葉大学教育学部の小関悠一郎准教授です。小関さんは、少女の日記の様に「文章が残されているから100年前のことがわかる」こと、それが後世の人にとっていかに役立つものかを話しました。
千葉大学の小関悠一郞准教授
「子どもの気持ちとか、どんな暮らししてたのかなとか、ちゃんと書いてあったら100年後の子どもたちもそういうのを習ってみたいなと思うかもしれません」
小関准教授の話を受けて、中谷先生は「アンネの日記」を例に出し、子どもの視点で世相を記した文章が、とても貴重なものであることを伝えました。
そして、5日目。中谷先生が子どもたちに呼びかけました。
すると、子どもたちは、中谷先生の想像以上の集中力で書き始めました。中には3枚、4枚と手が止まらない子もいます。
みんなの顔もあまりわからないこともあるからマスクを早くとりたいし、みんなでわらいたいからコロナウイルスはなくなってほしい
みんなと歌をうたいたいことと、はやく、学校がもとにもどってほしい
大人への苦言や姉弟への気遣いも見られました。
友だちと会えなかったり、ママがイライラしてぼくにやつあたりしたり、1日の終わりにはため息をついてしまう
じゅけんとかをやる人がかんせんしたら、そこで自分の人生が決まるのに、ぜんぶなくなってしまう/もし自分がかんせんしたら(受験を控えている)お姉ちゃんに申しわけない
コロナウイルスのよぼうは自分のためだけでなく、せかいのみんなのためにやっていることだと私は思います。/世界のための「仕事」つまりはたらいているのではないかと思います。/せかいのための「仕事」を全員してほしいと思いました
また、コロナのおかげで学校が好きになったと書いた子どもが何人もいました。
さいしょは学校休めてラッキーだと思ってて家でのんびりしたり、家で遊んだりしてサイコーだと思っていたけれど… ある日そんな日がつまらなくなって早く学校へ行きたくなりました。学校でみんなと話したり考えたり、みんなとかえったりとうこうしたり、そんなことがしたくてしたくてたまらなくなりました
ようやく聞き出すことができた子どもたちのコロナに対する思い。その不満や不安を完全に拭い去ることはできませんが、小学校が子どもたちの緊張を少しでも和らげることで、前向きに学校生活をおくれるようにならないかと中谷先生は考えています。
中谷佳子教諭
「欲求を解消してあげるというよりは、学校は楽しいところだなっていう、そういうふうに子どもたちが思ってくれるような授業を作っていってあげたいなと改めて思いました」
いま、中谷先生は、道徳の時間に「コロナ禍の1年で成長できたか」を発表し合い、4年生に向けてどうしていきたいか話し合う授業を計画しています。
これまで子ども番組の制作や教育問題を取材してきました。子どもの日々の生活の悲喜こもごもや、コロナによって失われたことは、大人が思うよりもとても大きいものです。自分に子どもがいないので恐縮ですが、大人の理屈ばかりを押しつけず、少しでも子どもの立場や視点にたって、家庭や学校生活が改善していけばいいなと願っております。緊急事態宣言のさなか、撮影にご協力いただいた附属小の先生や児童に感謝申し上げます。