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戦争が父の心を壊した ~戦後75年 知られざる戦場のトラウマ~

  • 2020年12月11日

「父親として失格、こういう男にだけはなるまいと思っていた」
戦争から帰ってきた父親について、ある男性が抱き続けた思いです。戦場で過酷な体験をしたトラウマからアルコール依存や無気力など、戦後、さまざまな症状に苦しんだ元兵士たち。その苦しみは、家族にも大きな影響を与えていたことが近年明らかになってきました。
戦後75年、ようやく語られ始めた戦争の傷あとを取材しました。
(首都圏局/梅本肇)

“戦争で父は変わった“ 開かれた家族の語りの場

PTSDの日本兵と家族の交流館

東京の武蔵村山市、住宅街にある民家の前に建てられたおよそ6畳ほどの建物。ことし5月に開かれた「PTSDの日本兵と家族の交流館」です。中には、日本兵が抱えた戦場でのトラウマに関する書籍や展示が並んでいます。

これまで300人以上が訪れ、戦場のトラウマによって引き起こされた元兵士の行動について家族が語り合う場にもなってきました。

この日、海軍の兵隊だった父親に幼少期から言葉の暴力を受け続けたという女性が訪れていました。

父親が海軍の兵隊だった女性
「何かあるとすぐどなられた。異常だと思っていた。いつもは猫や犬、子どももかわいがったりしてるのに、がらっと人格変わっちゃう。だから怖かったです。何で逆鱗に触れるかも分からない」

父親が亡くなる直前に、夢の中で兵士時代に体験した「撃沈された船の中の光景」にうなされる姿を見て、女性は父の言動の背景に戦争のトラウマが横たわっていることに気づかされたといいます。

“こんな男にはなるまい” 父を見放していた息子

黒井秋夫さん

この施設を作った黒井秋夫さん(72)です。自宅の前に交流館を建て、自費で運営しています。亡き父親に対するある後悔の念が黒井さんを突き動かしました。
 

陸軍時代の黒井慶次郎さん

黒井さんの父・慶次郎さんは、20歳で陸軍に入隊し武漢など中国戦線に計7年間従軍。33歳の時に中国で終戦を迎えた後、中国軍の捕虜となり、34歳で帰国しました。黒井さんが生まれたのは、その2年後のことです。
軍曹として常に最前線で戦っていた慶次郎さんの当時のアルバムには、「昭和維新をかざる導士たらねばならない」といった勇ましい文言が並び、数多くの戦闘に参加したことも読み取れます。

しかし、黒井さんの知る父・慶次郎さんは、アルバムから連想されるような活動的な人物では全くありませんでした。

晩年の慶次郎さん

慶次郎さんは、黒井さんが幼い頃から一度も定職に就くことなく、家では何もせず、言葉を発することさえほとんどなかったといいます。慶次郎さんが定職に就かないため、一家は貧しい暮らしを強いられることになりました。さらに、慶次郎さんは1人で何かを行うことを極端に怖がり、病院に行ったりするのにも妻を伴わないと行くことができなかったといいます。

-なぜこんな状態なのか この親のせいで貧乏なくらしをさせられている-
理由も分からないまま、ただただ働かない無気力な父親の姿を見て、黒井さんは次第に反感を募らせていきました。

黒井さん
「家の主としても失格だし、子どもを持つ父親としても失格だし、尊敬というようなこととはもう真逆で、本当にこういう男にはなるまい、と。家族持つとしてもこういう人間には絶対ならない、家族を貧乏にするような人間には絶対なるまいと思っていました」

なんという親不孝をしてしまったのか

反感を持ったまま、30年前に父・慶次郎さんをみとった黒井さん。しかし5年前、慶次郎さんの生前の行動について考え直す大きなきっかけがありました。

ベトナム戦争に従軍したアメリカの海兵隊員の講演を聴いた黒井さん。兵士は、帰国後戦場で受けた精神的なストレスからPTSDを発症し、家族へ言葉の暴力を振るうなど関係を築けなかったと語りました。

思い返すと生前、戦争のことについて一度も話すことは無かった慶次郎さん。
-父は戦地での体験を人知れず抱え、苦しんでいたのではないか-
黒井さんには、涙ながらに経験を語る海兵隊員の姿と、家で何も発さずただただ無気力だった慶次郎さんの姿が重なって見えたといいます。

講演を聴いた瞬間に黒井さんは涙を流し、父との思い出について思いつく限り、紙に書きなぐったといいます。

黒井さん
「父親は本当はしゃべりたい事いっぱいあったはずですよね。『俺はこうじゃないんだ』って。子どもが自分をどういうふうに見てるかを、父はいやってほど分かってたと思うから。戦争が引き金になって、父親の心は壊れていたのだとしたら、俺はとんでもない思い違いと親不孝をしていた。父親に優しい言葉ひとつかけてやれなかった。そういう父親に対する申し訳なさが本当に一瞬にしてバーっとこみ上げてきます」

“75年経ったからこそ” 出てきた 戦争の傷あと

戦争が日本兵の心の残した深い傷あと。戦後75年もの間、その実態がほとんど語られてこなかったのはなぜなのか。この問題に取り組む、広島大学大学院人間社会科学研究科の中村江里准教授にリモート取材しました。

中村江里准教授

まず最初に聞いたのは、黒井さんの父の無気力はやはり戦争の影響だったのか、ということです。中村さんは、元兵士のトラウマによって引き起こされる症状の具体的な例として次のようなものを挙げてくれました。

中村准教授
「(兵士のトラウマは)精神的あるいは身体的な症状として出る。例えばアルコールとか薬物の依存症っていう形で現れたり、あるいは自分とか他者に対する暴力として現れる。自殺願望があったりとか家族に対する暴力として現れるようなこともあります。無気力で何もやる気がなくて、仕事もせずにブラブラしてるというようなこともよく言われたりします」

そのうえで、この問題がこれまで表立ってこなかった理由について中村准教授は次の考えを示してくれました。

中村准教授
「何でこういうふうになってしまったのか、というのはよく分からないけれども、お父さんが暴れているとかお酒を飲み過ぎているとか、そういう問題だけが目に付いてしまって、背景が分からないまま、自分の父親やおじいさんを “恥ずかしい存在” というふうに思ってしまう。そのような具合に “家族の中だけの秘密” という形で受けとめられてきたのではないか」

父親の行動に目を奪われ、心の奥の深い傷に気づくことができなかった家族たち。一方で、父親たちがその苦しみを語ることはなかったのでしょうか。

中村准教授
「その当時はPTSDというような診断名もなかったですし、どちらかというと兵士個人の弱さという問題として捉えられていたわけです。身体的な外傷に比べるとなかなか分かりにくいというようなところもありまして、その分、周囲から『病気が戦争によって起きたのではないのではないか』『その人個人の問題なのではないか』と、疑いのまなざしを向けられやすいという側面もあると思います。
この問題は、戦争が終わったあとも続く、世代間にわたる長期的な問題という側面があると思います。それが75年経って、距離を置いて見ることができるようになったことで、少しずつ語られるようになってきた。目に見えるようになってきた」

“恥“ だった父親

野崎忠郎さん

黒井さんの活動を知って、父親との経験を語り始めた人もいます。野崎忠郎さん、80歳です。
 

野崎さんの父 幸郎さん

父親の幸郎さんは、軍医として満州や激戦地のニューギニアに従軍しました。戦後医師として働き始めた幸郎さんでしたが、7年ほどすると記憶がなくなるまで酒を飲むアルコール依存の状態になり、薬物にも手を出すようになりました。

当時、思春期を迎えていた野崎さん。酒や薬物に染まっていく父の姿を見て、複雑な感情を抱くようになりました。

野崎さん
「こんな親はいやだなっていう思いが強かった。自分の事よりもむしろ他人に知られたくないっていう、だから友達つくらなかった」

幸郎さんは、野崎さんが40歳の時、自ら命を絶ちます。幸郎さんが亡くなって40年、野崎さんは父親のことを今まで他人に語ることはありませんでした。

野崎さん
「話せなかったんですよね。やっぱり恥だった。父の事を話す事が自分自身に非常にダメージを与えちゃう」

しかし野崎さんは、家庭内暴力やアルコール依存など、戦後の生活の中で元兵士の家族たちを苦しめた様々な経験が掲載されている黒井さんのホームページを見たとき、自分も経験を残すことで、家族たちにも苦しみがあったことを伝えていかなければならないという気持ちになったといいます。そして、父のことをつづった手記を黒井さんのもとに寄せ、自身の経験を初めて他人に語りました。

野崎さんが寄せた手記

野崎さん
「自分にとって1つ何か殻が破れたっていうか。(人生の)最後のとこへ来ちゃってね。やっと、言葉に出せるようになったっていうか」

つぶやくように語られたその言葉に、野崎さんの心を縛り付けてきた問題の重さを感じました。

経験を “無かったこと” にしたくない

野崎さんは、黒井さんの活動を知ったときのことについて、次のように語っています。

野崎さん
「 “パンドラの箱をあけた人がいるんだ” みたいな感じでしたね。直接知ってる人ってだんだんいなくなっていると思うんですよね。だから下の世代に届くかどうか分からないけれども、メッセージをやっぱり死ぬ前に残していかなきゃいけないなって」

今回、取材を通して感じたことは、戦争に関わった当事者たちが戦後の生活で抱えた苦しみを目の当たりにしてきた家族だからこそ、これまで語ることができなかった経験があること。そして、ようやく語り始めた家族たちは、その事実を無かったことにしないために、戦争を知らない若い世代にも広く知ってほしい、という強い思いを持っているということでした。

交流館を主宰する黒井さんは、取材の最後に交流館へかけた思いを語ってくれました。

黒井さん
「この交流館を建てたのは、父へのつぐないみたいなものです。私は戦争のせいだとすら思わないまま父のことを見放していた。戦争の当事者たちは亡くなった方も多いけど、私たち子どもの世代はまだ語れることも多い。戦争が、今にも続く長い影響をもたらすことを私たちの経験から知ってほしい」

75年越しの家族たちの言葉は、戦争が私たちに与えたとめどない影響の大きさを突きつけています。

 

「PTSDの日本兵と家族の交流館」
https://www.ptsd-nihonhei.com
電話 080-1121-3888

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