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原爆の図が伝える記憶

戦後75年 考えよう平和のこと
  • 2020年8月17日

終戦の日、75年前の記憶をどう受け継ぐか、ある絵を通して考えます。
真っ黒に焼け焦げた赤ん坊。かわり果てた姿で抱き合っている姉妹。埼玉県の丸木美術館に展示されている『原爆の図』。広島・長崎の被爆の実体験をもとに描かれた全15部からなる連作です。終戦から5年後に発表され、多くの人々に原爆の悲惨さを伝えてきました。

原爆の図はこうして生まれた ~作者・丸木夫妻の歩み~

1945年、8月6日。広島に原爆が投下され、およそ14万人が命を奪われたとされています。
しかし、GHQの占領下にあった日本では原爆の情報は厳しく制限され、人々にその実態は知らされていませんでした。

こうしたなか立ち上がったのが、広島出身の日本画家、丸木位里と、妻で油彩画家の俊です。

夫の位里は、原爆で叔父と姪、そして父親を亡くしました。
二人は広島で被爆者への取材を重ねその証言を元に『原爆の図』を描き始めたのです。

そして、完成した絵を携えて全国各地へ。
GHQによる情報統制の中、およそ100万人が絵を通じて、原爆の悲惨さを知ったといわれています。

【原爆の図 第3部『水』】
人々は水を求めてさまよいました。
傷ついた母と子は、川をつたって逃げました。
死体の山がありました。
眼や口や鼻がなるべく見えないように積み重ねてあったのです。
まだ目玉を動かして、じっと見ている人がいました。

その後、埼玉県東松山市に移り住んだ丸木夫妻は美術館を建設しました。
32年の歳月をかけ、描き連ねた全15部にもおよぶ原爆の図。平和を考える絵として多くの市民に支えられてきました。

コロナで拍車がかかる “継承の危機”

原爆の図 丸木美術館 学芸員の岡村幸宣さんは、中学生の頃に出会った原爆の図に衝撃を受け、19年前から「絵を多くの人に伝えたい」と、ここで働いています。
しかし近年は、年を追うごとに入館者の数が減少。更に今年は新型コロナウイルスが追い打ちをかけ、2か月に渡る休館を余儀なくされ、収入が断たれました。

岡村幸宣さん
「本当だったら扉を開けて みんなに絵を見てもらい、命について考えてもらうことが大事なんだけど、今回は命を思えばこそ閉めなければいけない。みんなが守ってきたものについて考えざるを得ないですよね」

4000を超える寄付 “被爆二世” の思い

こうした中、岡村さんのもとには次々と応援のメッセージが寄せられました。
国内外からの寄付はおよそ4500件にのぼり、その多くは、原爆の図を見て心を動かされたという人たちからでした。

寄付をしたひとり、東広島市に住む元中由実さんは、被爆した母親のもとに生まれたいわゆる被爆二世です。

母の弘恵さんは4年前、88歳で亡くなりました。
元中さんが原爆の図を初めて見たのは母の死から2年後のことでした。

元中由実さん
「わ――ってこみあげるものがあって。母がその中から生き延びて私を産んでくれたという、それしかなかった」

75年前、当時17歳だった母の弘恵さんは 爆心地から2キロの場所にある軍事工場で被爆しました。
自宅へと急ぐ中、悲惨な光景を目の当たりにしたといいます。

元中由実さん
「道端には目玉が飛び出た子どもとか、いっぱい横たわっている。本当に “地獄絵図” のようなところを、とにかく自宅に戻ったらしいんです。それを聞いていたから、なおさら原爆の図を見たとき、『母はこの中を必死で戻ってくれたんだな』と思って」

 

学生への鑑賞会 “誤読” とは

4000を超える人々から後押しを受け、再開にこぎつけた丸木美術館。
岡村さんは原爆の図を次の世代に伝えていくため 新たな試みを始めました。

『この丸木美術館、今年で開館から53年目を迎えます』
地元の大学生に向けたオンライン鑑賞会です。この日は16人の学生が参加、岡村さんは学生たちに原爆の図の独自の解釈を話し始めました。

「この画面は白い絵の具が上から霧のようにかかってるんですね。これがもしかしたら目に見えない、人間にもたらす脅威を象徴しているのかもしれない、ということを 私は2011年、福島・第一原発事故のあとに気がつきました」

絵から何を感じるのか。それは時代背景や見る人の境遇によって、変わるのだと伝えたかったのです。

岡村幸宣さん
「絵は時代によって見方、読み方が変わっていくものです。作者の意図を超えて時代状況を反映することもあると思います。 “誤読” かも知れないけれど、その誤読が 今の私たちの生きている時代と丸木夫妻が描いた当時を接続させることがあるかもしれない」

 

岡村さんから投げかけられた “誤読” 。学生たちは自分なりの絵の解釈を語り合いました。

男子学生
「僕の感じ方ですけど、『見ないでくれ』と言われているような感じがして、描かれた人からしたら、この人ってどう思うんだろう。『私の人生ってこの1点だけじゃないのに』その一人一人の過去には、悲惨だけじゃない人生があることに気付いた」

女子学生
「その場にいる人って本当に悲しんでいるのかなと思った。もう本当にぼろぼろになった人が、死んだ子どもを抱えたときに、悲しいというよりも感情が無になるのではないかなっていうことをすごく感じて…」

後日、岡村さんのもとに届いたリポートには、学生たちなりの “誤読” が記されていました。

岡村幸宣さん
「若い人が戦争に無関心で継承ができない。ある意味当たり前のことだから、今の人たちに伝わるように、つながるようにするには何が必要なのかを考えるのが大事で、そこがうまく接続できれば、今の人たちだって、原爆の図のような戦争の物語、問題に、心を動かされるんじゃないかという気はしている」

記憶を紡ぐ “原爆の図”

8月6日、原爆の図は広島県内の奥田元宋・小田女美術館に特別展示されていました。
そこには丸木美術館に寄付をした被爆二世、元中さんの姿がありました。
再び原爆の図を前にして、75年前、惨状を目の当たりにした母に思いをはせます。

元中由実さん
「 “痛みの橋渡し” というかね、それができる作品だと思いますので。この原爆の図に絶対残ってもらわなくちゃいけない」

過去、現在、そして未来へ。あの日の記憶が紡がれていきます。

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