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松本零士さんを悼む 銀河鉄道999メーテルと鉄郎の銅像ある練馬では

  • 2023年2月21日

「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」など宇宙や冒険をテーマにした壮大なSF作品で知られる漫画家の松本零士さんが、2月13日、亡くなりました。85歳でした。地元、東京・練馬区には献花台が設けられ、ファンが花を手向けて別れを惜しんでいました。松本さんの足跡や地元との関わり、長年親交のあった漫画家のちばてつやさんのメッセージです。

地元の練馬区 大泉学園駅のデッキに献花台

漫画家の松本零士さんは、福岡から上京後、東京・練馬区で長く活動しました。練馬区の名誉区民に選ばれていて、区は地元の大泉学園駅のデッキに献花台を設置しました。
21日は午前中から多くのファンが訪れ、花を手向けたり手を合わせたりして、松本さんの功績や地元の活性化に貢献したことをしのんでいました。

「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」…

松本零士さんは福岡県出身で、15歳のときに雑誌に投稿した漫画が掲載されてデビューし、その後、上京して本格的に漫画家の活動を始めました。
「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」、「宇宙海賊キャプテンハーロック」などはテレビアニメとしても放送され、松本アニメのブームを巻き起こしました。

こうした功績で2001年に紫綬褒章、2010年には旭日小綬章を受章しています。海外でも高く評価され、2012年にフランス芸術文化勲章を受章しています。

練馬区で長く活動 メーテルと鉄郎の銅像も

松本さんは、東京・練馬区で長く活動し、2015年には大泉学園駅の前に、「銀河鉄道999」に登場するメーテルと鉄郎の銅像が設置されました。
訃報が伝えられた20日、銅像には、花や松本さんの作品に登場する銃のおもちゃが添えられ、銅像を撮影する人の姿も多く見られました。

 

さみしいですね。訃報を聞いてすぐ来ようと思いました。

これ以上ないような地元の英雄です。何か分からないけど人生で大事な物をいただきました。

“僕は生涯、大泉に住み続けるから”

松本零士さんの地元にある東京・練馬区の大泉学園駅前の商店街は、松本さんにデザインしてもらったマスコットキャラクターの「ゆめーてる」にちなんで、「ゆめーてる商店街」という愛称で親しまれています。商店街にある創業およそ60年の文房具店には松本さんがたびたび訪れ、ペンや色鉛筆などを買い求めていたということです。

店主の矢治忠夫さんは、「気さくな方で、月に1度くらい、ふだん着でふらっと買い物に来ていました。ここ2年くらいは来ていなかったので気にしていました。訃報を聞いて驚きましたし、とても残念です」と話していました。

矢治さんが、15年ほど前に商店会の副会長をしていた際、商店街の盆踊りで子どもたちに配るうちわに松本さんのサインとイラストを印刷したいと頼んだところ、快く応じてくれたそうです。

矢治忠夫さん
「松本さんは、『僕は生涯、大泉に住み続けるからそのために協力するよ』と言ってくださり、盆踊りにも顔を見せてくれました。ご協力いただいて感謝しています。先生にいただいたものを大事にして、商店街を盛り上げていきたいです」

長年親交のあった漫画家ちばてつやさん

松本零士さんと長年親交のあった漫画家のちばてつやさんは、公式ホームページに追悼メッセージを掲載しました。

松本零士さんが高校を卒業して北九州の小倉から上京したばかりのツメエリ姿、当時19歳の彼と出会って60年以上が経ちました。
ワシもデビューした翌年の18歳。
同じマンガ家の卵、トシが近いせいもあって意気投合、本郷三丁目にあった西陽差し込む4畳半の彼の下宿にはよく遊びに行ったものです。
二人ともまだ稼ぎも少なく満足に食べられなくてね。
松本さんはよく「座布団のようなビフテキを食べたい!」なんて言いながらマンガを描いていました。
二人そろって締め切りに追われ、同じ旅館にカンヅメにされて一緒に机を並べて仕事をしたものです。
当時からワシは遅筆だったので、先に原稿を終わらせた彼に手伝ってもらうこともありました。
忙しい盛りの40歳の頃に、一緒に世界旅行にも行きました。
その時に訪れたアマゾン川やマチュピチュの遺跡などはいちばんの思い出です。
コロナ禍もあってしばらく会う機会もなく、ぼんやりと心配はしていたのですがまさか・・・言葉もありません。
ここ数年、親しいマンガ家仲間が次々と旅立って淋しい思いをしていたのに、君も逝ってしまったのか。もう・・・体中の力が抜けていくよ。

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