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渋谷“実践教育”を高校生に 教師生活35年 平野篤士校長

  • 2022年12月22日

JR渋谷駅から徒歩15分。渋谷の街なかに位置する東京都立第一商業高校。

地元の企業や商店街と交流を深め、高校生が「生きた教材」を通じて、実践的にビジネスを学ぶ授業をはじめました。

教師生活35年の平野篤士校長にねらいと教育現場に対する思いを聞きました。

聞き手:山田朋生 アナウンサー/取材・撮影:伊津見総一郎

教師としての原点 “渋谷”

山田アナ

教師になったきっかけを教えてください。

平野先生

もともと教師にはなりたくなかったんです(笑)

本当ですか!?

親戚に教師が多く、違う職業につきたいと思っていました。大学時代は民間企業のサラリーマンを目指し就職活動をしていました。最初はなかなかうまくいきませんでしたが、最終的に数社から内定をもらいました。

そこからなぜ教師になろうと思ったんですか?

大学卒業前に学習塾でアルバイトをしました。勉強を手伝い子どもたちが成長する姿を目の当たりにすることが楽しかったんです。人の人生の力になれることがうれしくて充実感がありました。

結局、企業の内定は断って、そのまま塾で働きました。免許は取得していなかったので、夜間に塾の仕事をしながら大学の聴講生などの制度を利用して2年間勉強しました。

睡眠時間が短かくとにかく大変でした。弟が銀行に就職が決まったときには焦りも出てきて、「自分は何をしているんだろう」と思いました。25歳で何とか教師になれたときはホッとしましたね。

都立第一商業高校

教師として印象に残っていることはありますか?

実は教師の新人時代を過ごしたのが第一商業高校なんです。

新人時代の平野篤士 校長

ご縁があるんですね!

まさか校長となって戻ってくるとは思ってもいませんでした(笑)。渋谷では青春を大満喫しました。私にとって渋谷は「音楽の街」でよくライブハウスやフェスに通ったことはいい思い出です。

仕事ではやる気に満ちあふれる熱血教師でした。当時、商業高校は大学進学率は2割、8割ほどの生徒が就職希望でした。自分自身の就職活動や塾で働いた経験が役立つのではないかとやりがいありましたね。

20代を渋谷で過ごし、第二の故郷であり自分の原点だと思っています。

なぜ、高校生に地域と交流した教育を経験させようと思ったんですか。

教科書や問題集を使った勉強も大切ですが、渋谷の街に直結した『生きた教材』を使う意義は計り知れないと思いました。

学校以上に地域にはもっともっと多様な人があふれています。地域とつながることでいろいろな経験をしてさらに成長してほしかったんです。

“意味のない時間はない”

生徒は悩むときもあると思います。どのような言葉をかけていますか?

私も人生、悩んでばかりです。大学入学は1年浪人しました。教師になるのも少しだけまわり道しました。

生徒もときには「意味のない時間を過ごしてしまった」と思うこともあるかもしれないけど、何年後か何十年後か役に立つことがきっとあると思います。本当に無駄な経験はありません。

私は気がつけば教師生活35年、来年で60歳の定年を迎えます。少しだけ先を生きる先輩として、どんな経験もきっとどこかで生きると強く伝えたいです。

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