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日本にパンダが来て50年! 上野動物園にぎわう 当時の飼育担当者は・・・

  • 2022年10月28日

日中の国交正常化を記念して、東京・台東区の上野動物園に初めてジャイアントパンダのオスの「カンカン」とメスの「ランラン」が贈られ、10月28日でちょうど50年となりました。日本で初めてパンダを受け入れた東京の上野動物園では、記念のイベントが開かれてにぎわいました。50年前、飼育に携わった獣医師が当時を語りました。

50年前の10月28日 日本にパンダ!

昭和47年 「カンカン」と「ランラン」日本へ

今からちょうど50年前の昭和47年10月28日、日中の国交正常化を記念して、東京・台東区の上野動物園に初めてジャイアントパンダのオスの「カンカン」とメスの「ランラン」が贈られ、パンダブームを巻き起こしました。

これまでに上野動物園が飼育したパンダは15頭にのぼります。
28日は上野動物園に大勢の人が訪れ、2021年に生まれた双子のパンダを写真に収めるなどして楽しんでいました。
 

群馬県から娘と孫と訪れた 60代 女性
「小学生ときに『カンカン』と『ランラン』を見たことを覚えています。これからも元気に育ってほしいです」

神奈川県から訪れた 女性
「かわいいパンダを見られるのは飼育員の方のおかげで、50年間飼育してきた方々にお礼を言いたいです」

上野動物園 記念イベント開催

園では、先週から50年を記念するイベントが行われていて、28日からは「カンカン」と「ランラン」が移動する際に使われたおりの展示が始まり、訪れた人は興味深げに眺めていました。

このほか、園のパンダの歴史を伝えるパネル展もきょうから始まり、日本生まれの赤ちゃんとして初めて公開された「トントン」や初の自然交配で生まれ育った「シャンシャン」など歴代のパンダを写真で振り返ることができます。

上野動物園教育普及課 大橋直哉 課長
「50年を迎えられて本当にうれしい。この日を迎えられたのも、飼育方法が代々受け継がれてきたからで、次の世代にも引き継いでいきたい」

上野動物園とパンダ 50年の歴史

上野動物園にジャイアントパンダが来たのは、50年前の昭和47年10月28日です。
日中の国交正常化を記念して、オスの「カンカン」とメスの「ランラン」が中国から日本に初めて贈られ、珍しい動物を一目見ようと動物園には大行列ができるなどパンダブームを巻き起こしました。

その後、昭和55年には、メスの「ホァンホァン」が、昭和57年には、日中国交正常化10年を記念してオスの「フェイフェイ」が贈られました。

昭和61年、動物園は長年取り組んできた繁殖を成功させ、メスの「トントン」が日本生まれの初のパンダとして公開されました。名前の公募にあたっては27万通が集まるなど人気を集め、平成12年に死ぬまで14年あまりを動物園で過ごしました。

この50年で、パンダがいなくなった時期もありました。
平成20年にオスの「リンリン」が死んで、パンダがいなくなるとその年度の来園者は、60年前の昭和23年度以来、300万人を下回りました。

そして、平成23年にオスの「リーリー」とメスの「シンシン」がやってきて、再び動物園でパンダが観覧できるようになりました。この「リーリー」と「シンシン」は、初めて自然交配で平成29年にメスの「シャンシャン」を、去年はオスの「シャオシャオ」とメスの「レイレイ」を誕生させました。

現在、動物園には5頭のパンダがいますが「シャンシャン」については、5歳になって繁殖の適齢期を迎えたことから、年末までに、中国に返還されることになっています。

50年前 飼育に携わった獣医師は・・・

上野動物園に初めてジャイアントパンダがやってきた50年前、飼育に携わったひとり、獣医師の成島悦雄さん(73)です。成島さんはパンダが来た同じ年の昭和47年に東京都の職員となり、新人飼育員として配属されたのが上野動物園でした。

当時、パンダを実際に見たことがあるのは約50人にいた飼育員のうち1人しかいない上、園にあったパンダに関する資料も3つしかなく、このうち、2つは英語だったということです。
英語の資料を訳した成島さんは、パンダへのイメージが変わったといいます。

獣医師 成島悦雄さん
「『アメリカの動物園のパンダが飼育員にかみついて重傷を負わせた』という部分を訳して、見た目と違って怖い印象を持ったことを覚えています。また、竹が餌だといっても、どの種類の竹を食べさせればいいのかもわかりませんでした。今はインターネットで何でも調べられますが、情報の砂漠にいるような感覚でした」

飼育は手探り状態で、「カンカン」と「ランラン」の2頭については、健康状態をチェックするため、24時間態勢で観察し続けたということです。

獣医師 成島悦雄さん
「パンダ舎に泊まって5分に1度、パンダの様子を確認して、異常があれば上司にすぐ連絡しました。夜のパンダは基本的に寝ていて、ときどきベッドから起き上がって、床にうんちやおしっこをして、また眠るんです。本当にお寝坊な動物だと思いました」

それから、ほかの動物園で経験を積んだあと、平成9年に上野動物園に戻ってきた成島さんは、人工繁殖に取り組みました。成功はしなかったものの、成島さんらが初めて行った内視鏡を使った人工授精は、今でも欠かせない技術として受け継がれています。

獣医師 成島悦雄さん
「パンダの発情のタイミングを見極めるのは本当に難しく、先輩の方々のノウハウなしには進められなかった。結果的に成功しなかったが、受け継がれた技術で今のパンダがいると思います」

そして、最後に「100年後も、ずっと日本人を和ませる存在であってほしい。また、かわいらしいパンダも絶滅が危惧されている動物なんだと知ってもらい、野生動物を保護する大切さも学んでほしい」と呼びかけていました。

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