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『平成の怪物』松坂大輔投手が引退 横浜高校ゆかりの人は

  • 2021年7月8日

プロ野球・西武は甲子園で活躍し日米通算170勝をあげた松坂大輔投手が今シーズンかぎりで現役を引退すると発表しました。横浜高校のエースとして甲子園で活躍し「平成の怪物」と呼ばれた松坂投手。高校時代を知る人たちの反応をまとめました。

甲子園で春夏連覇 西武や大リーグで活躍

松坂投手は東京都出身の40歳。1998年に横浜高校のエースとして、甲子園で春夏連覇を達成し「平成の怪物」と呼ばれました。

ドラフト1位で西武に入団し1年目から3年連続の最多勝など数々のタイトルを獲得しました。
2007年からは大リーグ・レッドソックスなどでプレーし、ワールドシリーズで日本投手として初めて勝利投手となりました。

この間、日本代表のエースとして、2回のオリンピックへの出場、そしてWBC、ワールドベースボールクラシックでは、1回目と2回目の日本の優勝に貢献し、2大会連続でMVPに輝きました。
その後、日本球界に復帰しソフトバンクでは勝ち星をあげることはできませんでしたが、中日では2018年に日本でおよそ12年ぶりとなる勝利をあげるなど、6勝をマークし、「カムバック賞」を受賞しました。

松坂投手は昨シーズン、古巣の西武に14年ぶりに復帰しましたが首の痛みや右手にしびれが出たため、去年7月にけい椎への圧迫を軽くするための内視鏡手術を受けました。
その後は再起かけて2軍で調整していましたが、公式戦での登板はありませんでした。そして球団はきょう松坂投手が今シーズンかぎりで現役を引退すると発表しました。

松坂投手は日米通算で23年間プレーし、プロ野球で114勝、大リーグで56勝のあわせて170勝をあげました。

西武 渡辺久信 ゼネラルマネージャー
「『メットライフドームで勝利する』ということを目標に厳しいリハビリに耐えながらここまでやってきました。ファンに自身の姿を見せることができていない日が続き、体調面もなかなか向上せず、ずっと苦しい思いをしてきたと思います。大輔は現在、体調面、精神面でも決して万全とは言えない状況です。今は双方の回復に専念をさせていただきたく、ぜひ皆さまには彼のことを引き続き、温かく見守っていただけますと幸いです」

最大のライバル PL学園との延長17回

横浜高校のエースとして甲子園で春夏連覇を達成した松坂投手。
最大のライバルは、大阪のPL学園でした。のちにプロに進み、「松坂世代」では初めてプロ野球・楽天で監督を務めた平石洋介さんがキャプテンを務めていました。

横浜は春のセンバツ準決勝で苦戦しましたが、3対2で競り勝ちました。
松坂投手は夏の甲子園優勝に向けて「PL学園はどこかで当たって倒さなければいけない相手。センバツが終わった後も意識するチームはPL学園だけだ」と考えていました。

そして夏は準々決勝で対戦することになりました。
松坂投手は序盤から失点し、苦しい展開となりましたが、野手陣が援護して5対5で延長に入りました。延長に入って横浜は2度、勝ち越しましたが、驚異的な粘りをみせるPL学園にすぐに追いつかれ、試合は17回までもつれました。17回に横浜がツーランホームランで、みたび勝ち越し、松坂投手がそのウラの反撃を抑えて横浜が9対7で競り勝ちました。
球史に残るこの試合で延長17回を1人で投げ抜いた松坂投手の球数は250球に達しました。

春夏連覇 決勝でノーヒットノーラン

松坂投手は翌日に行われた準決勝の明徳義塾高校戦では、先発のマウンドに立ちませんでした。チームは6点をリードされましたが、8回にようやく反撃し、4点をかえし、2点差まで詰め寄りました。そして9回のマウンドには、右腕のテーピングをはがした松坂投手が立ち、球場の雰囲気を一変させました。松坂投手が無失点で抑え、そのウラ、横浜が3点を奪って逆転サヨナラ勝ちし、決勝に進みました。

松坂投手は翌日に行われた京都成章高校との決勝でノーヒットノーランを達成。春夏連覇を成し遂げました。
今も語り継がれる甲子園での活躍が、「平成の怪物」と松坂投手が呼ばれるようになったゆえんです。

横浜高校時代の指導者は

横浜高校元監督 渡辺元智さん
「淡々と冷静に伝えてくれた。『長い間、ご苦労さん。まずはゆっくり休んで、落ち着いて会えるようになったら、本音を聞くよ』と言葉をかけた。最後の最後までやりとげてくれて、ご苦労さまという気持ちだ。手術を重ねてもどん底までやりたい、ボロボロになってもやりたいという中での断腸の思いだったのではないか。
入部当時はボールは速いけどコントロールがなかった。小さい頃からプロ野球にいく、大リーグにいくという夢を持っていたようで、しっかり目標を決めて相当な努力をしていた。要領がいいから選手の間からは『サボりのマツ』という呼び名も聞こえてきたが、それも2年生の夏まで。その後は練習の鬼だった。倒れるくらいのノックを耐えながらやっていた」

◯優勝した夏の甲子園について
「ふだんの積み重ねがあの奇跡を生んだ。決勝で最後はすごいボールを投げていた。横浜高校の伝統の新しい礎を築いてくれた」

◯期待すること
「彼が味わってきたことを子どもたちに伝えてほしい。スポーツはいつの時代も勇気を与える役割を担っている。野球のすばらしさ、我慢の大切さも教えられる。野球の発展のために頑張ってほしい」

横浜高校時代 バッテリー組んでいた人たちは

タレントの上地雄輔さん
「分かってたハズだけど、やっぱ少し…いゃスゲー淋しい。あいつが辛い時なんて言ったかなとか何回笑わせられたかなとか、心だけでも上手くリードできたのかなとか頑丈で傷跡だらけの心と身体。いっぱい休ませよう#松坂大輔 選手#俺を育ててくれてありがとう。これからも、しまっていこーぜ」

中日 小山良男スカウト
「彼はユニフォーム、僕はスタッフでしたが、2年間、中日で一緒にやれたことは
 嬉しかったです。常に世代のトップで走り続けていたので、とても大変だったと思います。
 大変な決断だったと思いますが お疲れ様でした」

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