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「国策」から「平和」へ 空襲伝える紙芝居

  • 2020年3月18日

東京の下町で、空襲や戦争を紙芝居で伝えている女性がいます。

戦時中は、自由な表現が難しかったという紙芝居。その歴史を教訓に女性が演じるのは、戦争を二度と繰り返さないことを願う「平和紙芝居」です。

「おばあちゃん、おばあちゃん、見て。飛行機の絵だよ」。

「ハルちゃん、これね、戦争の絵よ。戦争って知ってる?」。

三橋とらさんです。戦争を伝える紙芝居を、みずから作って演じています。

この日演じたのは、日本本土が初めて空襲を受けた、昭和17年のドーリットル空襲。

市民10人が犠牲になった東京・荒川区の尾久地区の被害を、子どもにも分かりやすく伝えています。

三橋さんが生まれたのは、“紙芝居発祥の地”といわれる荒川区。母親が街頭で演じる紙芝居を見ながら育ち、自然と紙芝居の道に進みました。ただ、当初は戦争を描くことは考えていなかったといいます。

三橋さんは「見ている人を笑顔にさせたりとか、楽しませたり笑わせたりするものだと思っていたんですよ。戦争の紙芝居を自分がやるなんて、みじんも思っていなかったですね」と振り返ります。

転機となったのは、紙芝居の歴史を知ったことでした。

出版社が保管している戦時中の紙芝居です。

童話の主人公の金太郎が、兵士になってアメリカ軍を倒す物語。幼稚園児に向けて作られました。

また、子どもが戦死しても健気に暮らし続ける母親の話。戦意を高揚し犠牲に耐えるよう呼びかけた「国策紙芝居」です。

明るく楽しい紙芝居を作っていた作家たちが、国に紙の配給を管理される中、相次いで作風を変えていきました。

三橋さんは、こうした紙芝居が当時見た人たちに大きな影響を与えたことを知りました。

「大好きな身近にある紙芝居が、かつて戦時中は、こういう風に戦争をするための武器みたいな感じで使われていたんだなと思ったら、洗脳だよね、これって。償いと言ったら変なんですけれど、そのために、今度は子どもたちを本当に幸せにするための紙芝居を全力で作っていこうねと」。

三橋さんの紙芝居は、空襲被害者から寄せられた体験と絵をもとに作られました。

堀川喜四雄さん。9歳の時にドーリットル空襲に遭いました。

自宅に焼い弾が直撃。逃げ出した先で目にしたのは凄惨な光景でした。

堀川さんは紙芝居の絵を見ながら「爆弾が落ちたので右腕がなくって倒れていた。私はこの道を通ってずっと逃げていって」と当日の様子を話しています。

堀川さんは隣の家族と一緒に逃げましたが、途中で仲良しのみさおくんがいないことに気づきました。

「どこかに、みさお君は遊びに行っているんじゃないかと。かもしれないと。それがいちるの望みだったんですけど。翌日焼け跡から焼死体で出てきたということです。かわいそうだったですね」と、堀川さんは表情を曇らせます。

しかし、みさおくんの死は世の中へ伝えられませんでした。

軍部は、敵機を撃墜し損害は軽微だったと発表。詳細は公表されず、堀川さんたちも口止めされたといいます。

堀川さんは「押さえ込んだと、もみ消した。うその上に成り立って、行け行けどんどんで戦争を始めた。やるべきでなかった戦争をやってしまった、そういう悔いがあります」と話しています。

堀川さんは空襲の実情を伝えようと、戦後60年以上たってから絵を描きました。そして三橋さんに体験や思いを託したのです。

三橋さんは迫真の演技で、紙芝居を通して堀川さんの思いを伝えます。

「『損害はたいしたことありません』。そう書いてあった。でも、私の大切な友達が、この空襲で亡くなってしまったんです」。

 

戦争の記憶を紙芝居で伝えようとしている三橋さん。

平和を描けなかった時代を胸に刻みながら、これからも体験者の思いを引き継いでいく考えです。

「『なんでそんな古い紙芝居やっているの』って、『未来があるんだから未来の紙芝居をやればいいじゃない』と言われるんですよ。戦争紙芝居じゃないんですね、平和を願うから「平和紙芝居」なんです。平和な今が、引き継げるためにやり続けなきゃといけないと思っているんです」。

  • 中村 雄一郎

    社会部

    中村 雄一郎

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