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東京大空襲から75年 “空襲孤児”苦難の体験伝える

  • 2020年3月12日

75年前の3月10日に起きた東京大空襲では、およそ10万人が犠牲になり、多くの孤児を生み出しました。

戦中・戦後の貧しい時代を、苦難に見舞われながらも生き抜いた「空襲孤児」たち。

孤児の高齢化が進む中、その体験を今に伝えようと取り組む女性を取材しました。

「3月10日のあの夜」。

「道路は黒焦げの死体で埋め尽くされ、防火用水の中には、火に追われた人たちが頭から つっこんで、真っ黒に燃え尽きていたそうです」。

「伯父は、わたしの顔を見るなり『お父ちゃんもお母ちゃんも死んじゃったよ』というのです」。

絵本『もしも魔法が使えたら 戦争孤児11人の記憶』の一節です。

絵本を描いたのは、都内に住む86歳の星野光世さんです。東京大空襲で両親を失い、孤児になりました。

当時11歳。戦後しばらく、親戚の家を転々としながら暮らしたといいます。

星野さんは「悲しいというのは通り越しちゃってますよね。生きるために。戦争で一番被害を受けるのは、自分の力で生きていけない子供じゃないかって」と振り返ります。

大人であっても、生きていくのが難しい、貧しい時代。星野さんは、苦難の中を生き抜いた、孤児たちの体験を絵本に描き、今に伝える活動をしています。

「戦争のためにこうなったんだと言うことを、これは残さなくてはいけないと思って」。

証言を集めるため各地の孤児を訪ね歩いている星野さん。この日は東京大空襲で両親を亡くした、埼玉県の女性を訪ねました。

この女性は「兄1人だけ生き残って、あと全滅だと知ったのね。親がいなくなって、私はいったいこれからどうするんだろうと、それが全くわからない状態で」と、当時の状況を伝えます。

食料が不足していた当時。女性が語ったのは、頼りにした親せきからも邪魔者扱いされたつらい体験でした。

「みんなに“おかわり”って手を出すから、私も茶碗を出したら“居候に二膳も食われちゃかなわない”って言われて、“あーそうか私は居候なんだ”って。親がいたときと、おじいさんの態度ががらりと変わったので、すごくびっくりしたのね」と語る女性に、星野さんも「親がいないから、どんなに痛めつけても、苦情がどこからも来ないでしょう」と応えます。

 

孤児たちから聞き取った様々な体験を、星野さんは絵と文章で丁寧に表現します。

大空襲で家族を亡くした終戦時3歳の女性です。

「私はお腹をこわしておもらしをしてしまいました。伯母は怒って、雪の降っている夜、私を外に連れ出し、氷の張っているバケツの冷たい水を私の体にかけるのです。『伯母さんごめんなさい、ごめんなさい』と、謝るしかなかったのです。『おまえも、親といっしょに死んでくれればよかったのに…』と伯母にいわれました」。

浮浪児狩りにあった終戦時10歳の男性です。

「リヤカーや、オート三輪に無理やり乗せられて、施設へ連れて行かれるのです。わたしたち浮浪児は、野良犬から今度はゴミになってしまったのです」。

 

これまでに15人の孤児の体験を描き上げました。今後も体力の続くかぎり、制作を続けたいと考えています。

星野さんはその理由をこう話します。

「戦争になるとこういうことになるんだよっていうことを、親がいれば何事もなく普通に生活できるのに、親をもぎ取られちゃったために、こういう思いをしないといけないんだということを、わかってくれたらいいと思います」。

星野さんが制作した絵本。その最後には、孤児の思いを詠んだ詩がつづられています。

 もしも魔法が使えたら

 四畳半ひと間の家でいい

 どんな貧しい家でもいい

 父さん 母さんがそばにいる

 ふつうの家庭に行ってみたい!

 

この星野さんの絵本は、書店などで購入することができるということです。

  • 松尾 愛

    NHK千葉

    松尾 愛

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