東日本大震災から、9年です。東北の沿岸の被災地は、今、人口減少、そして産業の担い手不足など、地域としての大きな課題を抱えています。
今回、お伝えするのは、東京の若者たちが、復興支援という枠を超え、ビジネスパートナーとして継続的に東北に関わろうと、模索する姿です。
毎月11日に、東京をはじめ全国各地で開かれる食堂があります。
その名も「きっかけ食堂」といいます。
震災の風化を防ごうと、大学生が中心となって、東日本大震災の月命日に東北の食材を使った料理やお酒を提供しています。
「バター醤油と赤ざら貝の酒蒸しになります」。
震災の3年後にスタートしたこの食堂。事務局長を務める、弘田光聖さんです。
都市部と東北をつなぐ橋渡し役になりたいと、仕事をしながら活動を続けています。
この日は、岩手県宮古市の水産加工会社の代表を招いて、参加者たちに、地元の食材や商品の魅力をアピールしてもらいました。
「水揚げされたその日に全部加工して、骨も1本1本手作業でやって、パン粉づけも自分たちで手作業でやって」と、加工食品について細かく説明する「共和水産」専務の鈴木良太さん。
鈴木さんは「こういった取り組みって、前向きにやっていく必要があるんじゃないかと思います」と訴えていました。
活動の輪が広がる一方で、歯止めがかからない人口減少や、地域産業の担い手不足など活動を通して見えてきた被災地の課題とも、向き合おうとしています。
弘田さんは「課題はこれから、さらにふくれあがってくるんじゃないかなと思います。まだまだできることはあるというか」と指摘しています。
震災から9年になるのを前に、食堂をNPO法人にしました。支援の枠を超えて、東北に人・物・お金が継続的に流れる“ビジネスモデル”を作りたいと考えています。
「ただ食べるだけでなくて、関わり方としていろんな関わり方ありますよね。そういうのを提供できますよねっていう、団体になりたいと思っています」。
具体的にどんなビジネスができるのか。
きっかけを見つけようと、先月、これまでお世話になった生産者たちに会うため、福島県いわき市久之浜町を訪れました。
福島県沖では、今も本格的な漁は再開されていません。十分な流通がないなかで、福島の魅力をどう発信していけばいいのか。
まずは、釣りを体験することにしました。
「すごい大漁じゃないですか?」
「大漁です」
「初めての経験ですか?」
「僕、初めてです。みんな初めて」
続いて訪れたのは、先月、オープンしたばかりの鮮魚店です。震災後に県外から移住してきた女性が、地元の漁師たちと運営しています。
魚を売るだけでなく、漁業の魅力を伝える交流拠点としても期待されています。
「あばら骨だけを取るように、表面だけ」。
メンバーたちは、釣った魚のさばき方も教えてもらいました。
ともに東北を盛り上げようと、ビジネスパートナーとして取り組めることを模索し始めています。
メンバーからは「写真展をやるとか、レシピ本を一緒にお客さんと一緒に作るツアーをやりに行けば、久之浜のことを知ってもらったり、ファンになってもらえる」「この雰囲気を知ってもらいたいので、紹介ムービーを作って雰囲気を味わってもらう」といった声が聞かれました。
鮮魚店運営責任者の榊裕美さんからは「なんでうちに来たいと思ったのか、うちに来てどう思ったのか、皆さんの思いも発信していただけたら、すごいうれしいなってことを思いました。ぜひ、よろしくお願いします」ということばが聞かれました。
榊さんは「震災から何年という言い方はもちろんですけど、これから先の10年、20年という未来を、一緒に考えていけたらいいなと思っています」と期待を寄せています。
「きっかけ食堂」の事務局長、弘田さんは「支援する側、される側とか、東北をがんばって思い出そうとかではなくて、楽しいから一緒にやろう、楽しいからもっとこの商品とか、久之浜のことを伝えていくという形で、お互いが同じ目線でパートナーとして、東北を盛り上げていくことを『きっかけ食堂』としても大切にしたい」と先を見据えています。