戦争孤児 70年以上を経て… 初めて知る母の思い

  • 2018年9月19日

戦後の混乱期。親を失い、駅で寝泊まりを続け生活する、戦争孤児と呼ばれる子どもたちがいました。物乞いや靴磨き。生きていくすべを自分たちで見つけていくしかありませんでした。その数は12万人以上とも言われています。

戦争孤児について取材している記者がこの夏、1冊の本を見つけました。昭和23年に出版された「家なき児」。戦争孤児のつらい境遇や心境などをまとめた本です。この本に出ていた男性を訪ねたことで、ある思いが70年以上の時を経て届けられました。《飯田耕太記者》

■5歳で孤児に 両親との思い出もなく

山内昭夫さん(77)です。父親は戦争に行ったまま帰らず、肺を患った母親は32歳のとき、入院先で亡くなりました。当時5歳。両親の顔も声も、記憶の中にありません。

山内さんは「母は病気で、構ってもらえなかったし、母が亡くなったからといって、悲しかったという記憶もないんです」と話します。

 

山内さんは都内にあった孤児院に入り、15歳まで過ごします。その後は、親がいないため、住み込みで働ける職場を転々としてきました。つらいとき「母がいたら」という思いが心をよぎることもありましたが、努めて考えないようにしてきました。

「母親はいないもんだという観念が植え付けられちゃっていたんだと思いますね。もういないんだと、初めから」と、そのころの気持ちを振り返ります。

 

ただ一つだけ、母親とのつながりを示すものを持っていました。

「これが唯一の遺品です」

古い債券や貯金の証書、175円分。亡くなった母親の手元にあったと言われ、孤児院を出るときに渡されたものです。

「価値もわからないし、何なんだろうという感じがしましたね」

■見つかった「母の手紙」 息子は・・・

この夏、山内さんは、母親を知る手かがりはないかと孤児院だった施設を訪ねました。今は児童養護施設「愛児の家」になっています。当時から働く女性が、入所したときの記録などを見せてくれました。

「初めて目にしますね」

山内さんは、自分の名前が書かれたページに見入ります。

 

取材の中で見つけた「家なき児」の本を、山内さんに見てもらいました。そこには、母親が残した175円の意味が記されていました。母親が亡くなったとき、枕の下から手紙が見つかり、こうつづられていたのです。

 

「私は、なにひとつ親らしいことをしてやれませんでした。この子は生まれ落ちたその日から不運な子でした。ここに多少の貯金があります。息子のためにためてきたお金です」

70年以上、届くことがなかった息子への思いです。

「息子をくれぐれもたのみます。このことを申しあげないと、私には死ぬこともできません。お願いいたします」

 

「愛児の家」の石綿裕さんは、山内さんの母親が亡くなる直前の、入院先での出来事を話してくれました。

「私が、あなたと一緒に病院に行って、お母さんに会ったら。本当にもう、今でもその光景忘れませんね。ぎゅうっと抱きしめていらっしゃってね」

 

お盆のこの日。山内さんは母親の墓に向かいました。思いを知って初めての墓参りです。「母の心情にふれたわけですから。そういうふうに思って私を育ててくれた。小さいうちだったけど、接してくれてたと思うと、うれしい気持ちはありますね」と、静かに手を合わせていました。

戦後73年。長い時を経て母親と出会えた山内さんです。

山内さんは、今回記者が訪ねるまで、あの「家なき児」という本の存在を知らなかったそうです。母親の思いに触れ、「うれしい」反面、「突然で心の整理がつかない部分もある」とも話していたということです。

ページトップに戻る