日航機事故30年 遺書に導かれた30年

  • 2015年7月24日

■単身赴任先の神戸に戻る途中、父が事故で他界

遺児の多くは、一家の大黒柱だった父親を事故で突然亡くしました。

 

海運会社の支店長だった河口博次(かわぐち・ひろつぐ)さん。
神奈川の自宅から単身赴任先の神戸に戻る途中、事故に遭いました。
妻と3人の子どもが残されました。

 

当時、大学院生だった、長女の真理子さんです。

 

真理子さんは、父親との思い出を今も大切にしています。
何事にも手を抜かず、気配りを欠かさなかった父。
事故前日にも、子どもたちと食事を共にしていました。

 

「マイホームパパで、いつも車を運転して、旅行に家族を連れて行ってくれたりとか。
家のこともすごくやってくれたし、遊ぶ相手もずいぶんしてもらって、『パパ大好きよ』って感じで育った」

■機内で家族あてに残した「最期のメッセージ」

真理子さんが特に大切にしているものがあります。遺体と共に見つかった手帳です。
激しく揺れる機内で3人の子どもと妻にあてて書いた、最期のメッセージが残されていました。

 

「どうか仲良く頑張って、ママを助けて下さい。
 パパは本当に残念だ。きっと助かるまい。
 原因は分からない。もう5分たった。
 もう飛行機には乗りたくない。
 どうか神様たすけて下さい。

 

 きのうみんなと食事したのは最后とは。
 何か機内で爆発したような形で、
 煙が出て降下しだした。どこへどうなるのか。
 ママ、こんな事になるとは残念だ。
 さようなら。子ども達のことをよろしくたのむ。

 

 今六時半だ。飛行機はまわりながら、
 急速に降下中だ。
 本当に今迄は幸せな人生だったと
 感謝している」

 

「最後まで家族のことを考えてくれたなと、こういう形で残しておけば、何も言わなければ、それは家族は苦しむだろうってあったと思うので、そこで少しでもできることって、メッセージを残すことだと思ったのかなと。
こういう形でメッセージを残してくれたから、私たちにとっては、非常にある意味で、なんて言うかな、区切りができたっていうことではありがたいなと」

■あの悲惨な事故を二度と繰り返さないために

真理子さんは、最愛の父を奪った悲惨な事故が二度と繰り返されないよう活動しています。
シンクタンクの研究員として、安全性を重視した経営が企業の価値を高めると訴えています。

 

「安全コストってのはやって当たり前だから、お客さんからも認識されない。
 そこにこそコストをかけることがすごく大事だ」

 

遺族の会の一員としても、国に対し、被害者の立場に配慮し、説明責任を果たすよう求めてきました。

 

事故から26年後、国はようやく事故調査の解説書を公表。
遺族の視点に立ってこうした文書が作られたのは、異例なことでした。

 

「どんな人もある日突然、被害者になるという状況はあるわけですよね。そうならないような仕組みっていうのを、ごく一部の政府の人とか、企業の人だけではなくて、そういう人を1人でも生み出さないようにするためには、それぞれの人が何ができるのかなってことは、ちょっとずつはみなさんが考えると、世の中全体が変わっていくんじゃないかなという気がします」

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