震災から8年 漁業復活へ18歳の船出

  • 2019年3月5日

東日本大震災から8年。茨城県北部では、東京電力福島第一原子力発電所の事故などの影響で、名物のシラス漁の漁獲量の落ち込みが続いています。その復活を目指し、漁師の道を志す若者がいます。《齋藤怜記者》

■震災後初の後継者 北茨城市のシラス漁

18歳の小嶋佑斗さん。3月、福島県の水産高校を卒業しました。小嶋さんは、この春からふるさとの北茨城市で、漁師としての道を歩み始めます。市内で若い後継者が誕生するのは、東日本大震災のあと、初めてです。小嶋さんは、大津漁港から祖父や父と同じ船に乗って、シラス漁を行います。

「みんなに頼られるような 任せられるような存在になりたい。大津港を明るく盛り上げていきたいです」

北茨城市はかつて、年間1000トンのシラスを水揚げする県内有数の港まちでした。多くの人が漁業や水産業に携わり、まちは活気にあふれていました。

ところが8年前の東日本大震災。市内は最大7メートルの津波に襲われ、多くの住宅や船が被害を受けました。さらに福島第一原発の事故がシラス漁に深刻な影響をもたらし、漁師を辞める人も相次ぎました。

祖父の小嶋又衛さん
「ここら辺も船がいたけど、やっぱり辞めて少なくなっちゃったんだ。ここも息子はサラリーマン。みんなサラリーマン」

別のシラス漁師
「震災前みたいに、漁師としては仕事したいよね」

■漁場制限で大幅減収 将来が見通せず

北茨城の漁師たちにとって、もっとも影響が大きかったのは、漁場が制限されたことです。この海域で、シラスの豊かな漁場は、福島県沖にあります。このため北茨城の漁師たちは、以前は主にいわき市沖で漁をしていました。原発事故が起きたあと、しばらく漁が見合わされますが、福島県沖では安全性が確認された種類に限って、試験的に再開。いわき市沖のシラス漁も5年前に再開され、これまで国の基準を超える放射性物質は検出されていません。

ところが福島県の漁協は「試験的な段階では漁獲量を増やせない」として、県外の漁協に自粛を要請。北茨城の漁師は、主な漁場だったいわき市沖に入れなくなったのです。

この影響で、シラスの漁獲量は大きく落ち込みました。漁師たちの収入は激減し、電力会社の賠償に頼るしかない状況が続いています。

■親子孫3代で にぎわい取り戻したい

震災が起きたとき、小嶋さんは小学4年生でした。

「震災前は、そこの船のデッキの上にいっぱいシラスが入ったかごが3段くらいになって、足の踏み場もないくらいの大漁になっていました」と、漁港を歩きながら当時を振り返ります。

将来を見通せない状況は今も変わらず、新たにシラス漁を始めようとした人は、自分のほかにいませんでした。

漁師になって、本当に生計を立てていけるのか。悩んでいた小嶋さんの背中を押したのは、祖父と父の存在。幼いころから憧れてきた漁師としての姿でした。

小嶋さん
「いつもはおもしろくて優しいんですけれど、やっぱり仕事となるとしっかりしていて、かっこいいなと思います。続いているので、そこで途切れさせたくないなという気持ちもありますし」

Q:3世代で漁ができるのはどうですか
又衛さん「夢! 孫を使うとは思わなかったもん、おれ」

小嶋さんをさらに勇気づけたのが、漁協の青年部が4年前から行っている取り組みです。シラス漁を以前のように行うことが見通せない中、北茨城市沖でホッキ貝の漁もできないか、試しているのです。

厳しい状況の中でも、前を向いて進み続ける人がいる。こうした人たちがいれば、ふるさとの漁業は、必ずかつてのにぎわいを取り戻せると、小嶋さんは信じています。

「新しい挑戦がいっぱいできると思うので、今後を任せられるような存在になりたい。自分の手で盛り上げたいです」

いまだ、震災の影響が色濃く残る北茨城の漁業。荒波に飛び込んだ18歳の後継者の挑戦が始まります。

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