被爆74年 “遺品が伝えるヒロシマ”

  • 2019年8月6日

74年前の8月6日に、ヒロシマで被爆し、亡くなった少年の遺品。それは、いまも、遠く離れた東京で原爆の悲惨さを伝え続けています。《西浦将記者》

■原爆の犠牲になった少年の制服

額に収められた1着の服。広島で被爆し、亡くなった少年の制服です。やけどの手当てのため、ズボンはハサミで切り裂かれています。上着は元の形が分からないほど、ぼろぼろに。下着の茶色いしみは血の痕です。

制服を着ていたのが、当時14歳の豊嶋長生さんです。広島市の中心部で被爆し、翌日亡くなりました。

妹の永町洋子さん(86)は、戦後、結婚を機に上京し、八王子市で暮らしています。

永町さんは「とにかくしっかりしてまして、あとは優しかったですね」と兄の思い出を話します。

大やけどを負った兄の無残な姿を忘れることができないと言います。

「とにかく顔がもうこんなにふくれあがって、目なんか全然見えないくらい。それはもう見られない姿でしたよね。兄と思えないくらいに。ただ水を欲しがって」

30年ほど前、母の遺品から兄の服を見つけ、東京の人たちにも見てもらいたいと思い立ちました。

「原爆の証拠ですからね、立派な。これを皆さんが見てくださって、何か考えることがあると思うんです。年齢的にももうね、原爆を覚えている人は少なくなりましたからね」

■時間の経過とともに減る来館者

八王子市にある「平和・原爆資料館」です。市内に住む広島と長崎の被爆者が中心となって、平成9年に立ち上げました。制服は永町さんからこの施設に寄贈され、一般に公開されています。東京ではめったに見られない被爆者の遺品。しかし、時間の経過とともに資料館を訪れる人は減り、来館者がない日も増えてきました。

「八王子平和・原爆資料館」の杉山耕太郎共同代表は、「ここに宝物のように誰にも見せないようにしまっておくことが、彼の思いだろうかと。この学生服が訴えることはもっともっと広く、市内、東京都、日本中に知ってほしい。役割があろうかと思うんですね」と話します。

■各地に遺品を貸し出し 原爆の悲惨さを後世に

この夏、各地を回っていた遺品の制服。この日は被爆の歴史を学ぶ展示会の会場にありました。資料館が各地の団体に貸し出しを働きかけ、活用の場を広げているのです。

展示会のスタッフは「爆弾の爆発したときの温度が高くて、人がいた場所に影だけ残っちゃった」と説明します。

スタッフ「どう?なんか見て?」
子ども「破れてる」
スタッフ「そうそう、破れてるよね。1個の爆弾でこんなに被害があったんだって、感じられるよね。原爆の悲惨さがちょっと分かったかな?」

会場を訪れていた女性は「写真だけだと感じない部分というのは、すごく感じました。おそろしいなと思います」と話していました。

制服を通して知るあの日の広島。74年の時を超えて原爆のむごさを語り続けています。

被爆の実態を多くの人に感じてもらいたいと、資料館ではこの制服を貸し出していますが、一方で服が劣化するおそれもあり、長く伝えていくための保存や展示方法を考えたいとしています。

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