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日航機事故35年 「来年は必ず」断念した慰霊登山

  • 2020年8月14日

520人が犠牲となった日本航空のジャンボ機が墜落した事故から35年。事故があった8月12日には、毎年、多くの人が慰霊のため墜落現場の御巣鷹の尾根を目指します。しかし、ことしは、新型コロナウイルスの影響で30年以上続けてきた慰霊登山をあきらめた遺族もいました。御巣鷹の尾根を管理している男性に遺族の思いが託されました。

いつもとは違うあの日 託された思い

8月12日、群馬県上野村の墜落現場に至る登山道。この中に御巣鷹の尾根を10年以上に渡り管理している黒沢完一さん(77)の姿が見られました。新型コロナウイルスの影響で、いつもの年とは違う慰霊登山。黒沢さんの手には遺族から託された紙袋がありました。

黒沢完一さん
「ひとりの人間がやることなので、微力だけど、小さなことだけど、できるだけのことをしてあげたい」

断念した慰霊登山 これだけは届けたい

思いを込めた紙袋を黒沢さんに託したのは東京・大田区に住む、滝下政則さん(80)と史代さん(77)夫妻です。事故で次男の裕史くんを亡くしました。

滝下政則さんと史代さん

野球が大好きだった裕史くん。事故が起きた日の午前中も野球をしていたといいます。そして夕方、兵庫県の親戚の家を訪れるため、1人で飛行機に乗り、事故に遭いました。小学校6年生でした。

裕史くん

亡くなって35年。滝下さん夫妻は裕史くんが毎朝練習をしていたグラウンドを訪れました。
キャッチャーやったり、ファーストやったり、セカンドやったり… 思い出の場所で裕史くんの姿を思い浮かべていました。

滝下さん夫妻は、御巣鷹の尾根に眠る裕史くんに、毎年届けているものがあります。裕史くんが大好きだった赤いパーカーです。今ならこれくらいの体格になっているだろう… そんな思いから準備したのはMサイズです。

政則さん
「親の気持ち。 “かぜ” でもひくんじゃないかという気持ちですよ」

史代さん
「コロナさえなければ、絶対に御巣鷹の尾根に登っていますけどね、何時間かかっても。私たち2人を見守っていてほしいって思います」

毎年、命日に御巣鷹の尾根を訪れていた滝下さん夫妻ですが、ことしは、新型コロナウイルスの影響で断念しました。

「私たちは感染していないけれど、群馬県が増えてしまっても困るから…」

裕史くんに贈る赤いパーカー、ことしは御巣鷹の尾根を管理している黒沢さんに託すことにしました。

“ごめんなさい 来年は必ず”

8月12日、黒沢さんは、来ることができない滝下さん夫妻の思いを胸に、登山道を進みました。

たどり着いた裕史くんの墓標、そこには、去年滝下さん夫妻が残したパーカーがありました。黒沢さんは、Mサイズの赤いパーカーを、滝下さんに代わって着替えさせました。

黒沢完一さん
「お父さん・お母さん来られないから、私が代わりにパーカーをかけますと、お話をしながらかけました。笑顔で迎えてもらえたらいいかなと思っています」

登山を断念した両親の思い。母親の史代さんがしたためた手紙も手向けました。

「裕史くんへ。今年の夏はコロナのため、山に登れないので、黒沢のおじさんへお願いしました。山に登れなくてごめんなさい。来年は必ず会いにいくので待っていてください」

  • 千明 英樹

    NHK前橋

    千明 英樹

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