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私の中の戦争 落語家 林家木久扇さん ~野草を食べつないで~

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戦争を伝える
語り継ぐ
特報首都圏
東京
2015年4月3日

落語家 林家木久扇さん(77歳、終戦当時7歳)

東京に住んでいた林家木久扇さんは、空襲で逃げ惑い、厳しい食糧難を体験しました。7歳で終戦を迎えた時の様子と、戦争体験を伝えていくことの大切さを聞きました。

■空襲で逃げ惑った日々

「(思い出すのは)亡くなったおばあちゃんとかね。手を引いてね、煙とか炎が上がっている中を駆け巡ったこととかね。それから防空壕を掘ったんですけど、浅い防空壕でね。それでも警防団の人が回ってきて『甲』っていう1つの甲乙丙ってあって(評価の中で)、防空壕の造り具合がいいっていう紙をもらったんですけどね。家庭の防空壕は全然役に立たなくて、近所の小学校(国民学校)の防空壕にいつも駆けて逃げていたんですけどね。それがさーっと浮かぶんですね。僕の小学校1年のことを思い出しながら。同級生もみんな疎開しちゃったし。1年生から6年生までを校長先生が見てたんですよね、1つのクラスにしてね。その時、給食に味噌パンが出て、おいしくなかったけど、お腹すいてるんで、それが嬉しかったこととかね。こういうことから触発されていっぱいあるんですね、私の中にも」

■校庭で玉音放送を聞いた8月15日

木久扇さんが描いた、国民学校で玉音放送を聞いた時の様子

「(ラジオが載せてある台に)布がかかって。こう白いものがかぶさって。この前にみんな立ってね。なんか(よく見る)皇居前の写真では、正座してね、泣いてる方がいっぱい写ってましたけどね、(私たちは)立ってましたね。その時分、子どもで分からないので周りにいて、なんだろうと思って。なんか、きっと大事なことが終わったんだなって」

「僕が8月15日の話することはほとんどないですから。だけど、僕の中ではものすごい衝撃の、芝居で言ったら、第2幕目が始まるね、少年期の爆撃、空襲の中をかけずりまわって逃げた、それが1幕で終わって、次の時代になるという境目の、少しずつ幕が開いていった時の音というか景色なんですね」

「こういうすごいスケールと迫力で世の中に向かって、こういうことを日本人の、その時代の人達は我慢して過ごして、次の日本がそこからまた歩み始めたっていうね、そのいちばん第一歩の靴音を記すことはものすごい大事だと思っていますね」

■食糧難で食べた土手の野草

「子どもで戦争体験というか、戦場に行ったり戦った経験はもちろんないんですけど、やっぱり第2、第3の戦争というか。もう本当に食料事情が悪くて、うちの親戚が全部、江戸っ子っていうか、田舎の人がいないから、食べ物を供給してくれるパイプがないんですよね。それで休みの日になると、小さいリュックサック背負って、お袋と一緒に(東京の)荒川の土手に行って、野草刈って、それでゆでて、食べられる草と食べられない草分けて、ご飯にしてたんですよね。そういうのが当たり前だったんですよ。うちだけじゃなくてね。でも今ね、そこいらに生えている草をむしってね、食べ分けてる家なんてないし、それは作り話だと思われちゃうけど、ほんとだったんですよ。で、ちょっとしたみかんの空き箱、リンゴの空き箱があると、それに土を入れて、トマトでもなんでも作ってね。普通、(家の)表に盆栽並べますけど、そうじゃなくて。箱に食べられる野菜の種をいっぱいまいた『植木鉢』じゃなくて『植木畑』が並んでいたんですね。そういう風景です。戦中戦後のぎりぎりの時はね。ちょっと想像つかないと思うんですよね。食べるものがないんですよ」

■戦争体験を伝える大切さ

「うちの家族もいますし、お弟子さんもいるんですけどね、僕が直に話しても、あんまりぴんとこないみたいなんですよ」

「変な話、落語ですとね、どうしてもこういう一つの記録的なことを笑いに転嫁できないんですね。特に戦争って、ついこないだあった、ものすごく、日本人全体の人生を変えちゃった出来事ですから。これを小話みたいにちょっとできないですよね。戦火の中で、たくさんの犠牲者が出て、私の家も空襲で爆撃されて命は助かったけどもう何もなくなっちゃってっていう、明日からどうしようというところから始まりましたから。それは話で伝えるといっても、落語にはちょっとならないんですね。だけど、伝える職業ですから、話をこしらえてね。よく私の師匠がやっていたんですけど、随談と言って、随筆という言葉がありますね、だから、これは大事な随談だと思っていますね」

「僕はね、1人の人って1冊の本だと思ってるんですよ。その方の過ごしてきた人生のもう終盤ですね、年齢的に8月15日を知ってたっていうのはね。だから、急いでいろんな思いとかその時のことを追いかけて記録するっていうことはとても大事なことだと思うんですよ」

「僕もそうなんですけど、あと20年生きていないでしょうし。私、昭和12年(生まれ)ですけれども。結構落語家って長生きなんですよ。それで思ってるたけをね、しゃべってね、聞いてくれる人がいるっていうのは、長生きになるんですよ。僕は77歳ですけれどもね、今、桂米丸師匠は91歳ですけど、毎日寄席に出てしゃべってますよね。この間は自宅で本の整理をしてて、回転いすにのっかって、落っこっちゃって骨を折っちゃったんですけど、それでも寄席にどんどん出てて治っちゃったんですよね。だから聞いてくれる人がいる老人というのは長生きなんですね。ですから、今のうちお元気な師匠方の戦記というかね、8月15日は是非聞いてね、僕自身が聞きたいですね。『師匠、どうだったんですか?』って。『あの日、どうしてたんですか?』って。私が聞きたいです。ほんと、今いい時期ですよね。こういう石を投げた人がいて、それで受け手がちゃんと受けてね、(水面に波紋が広がるように)大きい広がりにしていったらすばらしいと思いますよ。ただ『平和、平和』って言っているよりね、よっぽどそれが伝わりますね」

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