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私の中の戦争 落語家 桂歌丸さん ~疎開の日々そして・・・~

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語り継ぐ
特報首都圏
神奈川
2015年4月3日

落語家 桂歌丸さん(78歳、終戦当時9歳)

生まれも育ちも横浜の桂歌丸さんは、9歳の時、疎開先で終戦の日を迎えました。寄席の前に、当時の思いを聞きました。

■疎開先で迎えた終戦

「正直言いまして、都会の人間ですよね、ま、こんなこというと失礼にあたるか分からないですけど、それがいくら個人疎開とはいえ、田舎へ疎開させられるという。本当にいやでした。正直言っていやでした。早く横浜に帰りたかったです。(育ててくれた)祖母のもとに帰りたかったですよ。だから、今だから言えますけれども戦争が終わってほっとしましたね。それは子ども心にも覚えています、それは。あ、俺は本当に横浜に帰れるんだ。早くおばあちゃん迎えに来てくれないかな。あたし、おばあちゃん子だったものですから、そういうふうに感じました」

「本当にね、終わったって聞いたとたんにね、早くおばあちゃん迎えてに来てくれないかなって思いましたね。でもその頃は交通事情だってひどく悪いですしね。(疎開先が)いくら駅から近いところだといっても、汽車の事情やなんかがあるんで。意外と早く、終戦になって1週間ぐらいで迎えにきてくれたんじゃないかな。ほっとしましたね」

「帰って本当に焼け野原でまあひどい目にもあいましたけれどもね。でも、あ、横浜へ帰ってきてよかったなと思いましたね。横浜が大好きなものですから。子どものうちからいまだに同じ町内に住んでますね。なんで横浜にそんな長くいるんだって、やっぱり郷土愛っていうんですか、深く持っているし、そういう経験をしたことも一つの原因じゃないかって私はそう思いますけどね。だから横浜から離れる気もないし、今さら離れるわけありませんけどもね、横浜で生まれたから横浜で目をつぶろうと思っています」

■戦後をたくましく生きた祖母

「まあその当時はもう夢中でしたけれども、子どもだからまだ分かりませんが、後になって考えてみるとすげえ人だったなって。おばあちゃんがいたからこそ、今のあたしがあるんじゃないかなって。おやじの顔はまるで分かりません。3歳になったかならないうちにおやじがもう他界してますし、おふくろとはちょっと事情があって離れていたもんですからね。だから祖母のことが99%頭の中にある。だから今でも私は祖母を尊敬していますね。女傑といわれた人ですからね、町内でね。それこそ町のおっかないあんちゃんも、うちの祖母が道を歩くと端に避けたというくらいの人ですからね。これはまじですから、この話はね」

「でもね、マイナスな点もすごくあります。甘やかされて育ったですから、わがままですよ。すごいわがままでした。そのわがままで、はなし家になってから大きなしくじりもしました。大きな失敗をやりました。すげえ苦しい思いもしました。祖母がいなくなってしまってからね、目をつむってからね。でも師匠だの先輩から助けられて後になって100%自分が悪いんだと感じましたしね。で、人を笑わせる商売ですから、自分が苦労したんでは落語の中に苦というものが出てしまうからお客様は笑ってくれない。苦労するのはいいけれどもその苦労したことを早く笑い話にできるように努力しろと私の大師匠の五代目の古今亭今輔に言われましたんでね、だから今の師匠の桂米丸も『歌丸さんは若い頃に苦労したのがずいぶん役に立っているね』って言われることがありますんでね。苦労するのはいいですけれども、やっぱり努力一つで乗り越えていくべきだと思いますがね。ずいぶん歯を食いしばりましたよ。歯は丈夫ですね。いまだにね。歯をくいしばってもってますけどね。でも年とともにね、奥歯がだいぶ抜けてきましたけどね」

■平和への思い

肺を患った今、戦争体験を伝えたいと強く思うように

「人にそんなこと(戦争について)伝えられません。それは個々に感じることです。自分自身で経験して自分自身で判断しているんです」

「伝えていくべきだとは思いますけれども、話をしただけでは分かってくれないですよね。食糧難時代というものがどういうもんだったのか。あるいは焼夷弾というものがどういう落ち方をして、爆弾というものがどういうふうに落ちたのか。そして進駐軍というのが戦後になって乗り込んできてどういう思いをしたのか。口では言えますけれども、ご存じないからそれは身を持って体験することはできません。けれども伝えていくべきだと思います、私は。決して忘れてはいけないこと。日本は二度と再びああいう戦争は起こしてもらいたくないと思いますね。あんなものは愚の骨頂です。世界中が本当の平和にならなきゃいけない時代が早くこなくちゃならないと思っていますね」

「(その思いは)もちろん強くなっていますよ。平和になればなるほど強くなりますね。平和に慣れ過ぎるとおっかないですね。だからそこのところはやっぱりああだこうだということを若い人たちにはきちんと教えていかなければ、伝えていかなければならない。しかし、いくら教えても例えば10人に一人ぐらいは横道にそれるかたがいますよね。これがおっかないですね」

「子どもさんたちに難しいことかもわかりませんけれども、簡単に言えば、戦争、人間同士の争いというもの、あるいは国同士の争いというものこういうものは決してやるもんじゃないということを感じてもらいたいですよね。本当にいやな思いをしましたんでね。だけどね、戦後そういう苦労してきた人間、今になってみるとみんな辛抱強いですね。辛抱強いよね、みんな。だって道の雑草を摘んできて食べて命つないでたんですもん。それこそさつまいもの葉っぱとか茎まで食べて、命つないできた。だから今の子どもたちは幸せですよ、だから幸せだからぜいたくに慣れるなっていうことですね。甘えにおごるなっていうことです。そしてお父さんとお母さんに私はお願いしておきたいんだ。子どもさんにこういう悲惨なことを伝えていってよく聞かせてやって頂きたい。今のお父さんやお母さんは年が若いんで経験がないと思います。でもおじいさんおばあさんがいたらば、おじいさんおばあさんに、孫にあるいはひ孫に日本はこうだったんだああだったんだっていうのをきちんと伝えていってもらいたいと思います。そしてあまり平和に慣れ過ぎないように。これでいいんだと思わないように。苦労というものが人間には必ずあるんだということ、これを心に留めておいてもらいたいですね。だから子どもさんがどの方の意見を選ぼうがかまいませんけれどもよくかみしめて頂きたいと思います」

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