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関根勤 フェイントこそ我が人生 インタビュー ここから 配信中

  • 2024年4月30日

“あの人の「原点」に、アナウンサーが迫る。”
そうしたコンセプトで祝日の朝に放送している、総合テレビ『インタビュー ここから』
2024年4月29日(月・昭和の日)は、昭和・平成・令和と駆け抜け、ことしデビュー50周年を迎えたタレントの関根勤さん(70歳)へのインタビューをお送りしました。

インタビューの中で「全部フェイントですよ、僕の人生(笑)」と語った関根さん。
そこで、「フェイントこそ我が人生」をテーマに23分間の番組を制作しました(千葉局制作)。
番組は、5月6日(月・振替休日)午前7時53分まで、「NHKプラス」の配信でご覧いただくことができます。
今回は、その番組の一部をWEB記事化します。

インタビューの撮影は、関根さんの母校である東京都立八潮高等学校と、関根さんが舞台公演「カンコンキンシアター」を行う銀座の劇場の2か所で行いました。
このWEB記事では、八潮高校でのインタビューの内容をご紹介します。
聞き手は、関根さんと小堺一機さんのラジオ『コサキン』を高校時代から愛聴する守本奈実アナウンサー(千葉県出身)です。

八潮高校の図書室には、関根さん懐かしの卒業アルバムが今も保管されていました。


1972年?
僕が卒業した年のアルバムだと思う。
もう僕、アルバムがどこにあるかわかんないですよ。

覚えていますか?

私、何組だったんだろう。覚えてない。E組?
僕、いました!

 

おー!好青年でいらっしゃる。

授業は全部出ていましたから。
真面目で、毎日。ただ、勉強はしてなかったです。
赤点取って、その科目を次の期末テストで頑張ると、ほかが赤点になっていって…赤点の自転車操業をやって。
ただ、学校生活は楽しかった。

どういう青春時代だったんですか?

中学2年からものまね始めて、友だちの前でものまねして、プロのものまねを見て、ものまねをして、笑わせていたんですよ。
それをやっているうちに、オリジナルができるようになったんですよ。
千葉真一さんだとか、いろんなものが。
そうしたら、ずっと僕のものまねを聞いていた林くんっていう人が、自分からできるようになったんですよ、今度、コツつかんじゃって。
原田芳雄さんとか、モハメド・アリとか、王貞治さんもやり始めたんですよ。
2人でコンビ組んで、いろんな文化祭に、ちょっと時間あったら出してくださいって言って、お笑いやっていたんですよ。

じゃあ、充実した高校生活?

それなのにモテなかったんだね。これがつらかった。

モテなかった?モテそうなのに…。

あれですよ、アイテムっていうのがね。
高校時代ね、モテるアイテム。
背が高いでしょ、イケメンでしょ、それから勉強ができる、それからスポーツができる、これ全部持ってなかったんですよ。
だから、自信がなかったのね。
高校時代はそういう恋愛に関しては不毛の時代でしたね。
あまりにもうまくいかないので、自分の中で、女性に興味が俺はないっていう“仮面”をかぶったんです。

“仮面”を?かぶった??

心の中に。

女性に興味がない“仮面”をかぶって…。

「興味がないよ」って硬派の“仮面”をかぶって。
そして、僕、ビル掃除のアルバイトしていたんですよ。
僕は友だちがポリッシャーでガーッて磨いた、泥水をこういうふうに。
そうすると、日曜日なんですよ、一日中やっているんですよ。
4階とか5階からふと見ると、カップルが歩いているわけですよ。
“仮面”をかぶっていなければ、「うわー、いいなー。くそー!」ってなるでしょ。
でも、“仮面”をかぶっているから、「そんな若いうちから、日曜日にうつつ抜かしていて、君たち大丈夫か?」つって、「僕は今、泥水を集めているけども、これは私は自分を磨いているんです。仮の姿です。いずれあなた方より上になります」と、心の中で。
2年間かぶっていました。

へぇー、2年間も?

そうです。
それまで何度もフラれているんですよ。
自己防衛ですよね。
心が壊れそうになったんですよね。
それを防御するために、“仮面”をかぶったわけですよ。

“仮面”をかぶっていたころの関根さん(当時19歳)
“仮面”をかぶっていたころの関根さん(当時20歳)

高校時代の部活動はバスケットボール。
大柄な選手を相手に、あえて正面から向き合うことは避けていたそうです。
シュートを打つふりをして結局打たずに相手のファウルを誘ったり、シュートを打ったふりでジャンプをして味方にパスしたりと、作戦としてフェイントを多用していたといいます。

でも、関根さん、正攻法で攻めないのはどうしてだったのですか?

通用しなかったから!
それが全部、人生に生きていて
芸能界に入っても、例えば、皆さんね、ものまねっていうと森進一さんとか、五木ひろしさんとか、武田鉄矢さんとか、皆さんがやって、そっくりじゃないですか。
みんながやらないものまね、千葉真一さんとか、誰もしてないですからね。
大滝秀治さんとかね。それで、今ではバイデン大統領やっていますから。

えっ?バイデン大統領??

アメリカの方って腹式呼吸なんですよ、英語。だから、例えば「腹式呼吸で「I win!」って言うんですよ。バイデンさん80歳を超えているんで、腹式じゃなくて胸式なんですよ。だから、「I'm Biden. I'm President of the USA.」(※ささやき声で)。
誰もやらない。

初めて見ました、バイデン大統領のものまねをしている方(笑)。

フェイントですよ、フェイント!
かつては、C.W.ニコルさんのものまねやって、あそこですよ、『笑っていいとも!特大号』。
“どっちらけ”になったことありますけどね。
出てきて、「森はあたたかい。川は生きている」って言って、シーーーン。

誰もやらなかったところを?

そこがフェイントなんですよ。
みんながやるやつやったら勝てないから。

真ん中、王道というか、みんなが攻めるところではなくて?

そこは、ほら、いるじゃないですか。スターがいっぱい、四番打者が。
四番打者がいるから、四番打者につなぐ二番打者とか、それから、後ろから七番打者とか、そういう。
打順でいうとね、そういうのをやらざるを得なかった。
僕も四番打者いきたかったですよ、ええ。
でも、なれないんですよ。


萩本欽一にはなれない、なろうと思ってもね。
だから、しょうがないから、関根勤フェイントスクールってことでね(笑)。

だから、自分の思っている道、こう行きたいっていう気持ちはある…。

あるけれど、誰でもがスターになりたいでしょ?
ところが、自分は違うんだってことに気づくわけですよ。
気づいたら気づいたで、そこから軌道修正していくっていう、生き残るためにね。

それは自分の好きなものなんですか?

そうです、好きです、好きです。
結構、マニアックとか言われるのが好きでしたね。

それは昔から?

そうそうそうそうそうそう!
人とは違う、独自のものを持っているっていうのが好きでしたね。


関根さんが大切にしてきた、フェイント。
それを武器に、独自の地位を築いていきました。

民放のお昼のバラエティー番組には、およそ30年にわたってレギュラー出演。
しかし、当初は順風満帆とは言えず、「逃げたい」と思うこともあったそうです。

高校時代から培った工夫をする生き方で、その「逃げたい」気持ちを解決してきた関根さん。
家庭では、娘の関根麻里さんに「逃げてもいいんだよ」と諭したといいます。

そうした内容を中心に、銀座の劇場では、関根勤さんと小堺一機さんが「話しやすいけど、いい意味で粘る」と評する守本アナが、およそ2時間にも及ぶロングインタビューを敢行!

盛りだくさんの内容を23分間に凝縮した『インタビュー ここから タレント 関根勤』は、5月6日(月・振替休日)午前7時53分まで「NHKプラス」で配信中です。
ぜひご覧ください。

こちらは、番組告知動画です。↓



 

 

また、「NHK NEWS WEB」には、「タレント 関根勤さん 娘・麻里さんに伝えた『逃げてもいいんだよ』」というWEB記事が掲載されています。
あわせてお読みください。


では、パッフォーン!🍑

  • 新井信宏

    千葉局・アナウンサー

    新井信宏

    『インタビュー ここから』小堺一機さん編に続き関根勤さん編も企画・制作させて頂けたことは、『コサキン』リスナーとして本望です。もちろんお2人には、ひそひそ声で「リスナーです」とお伝えしました。「村下孝蔵さんに似てる」と認知して頂けてうれしかったです。

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