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「アマビエ」の力をウクライナに

  • 2023年04月03日

新型コロナの感染が大きな話題となっていたころ、日本で急に知名度が上がった妖怪がいましたね。疫病から人々を守るとされる「アマビエ」。その妖怪が今度は、軍事侵攻が続くウクライナの力になりたいという市民の思いを形にした、というお話です。

(千葉放送局銚子支局記者 岡根正貢)

災害に倒れた木を“アマビエ”に

長い髪、ひし形の目、くちばしのようなとがった口。新型コロナの流行で、いつの間にか多くの人が知ることになった妖怪「アマビエ」。茂原市では、市内のさまざまな場所に、その木像が置かれています。

この像は、木像の製作を趣味とする市民グループの有志が作ったものです。材料となったのは、2019年に千葉県に大きな被害をもたらした台風15号によって倒れてしまった杉の木でした。メンバーがひとつひとつ、感染拡大の終息を願ってチェーンソーで削りだしました。

2020年春から、このアマビエの木像をショッピングセンターや道路沿いの空き地など市内外のあわせて6か所に設置したところ、その足もとにお金を置いていく人が増えていったといいます。

募金を役立てたい

そこで有志のグループでは、5か所に募金箱を設置。「アマビエ募金」として、集まったお金を、医療従事者の役に立ててほしいと病院に寄付してきました。

そんな中、去年2月、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まります。グループでは、次はウクライナの市民の力になれればと、ふたたびアマビエを頼りにすることにしました。3月以降は、募金をウクライナに寄付することにし、改めて呼びかけを行いました。

さらにグループでは、茂原市の市民にもウクライナの状況を知ってもらおうと、講演会を企画しました。

アマビエがつなぐ縁

ことし3月24日、市役所で開かれた講演会。招かれたのは、千葉県に避難しているパンコーヴァ・オルガさんです。学生時代、千葉県にある敬愛大学で学び、卒業後には母国で日本語教師をしていました。軍事侵攻後、日本在住の友人を頼って来日。現在は母校で働きながら避難生活を続けています。この日、「『本当のこと』を知る大切さ」と題してウクライナの現状を話しました。

パンコーヴァ・オルガさん
「いつもの朝、起きると軍事侵攻が始まっていました。テレビやラジオで情報を集めていました。自宅の窓から戦闘の様子が見えました。建物が被弾したらがれきの下敷きになるのではないかと不安に思いながらも、自宅の地下室に1週間以上避難しました」
「残念ながら、戦争は1年が経った今も続いています。多くの人たちが、冬の寒さの中、電気のない暮らしを強いられ、ロシアの攻撃で命を落とす子どもも後を絶ちません」
「本当のことを知ることが大切です。どうか関心を持ち続けてください」

講演後は来場者全員で、童謡の「ふるさと」を歌ってウクライナにエールを送りました。

オルガさん

「みなさん真剣に聞いていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。戦争が早く終わり、平和な生活が戻ってくることが私たちの願いです」

講演会終了後のアンケートでは、「オルガさん一家の苦しみが直接伝わってきました。なんとか穏やかな日が戻らないか願うばかりです」とか、「戦後生まれで戦争は知りません。とても恐ろしい、今すぐロシアは戦争をやめてほしい」といった感想が寄せられたということです。

1年間の「アマビエ募金」に加え、講演会の会場などで集まった寄付は合わせて46万円あまり。グループでは、全額をウクライナ大使館に送ったということです。

グループ
「アマビエの会」代表 鈴木信一さん

「日常が普通どおりに流れていくことがいかに大切なのか、身にしみて感じました。茂原を代表する催しで、7月に開かれる『茂原七夕まつり』に、オルガさん一家をはじめ、ウクライナから避難されている人たちを招いて、日本文化を感じてもらい、地域の人たちと交流する機会を設けたい」

取材後記

アマビエの木像を設置した市民グループの取材を始めたのが3年前でした。2019年の台風15号で倒れた木を材料にした木像ですが、設置された場所の1つは、同じ年の10月の豪雨で浸水して取り壊された住宅の跡地。相次ぐ災害、そしてコロナ禍という厳しい状況の中で生まれたこの木像が、人々の善意を集め、ウクライナへの支援につながりました。グループの活動を追うことで私自身の取材の範囲も広がり、避難された人の生の声を聞くことができたのは、貴重な経験でした。

  • 岡根正貢

    千葉放送局 銚子支局記者

    岡根正貢

    30年間地元を密着取材。

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