医師や看護師が乗り込み、けが人などのいる現場に向かう「ドクターヘリ」。東日本大震災は全国からドクターヘリが集まって救命活動にあたった、初めての災害でした。
「何もルールが決まっていなかった」。
当時、対応にあたった医師はこう振り返ります。あれから12年、震災時の教訓はどのように生かされているのでしょうか。
けが人や病人のもとにいち早く駆けつける、ドクターヘリ。東日本大震災では初めて、全国から多数の機体が集まって活動しました。当時、全国で導入されていた26機のうち、16機が集まって被災地での活動にあたりました。
当時、ドクターヘリの指揮を担ったのが、日本医科大学千葉北総病院の本村友一医師です。千葉北総病院は関東で最初にドクターヘリを導入。昨年度の出動件数は1000回以上にのぼり、災害対応でも全国で中心的な役割を担っています。
12年前のあの日、本村医師はちょうどヘリの当番で、地震が起きた際には市川市で救命活動に当たっていました。患者の搬送先の病院はエレベーターが壊れ、千葉北総病院に搬送したといいます。
こうした県内での対応を終え、本村医師は午後6時すぎに福島県に向かいました。
午後8時には、福島県立医科大学に到着。さっそく、DMAT活動拠点本部とドクターヘリの統制本部の立ち上げにあたりました。交通機関がまひする中、初動でドクターヘリの機動性が生きたと言います。
本村医師
「(上空から)車のヘッドライトが並んでいる渋滞がずっと見えていました。緊急車両でも被災地にすぐには行けないし、災害対応の要となる統制本部の人員が系統立って活動をするうえで、リーダーがヘリで本部に入れたのは、すごく意味が大きいと思います」。
ドクターヘリは翌日から3日間で150人を超える患者の搬送を行いました。中でも大きな役割を担ったのが石巻市立病院での対応です。病院は1階が津波に流され、およそ150人の患者が孤立していました。
周囲はがれきで埋まり、患者を陸路で運び出すのは不可能でした。そこでドクターヘリが狭いスペースを見つけて着陸。緊急性の高い患者から次々と搬送して、わずか2日で全員を救出しました。
本村医師
「遠方から来てくれたヘリを使って、考えられるありとあらゆることをやりました。飛ばないと助からないところにドクターヘリがマッチしたという、手応えを感じました」
いっぽうで本村医師は、課題も痛感しました。
本村医師
「東日本大震災が初めてだったので、行ってみてやってみると、ルールがない。何もルールがない」
当時、大規模災害時のドクターヘリの運用は、国の防災基本計画に盛り込まれておらず、被災地で活動する根拠や指揮命令系統が定められていませんでした。そうした中で、消防や自衛隊などとの連携がうまく取れなかったといいます。
本村医師
「重症患者が5人います、ということでドクターヘリが行ってみると、そこには、もうすでに患者がいなかったんです。自衛隊や消防、他の機関のヘリで運ばれた後でした」
国はその後、防災基本計画の見直しに着手。2015年に、ドクターへリの運用について初めて記載されました。さらにその後、「大規模災害時におけるドクターヘリの運用体制構築に係る指針」が厚生労働省から各都道府県に示されるなどして、ルールが定められてきました。
現在は、被災した都道府県庁に航空運用調整班が置かれ、消防や自衛隊などのヘリの担当者と連携が図れるようになっています。
さらに新たなシステムも開発。東日本大震災では、ヘリがどこにいるのか確認できなかったことから、衛星通信を使って56機すべてのドクターヘリの位置をリアルタイムで把握できるようにしました。携帯電話や無線が使えない場合に備え、簡単なメッセージのやりとりもできるようになっています。
こうした東日本大震災の教訓は、2016年4月に起きた熊本地震で生かされました。
本村医師もヘリの運用に携わり、消防や自衛隊のヘリとも連携して、あわせて89人の搬送につなげました。東日本大震災のときのように、出動しても患者がいなかったなどのケースもなかったといいます。
本村医師
「東日本大震災のときにはヘリの場所が分からず、安全に飛んでるかどうかさえ分からないし、頼んだミッションを完結できたのかも分かりませんでした。いまは非常に効率的な活動ができるようになったと思います。実際、熊本地震でもリアルに使い、非常に便利、効率的、安全にできました」
飛躍的に進んだドクターヘリの運用。それでも、ドクターヘリにはもっと救える命があると考える医師がいます。
鹿児島大学病院救命救急センターの高間辰雄医師※です。熊本地震で被災した病院に応援に入り、患者を県外に搬送するため、ヘリや救急車を要請する役割を担っていました。
3月に開かれた日本災害医学会の会議で、1人の女の子の搬送に触れました。
※「高」の字は「はしごだか」
当時4歳だった宮崎花梨ちゃん※です。重い心臓病で熊本市内の病院に入院していました。
病院が被災したため、車でおよそ2時間かけて福岡市の病院に運ばれましたが、5日後に亡くなりました。「医療機関の転院によるもの」として災害関連死に認定されています。
高間医師は当時、花梨ちゃんが肺炎だったこともあり、上空で酸素濃度が下がるヘリでの搬送は向かないと考えていました。また人工呼吸器などの医療機器が多く、バッテリーの消費やスペースの問題でも、ドクターヘリには乗せられないと判断したといいます。
※「崎」の字は「たつさき」
高間医師
「空路の方が早くは着くけれど、荷物が多くて、バッテリーも上がってしまうので、ドクターヘリは無理だと思いました。また、高山に登っているのと一緒で、どんどん呼吸の状態が悪くなってしまうだろうと」
しかし今振り返ると、もっと知識があればヘリを活用する選択肢もあったかもしれないと考えています。
高間医師
「自衛隊機だったら乗れないか、消防ヘリだと乗せられないか、そういうことをまず検討すると思います。その上で、航空医療のことをよく勉強している状態だったら、パイロットに『そんなに高くない高度を選択してください』ということを言うとか、もうちょっとやりとりができたと思います」
高間医師は、別の被災した病院でも患者を救急車で搬送させましたが、複数の患者が亡くなり、災害関連死と認定されています。
「もっと救える命を増やしたい」と、高間医師はその後、ドクターヘリを運用する鹿児島市立病院に移って学び直し、さらに自衛隊のヘリでの搬送の多い奄美市の病院でも経験を積んできました。
高間医師は、学会などで、災害医療に携わる医師や看護師にみずからの経験を伝えています。
高間医師
「ヘリを要請するには、ある程度正しい知識が必要だと思います。宮崎さんと同じような症例を安全に運べる体制を作っていくには、ヘリの知識がある人を増やしていかないといけない。災害時には本当に大事なツールなので、もっともっといろんな人が関わってほしい」
発生が想定される首都直下地震でも、ドクターヘリの活躍は期待されています。ただ本村医師によりますと、重症患者のうち、ドクターヘリで搬送できるのは「1%ほど」だと言います。その中で、本当にドクターヘリでしか救えない患者に集中して対応にあたるためには、搬送を要請する側とドクターヘリ側との連携が重要になると話しています。
本村医師
「ドクターヘリは大災害の重症者のうち、わずかしか救えません。いかに効率的に運用できるかを追求するとともに、要請する側の教育なども進めていく必要があります。また、ほかの機関のヘリや、陸路で搬送する救急隊などとの連携も重要になります」
スマートな印象を持ってドクターヘリの取材を始めましたが、災害の反省に向き合って、少しずつ改善を図る泥臭い部分を知り、少しでも伝えられればと思いました。また、本村医師がインタビューの合間に話した一言が忘れられません。「ドクターヘリは、くもの糸のようなものです。ヘリなど公助で助けられる人は限られるので、自分の身は自分の身で守るという気持ちで準備してほしい」。ドクターヘリが少しずつ準備を進める姿勢を見習って、改めて災害の備えを見直したいと思いました。