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東日本大震災から12年 経験を伝え続ける若者たち 千葉・旭市

  • 2023年03月09日

東日本大震災で津波などの被害を受け、16人が犠牲となった千葉県旭市。東北地方の被害と比べると取り上げられることが少なく、関東地方で津波の被害があったことを知らない人もいるかもしれません。あの日、旭市で起きたことを忘れてはいけない。12年がたつ今、震災経験を語り継ぐ活動を続ける若者たちがいます。

(千葉放送局記者 坂本譲)

忘れられない「あの日」

千葉県旭市の沿岸部の飯岡地区に住む、大木沙織といいます。今は、市内の生花店で働いています。12年前の3月11日、私は中学3年生でした。少し、あの日のことを思い出しながら、皆さんにお話ししたいと思います。

飯岡中学校跡地

かつて私が通っていた飯岡中学校のあった場所です。地震が起きたのは、3階建ての中学校の2階の教室で、同級生と卒業アルバムを見ているときでした。いつもと違う揺れで、ちょっと教室もざわざわした感じになりました。訓練通りみんな机の下に隠れて、揺れが収まるのを待ちました。「いつもより大きいな」とは感じましたが、このあとに起きることなんてまさか想像できず、当時は危機感はありませんでした。

飯岡中学校は校舎から見えるくらい海が近いところにありました。一度グラウンドに全校生徒が集まったあと、津波の危険性があるからということで、教頭先生の指示で学校から1キロほど内陸の公園に避難することになりました。最初は、このまま教室に戻って解散になるだろうと思っていたので、そこからまたさらに避難することになったときは、ただごとじゃないかもしれないと思いました。

避難先の公園です。学校から、全校生徒が1列になって徒歩でここまで来ました。到着する少し前、歩いてる時に2回目の震度5くらいの大きな揺れがちょうど来て、地面も波打つというか、立っていられなくて歩くこともできず、みんな悲鳴を上げて、恐怖を感じた瞬間でした。公園脇のポールも大きく揺れて、がたがたと音を鳴らしていた気がします。

大きく揺れたポール

公園の真ん中に全校生徒が集まって、保護者の迎えを待っていました。30分くらいたったでしょうか、私の母が車で迎えに来ました。父が自宅に残っていたので、一回家に戻って準備をしてから、高台にある母の実家に避難しようということになりました。

自宅に帰って、家の戸締まりや、服など持っていくものの準備をしていたときでした。

「水が来てる!」。母の声が聞こえて、玄関を開けてみると水がギリギリまで押し寄せてきていました。家の前は全部津波で黒い川のようになっていて、車が出せない状態になっていました。

近所の人が向こう側から「もっと大きい波が来るよ!」って叫んでいて。取り残されて、もしかしたらこのまま死んじゃうのかもしれないという気持ちになっていました。もう無理だって。その後、まもなく波が引いたので、急いで車に荷物を積んで、母の実家に避難しました。

今思うと、地震のあとに家に戻ってこないでそのまま高いところに避難するべきだったなと思います。今だったら、みんなで集まって避難するんじゃなくて、家族おのおのがその場所から自分の身を守る行動をしないといけないと思いますし、「ここは来ないだろう」といった思いは本当に捨てないといけないと思います。

母の実家へ避難したあと、一度、自宅の状況を見に来ました。我が家はかろうじて被害を免れたのですが、うちより海側の住宅は床上浸水や半壊の被害を受けていました。私の友人にも、自宅が大規模半壊の被害を受けた人もいて、津波、そして地震の恐ろしさを強く感じました。

友人宅の被害

知られていない、旭の震災

それから3年。私は神奈川県の大学に進学しました。自己紹介の場で、東北地方出身の人に対しては、みんなが「震災大丈夫だった?」って声をかけるのに対して、自分が「千葉県の旭市出身です」って言っても、特にそういった声はありませんでした。高校のときまでは、自分の出身を言ったら「津波大丈夫だった?」とか、「地震大丈夫だった?」って心配してくれるのが当然みたいな環境だったので、そこで初めて、ああ、あんまり知られていないんだなって実感しました。

大学では東北地方でのボランティアに参加して、被災者の方から、「被災地は忘れられるのが怖い」という言葉や、「被災地には若者の力が必要だ」という言葉を聞きました。旭市で考えてみたら、忘れられてるというよりもそもそも知られていないという思いがあったので、まずは旭市で起こったことをより多くの人に知ってもらいたい、心の復興という部分で旭市を盛り上げたい、という漠然とした目標で、仲間に呼びかけて活動を始めました。

iii project(トリプルアイ・プロジェクト)、始動!

今回、取材にあたった記者(坂本)は大木さんと同世代。「旭市の経験を伝えたい」という大木さんの強い思いに、感じ入るものがありました。

2016年、大木さんはSNSで地元の同級生たちに呼びかけ、「iii project(トリプルアイ・プロジェクト)」という団体を立ち上げました。3つの「i」には、i[飯岡(旭市)]に、i[私]の、i[愛]を、という思いが込められています。

プロジェクトのメンバー

10人弱のメンバーが集まり、旭市のために何ができるのか、何度もミーティングを重ねました。導いた答えは、小学生など次の世代への継承です。

大木さんたちは講演会を開いて自身の経験を語ったり、小学校を訪れて防災教室を開いたりと、主に子どもたちに向け、活動を行ってきました。

講演会のようす(2017年)

しかし、活動開始から7年が経ったいま、大木さんは子どもたちの中で震災のイメージが薄れつつあるように感じるようになったといいます。

「団体を立ち上げて活動を始めたときの小学生は、親御さんから当時の話を聞いたことがあるとか、地震や津波の被害について聞いているという声が多かったんです。しかし最近の小学生になると、震災後に生まれた子たちが多いので、活動を始めた当初よりも、震災についての知識というか、旭市で起こったことを知らない子が増えてきているのかなっていうところで、伝える難しさを感じています」

子どもたちに役立つ「防災ハンドブック」

そうした世代にいかに震災の教訓を生かしてもらうのか。大木さんたちが取り組んできたのは、オリジナルで作成している防災ハンドブックの改良です。

こちらの防災ハンドブック、子どもたちに旭市の震災や防災について学んでもらおうとメンバーが作成し、市内のすべての小学校に無料で配付しています。

災害に遭ったときに、子どもたちが自分の命を守れる行動をとる手助けになるようにしたいという思いのもと、ハンドブックのリニューアルを繰り返してきました。

初代のハンドブックでは、震災の被害状況が目で見てわかりやすいよう、被災者のインタビューや当時の写真をメインに。

2代目では、津波が実際に起きたときの避難に活用できるよう、地域の避難場所や浸水区域が分かるハザードマップを盛り込みました。

そして最新版の3代目では、当時中学生だったメンバー自身の体験談のほか、さらに実践的に、子どもでも簡単にできる防災グッズの作り方を掲載するなど、メンバー間で議論を行いながら、内容についてその都度見直しを行ってきました。

去年、新しいハンドブックを使って、市内の小学校で防災教室を開きました。大木さんたちは当時の経験を伝えるとともに、防災クイズや、避難所などで使えるスリッパ作りを子どもたちと一緒に行いました。

防災教室(2022年)
参加した小学生

「災害のときのことをわかりやすく話してくれて、授業もスリッパとかを作れて楽しかった」

伝え続ける、これからも

あの日から12年。当初は旭市の震災を知ってほしいという一心で活動を始めた大木さん。活動を続けるなかで、ただ知ってもらうだけではなく、自分たちの経験をこれから起きる災害への備えにつなげてほしいという思いが強くなったと話します。

「活動を始めた当初は、旭市で起こったことを多くの人に知ってほしいっていう思いが強かったんです。だけど立ち上げて7年、震災から12年がたった今は、自分たちより下の世代に旭市で起こったことをつなげていくというのと、実際に震災が起こったときに自分の身をどう守れるかということを、より伝えていきたいという思いに変わってきています。これからも小学生にどうしたら伝わるかというのを常に考え続けながら、みんなで話し合いながら、内容を濃くしていきたい」

取材後記

大木さんたちはことしの3月11日、新たにクラウドファンディングの立ち上げを発表し、防災ハンドブックの増刷につなげる予定です。ハンドブックは、ことし9月に旭市内の小学4年生全員に配る予定で、授業で地震について学ぶ際などに活用してほしいということです。

大木さんたちが学生の時から始めたこの活動ですが、メンバーが社会人となりなかなか時間が作れなくなったり、コロナ禍の障壁もあったりして、活動休止を余儀なくされた時期もあったといいます。それでも活動を再開し、今も震災の教訓を次世代に伝え続けているのは、大木さんたちの「被災した旭市のために力になりたい」という強い思いがあるからなんだと、取材を通じて感じました。これからも、彼ら彼女らの活動を応援し続けたいと思います。

  • 坂本譲

    千葉放送局記者

    坂本譲

    2020年入局。学生時代を東北地方で過ごし、東日本大震災の被災地に足を運ぶ。千葉県での震災や豪雨災害について取材を続ける。

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