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成田空港 建設反対派の看板ややぐら撤去 裁判所が強制執行

  • 2023年02月16日

成田空港の建設に反対するグループが滑走路近くの土地に設置している看板や建物などについて、裁判所による強制的な撤去が15日夜から16日にかけて行われました。
現場では反対派と警察の間でもみ合いが起き、捜査関係者によりますと、これまでに3人が公務執行妨害の疑いで逮捕されたということです。

土地 強制的な撤去

強制的な撤去が行われたのは、成田空港のB滑走路近くにある4600平方メートルあまりの土地です。

この土地は、空港に反対する男性が農業を続け、作業場などを設置していたほか、空港に反対するグループ「三里塚芝山連合空港反対同盟」が看板や建物を設置するなどして、活動拠点としていました。

2022年9月 東京高裁「仮執行宣言」

土地を所有する成田空港会社は、反対同盟に対して、看板の撤去や土地の明け渡しを求めて裁判を起こし、東京高裁が、去年(2022年)9月、反対同盟の控訴を棄却し、判決の確定前に強制執行ができる「仮執行宣言」を付けていました。

この「仮執行宣言」に基づき、15日夜から、裁判所による強制的な看板や建物の撤去が行われました。

15日夜は、反対派が、「農地を死守するぞ」「機動隊は帰れ」などと声を上げ、警察官ともみ合いになり、現場から連れ出される様子も見られました。

16日昼過ぎの現場は、高さ3メートルほどの金属製の板で覆われ、撤去された看板などが積み上げられていました。

捜査関係者によりますと、これまでに3人が公務執行妨害の疑いで逮捕されたということです。

反対派の活動拠点が撤去されたのは、2017年以来です。

成田空港会社は、この土地を活用して現在、「へ」の字型に曲がっている誘導路を直線化したい考えですが、土地の明け渡しを求める裁判はほかにも1件あることなどから、今回の撤去が終わっても直線化に着手する見通しは立っていません。

「成田闘争」とは

成田空港の建設は、昭和41年7月4日に閣議決定されましたが、建設を強引に進めようとする国の姿勢に地元の農家などが反発していわゆる「成田闘争」が起き、全国から集まった学生なども加わって反対運動は激しさを増していきました。

このあとも土地の強制収用などを巡って建設反対派と国側の対立は深まり、闘争の中で多くの死傷者が出る事態となりました。

この間も空港の建設は進められましたが、昭和53年には、開港予定日の4日前に反対派の活動家が当時の管制塔を占拠する事件が起き、2か月近く開港は延期されました。

流れを変えたのが、学識経験者などが参加して平成3年から始まった「成田空港問題シンポジウム」などの問題解決を模索する動きで、こうしたなかで国は、強引な手法だったとして謝罪し、歩み寄りが進みました。

その後、成田空港は日本の空の玄関口として発展し、現在、航空機の発着回数を現在のおよそ1点7倍の年間50万回に増やそうと、3本目の滑走路を新設するなどの計画が2029年3月末の完成を目指して進んでいます。

ただ、現在もこうした動きなどに反対するグループは定期的に集会を開いていて、今回、建物などの撤去が強制的に行われた土地は、その活動の拠点にもなっていました。

反対するグループは今後も活動を続ける方針で、「成田闘争」は、完全な解決には至っていません。

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