元気に生まれた我が家の長男。
生まれて半年、希少ながんが見つかった。
体に負担の少ない新しい薬があるが、日本では使えない。
手術や抗がん剤治療に耐えて退院できたけれど、重い障害が残った。
5歳9か月で突然の再発。
それでもまだ薬は使えず、眠るように逝った。
頑張らせてごめんな。
きみに使えなかった薬を、同じような病の子どもに届けられるようにしたい。
苦しい思いも、悔しい思いもして欲しくないから。
(千葉放送局成田支局 櫻井慎太郎)
男の子の名前は鈴木蒼(あお)くん。
2014年8月、鈴木隆行さんの長男として生まれました。
2996グラムの元気な赤ちゃんでした。
異変に気づいたのは生後半年を過ぎたころ。
元気がなくなり、体重も減り始めました。
検査の結果、脳と腎臓に腫瘍が見つかります。
医師から告げられた病名は「ラブドイド腫瘍」。
希少な小児がんの1つで治療法は確立していません。
診断後の生存期間は13か月前後とされていて、厳しい現実が突きつけられました。
医師から示された治療は、体への負担がとても大きいものでした。
10種類の抗がん剤を1年以上かけて使い、生涯当てられる最大量の放射線を当て、手術も行う計画です。
障害が残る可能性が高いことも伝えられました。
すぐに治療を始めなければならず、考える時間はあまりありません。
父親の隆行さんは、得意の英語を駆使して治療法を探しました。
見つけ出したのが分子標的薬の「タゼメトスタット」。
分子標的薬とは、がんの原因となる遺伝子の異常にピンポイントで作用する薬で、近年、開発が進んでいます。がん細胞だけに作用するため体の負担が少なく、開発に期待が高まっています。
「タゼメトスタット」は分子標的薬の1つで、ラブドイド腫瘍を悪化させる遺伝子のはたらきを阻害する効果が期待できる薬でした。
隆行さんは、この新しい薬が使えないか、医師に訴えます。しかし、この薬の子ども向けの治験は欧米で始まったばかりで、日本では行われていませんでした。
主治医からは「承認されておらず現時点で使うことは難しい。海外で治験を受けることは、治療も遅れるので現実的ではない」と告げられました。
隆行さんは医師に示された計画で治療を始めることを決めます。
蒼くんは、およそ10種類の抗がん剤の投与と放射線照射を続けながら、片側の腎臓の摘出手術、脳の腫瘍を取り除く手術を受けることになりました。
治療の経過はよく、苦しい闘病生活の中には笑顔もありました。
しかし、3回目の脳の手術から状況は変わります。
感情が出てこない。食べ物がうまく飲み込めない。座れない。
手術後、1歳の誕生日を迎えましたが笑顔はありませんでした。
隆行さん「治療しないという選択肢はなかった。ただ新しい薬が使えていれば、違った結果だったかも知れない」
2016年春。
蒼くんは1年以上にわたる治療を終えて退院します。
朝昼夕、30分から1時間ほど家の周りを歩くことが日課となりました。
毎日のリハビリとして始めましたが、歩くことが好きになっていきました。
ゆっくり成長し、旅行にも行きました。
「もう大丈夫かな」
隆行さんはそう思うようになっていたといいます。
2020年5月。
5歳9か月になった蒼くん。
再発は突然でした。
おむつが血尿で赤く染まりました。
隆行さんは直感的に再発だと分かり、暗い気持ちになったといいます。
再発時には放射線や使用できる薬が限られ、治療がより難しくなるからです。
検査の結果、残った腎臓に腫瘍が見つかり、リンパ節や肺への転移も確認されました。
最初に病気が見つかってから5年以上がたち、「タゼメトスタット」は使えるようになっていないのか。
隆行さんが調べると、いまだに子ども向けの治験は行われていませんでした。
メーカーに問い合わせると、無償提供プログラムがあることが分かります。
しかし未承認の薬を使ってくれる病院は見つかりません。
「親として諦めきれない」。
隆行さんは1か月分300万円を個人輸入して使うことを決めます。
副作用があればすべて自己責任となります。
しかし、薬は間に合いませんでした。
2020年11月19日早朝。
蒼くんは病院で、静かに亡くなりました。6歳でした。
隆行さんは最後に語りかけました。
「生まれてきてくれてありがとう。お疲れ。ごめんな」
欧米と比べて小児がんの新しい薬の承認が進まない現状を変えたい。
今月5日、隆行さんは都内で開かれたシンポジウムで経験を語りました。
主催したのは小児がんの患者団体や医師らでつくるグループ「小児がん対策国民会議」です。1年前に発足し、隆行さんもメンバーの1人です。
シンポジウムには、オンラインでおよそ270人が参加しました。
登壇した隆行さんは経験を語った上で、こう訴えました。
「6年間の短い人生で苦しい思いをさせてしまった。これが日本の現状です。せっかく開発された薬なので同じように届けてもらいたい」
国立がん研究センター中央病院小児腫瘍科長の小川千登世医師は、小児がんの新薬の承認をめぐる現状を説明しました。
それによりますと、2010年から2018年の間に日本で承認された小児がんの薬は18品目となっているのに対して、アメリカでは27品目となっています。承認された薬も日本は古い薬の適応拡大ですが、アメリカで承認された薬のほとんどが新薬だということです。
さらに2022年3月時点で、小児がんを対象とした臨床試験の数はアメリカでは321件、EUでは168件となっているのに対して、日本ではわずか38件です。
またアメリカではがんの薬を開発する際に子ども向けの開発を義務づける法律が成立しています。小川医師は、日本と海外で使える薬に差が出る「ドラッグラグ」がさらに広がっていると指摘しました。
その上で小川医師は、分子標的薬の開発を行う際に子ども向けの薬も同時に開発するための制度を日本でも導入する必要があると訴えました。
小児がん対策国民会議では、今年度中にも提言をまとめ、政府などに対して抜本的な制度改革を求めていくことにしています。
隆行さん「薬が効くかどうかはやってみないと分からないが、それを使うこともできなかった。何とも言えない悔しい思いがあります。そして、しんどい思いをしているのは、いま闘病している子どもであり、親だと思います。苦しい状況を変える薬を届けるために、私ができることをやっていきたい」
千葉市で活動する小児がん患者の支援団体を取材してきた縁で、「小児がん国民対策会議」の活動を聞き、鈴木さんと知り合いました。薬をなんとか届けようという鈴木さんの行動に愛情の深さを感じ、悔しさを想像して胸が苦しくなりました。
希少な病気の薬の開発には、多くのハードルがあります。製薬会社にとっては、市場規模が小さい一方で、安定供給や安全性確保の負担が大きくなります。
小児がん国民対策会議では、製薬会社も巻き込んで、新しい仕組みを政府などに提言しようとしています。どう具体的に政策に反映されていくのか、今後とも取材を続けていきたいと思います。