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航空業界でコロナ禍の出向 アラサー記者が出会った3人の女性

  • 2022年04月28日

新型コロナウイルス感染拡大から、3年目を迎えた2022年春。航空業界をめぐっては、国内線・国際線の利用者が戻りつつあり、復調の兆しがみえていますが、コロナ前の水準への回復は、まだまだ道半ばです。この状況下で厳しい経営が続く航空業界では、いまも多くの人たちが「出向」して別の企業や自治体で働く取り組みが続いています。“コロナ禍”という思わぬかたちでキャリアの転換を迎えた人たち。20代最後の春を迎え思い悩む記者が、彼女たちの思いを取材しました。

(千葉放送局成田支局記者 間瀬有麻奈)

いまだ厳しい航空業界

閑散とする成田空港 出国ロビー

遠い過去のように感じる2020年1月に国内で初めての新型コロナウイルスの感染者が確認されました。その直前まで、日本は「爆買い」に代表されるように海外からの観光インバウンドで活況に包まれ、成田空港でも旅客数は過去最高を更新し続けていました。
しかし、新型コロナの感染拡大によって一変。2021年の1年間の国際線の旅客数は2019年と比べて20分の1となる189万人余りにまで落ち込み、開港以来最も少なくなるなど激減。これにより航空業界はかつてない厳しい経営に追い込まれました。

相次ぐ出向 雇用維持のために

苦境に立つ航空各社が従業員の雇用を維持するため取り組んだひとつが、「出向」です。

JALグループでは、この4月では1日あたり約1100人が企業などに出向しています。ANAグループでは、これまでに全国で約1700人が約300の自治体や企業に出向しています。

地元の成田市も出向先のひとつです。2021年4月から受け入れを始め、2年目となるこの春からは、JALグループとANAグループから21人を採用しています。市の職員として成田市から給料が支給されています。

本音を聞きたい 悩めるアラサー記者

この取り組みに猛烈に興味を抱いたのが、入社7年目、29歳の私。
去年11月に成田支局に着任し空港での取材に一時は心躍ったものの、想像以上に閑散とした成田空港、そして、ゆかりのない千葉県での記者生活に悶々とした日々を過ごし、キャリアを見つめ直す日々が続いていました。

暮れゆく空を見つめる毎日

華やかな航空業界からの出向。一体どんな気持ちなんだろうか。キャリア設計はどう考えているんだろうか。私は話を聞きたくなりました。

 

免税店・バイヤーからの出向

最初に話を聞いたのは、出向先の成田市で2年目の春を迎えた横田真里子さん(39)です。
もともと空港内の免税店での販売員として約8年、海外客を相手に接客と販売。さらに販売する酒やたばこなどを仕入れるバイヤーとしても長年活躍し、キャリアを積み重ねてきました。外国人観光客が大勢訪れていた賑わいのなかで働いていました。

バイヤー時代の横田さん(右から2人目) 本人提供

その最中、新型コロナ感染拡大の影響で、商品の販売業務は激減。そこに成田市への出向の話が持ち上がったのです。

「私が成田市役所で働くんですか…?」

1年前の春、率直に不安を感じたという横田さん。しかも、行き先は「スポーツ振興課」。そう、この部署は、東京オリンピック・パラリンピックの開催が待ち受けていました。みなさん、覚えてますか?1年前のいま頃は新型コロナ感染拡大のまっただなか。日本国内では大会の開催に、賛否両論の声があがっていました。

成田市では、事前合宿でカナダやオランダなど5カ国のチームからおよそ120人を受け入れ。配属早々、横田さんがこの事前合宿にかかわることになったのです。自治体の行政の仕事、かつコロナ禍で難しい対応を求められるオリンピックにかかわる事業。社会人キャリア17年目で迎えた新たな職場で、緊張の日々が続きました。

横田真里子さん

世界的なスポーツイベントに関わることができることは率直に嬉しかったです。 ただ、民間の会社でずっと働いていたので、私に何ができるだろうか?という思いが ありました。感染が広がるなかでの大会開催に反対意見があることも考えて行動しない といけないと思いました。

合宿地で海外チームに対応する横田さん(中央) 成田市提供

実際、当時は、コロナ禍で海外から外国人選手が来ることに、市民から不安の声が市役所に届いてました。

「市民の人たちにも安心してもらいたい」。横田さんが市の一員として力を入れて取り組んだのが、事前合宿の期間中の感染対策の徹底です。事前合宿の最中の感染対策は、海外チームを受け入れる自治体側の責任もとで行われていました。

準備は昨年春から始まりました。横田さんは、事前合宿に来る可能性のある海外チームから、市内の滞在先のリストをそろえ、その滞在先の宿泊施設や練習場で、専用の出入り口を設定したり、PCRの検査場所を特設したりして、「密回避・市民と交わらない」を徹底した導線を作成。移動や宿泊先での日本の基準に沿った感染対策についても、市独自のマニュアルも英語で作成しました。

期間中はいわゆる「バブル方式」がとられ、横田さんたち市の職員は、直接チームと会話したり接することが原則できない状況だったため、メールを駆使しながらコミュニケーションを取り、海外チームが毎日PCR検査を欠かさず行っていること、感染者がいないことを、確認していきました。市民の安心・安全を守るという意識の強まりがあったといいます。

さらに横田さんはコロナ禍のオリンピックだからといって「やれない」で終わらせるのではなく、最大限やれることをしようと、対策を徹底した上で海外チームと地元の中学校と交流会や市民の練習見学を実現させ、その場で英語の通訳もこなしました。(このなかで小泉市長お得意のギャグまで通訳したことは内緒です)

初めてとなるコロナ禍のオリンピックの開催で、自治体も手探りで事前合宿の受け入れ。ある市の職員は「横田さんがいなければ事前合宿は成り立っていなかった。救世主のような存在でした。絶対に記事に取り上げてください」と私につぶやきました。

横田真理子さん

空港にいたときよりも、さまざまな人や地元との関わりがあり、視野が広がったと思います。最初は自分がこれまで関わったことのない仕事をするのは怖かったですが、市で経験を積み重ねるにつれ、やればできるという思いが芽生えました。新しいことへのチャレンジは、いつ始めても遅くないのかもしれません。

紆余曲折あった57年ぶりの日本でのオリンピック開催の裏にあった、出向者の横田さんの奮闘。私は初めて知りました。取材で質問をするたびに「うまくいえないのですが…」そう微笑みながら、控えめに自分の仕事について話す横田さんのかたわらで、別の市の職員が、横田さんの働きぶりを絶賛し感謝する様子をみて、その笑顔の裏にある努力をひしひしと感じました。

 

仲間を支える人になりたい

次に取材したのは、成田市役所にある市民の相談窓口で働く、竹内麻衣子さん(43)。
大学時代にイギリスの留学経験があり英語が堪能な竹内さんは、国際線の客室乗務員として世界中を飛び回り、乗務経験豊富です。しかし。コロナの影響で、国際線の便は運休や減便が続き、業務は激減しました。竹内さんも、多い時には月9本ほどの便に乗務して仕事をしていましたが、月に1本まで減ったといいます。そのなかで感じた思いがありました。

国際線の客室乗務員として世界を飛び回っていた 本人提供

竹内さん
コロナ禍で業務が減って出社する機会も減って、社内の人と直接接する機会も大幅に減りました。人との直接コミュニケーションがとれないなか、仲間たちがどんな思いでいるのか、わかならくなりましたし、自分の気持ちもどうケアしていけばいいのかということを、たくさん考えました。

客室乗務員の「チーフパーサー」として、仲間を束ね、指導する立場にもなっていた竹内さん。仲間が前向きな気持ちで仕事ができるように、何か自分にできることがないかと考え、業務が減ることでできた自分の時間を生かして、心理ケアの勉強を積み重ね、メンタルヘルスの資格を取得しました。

相談窓口で対応する竹内さん

そして、去年の春から、市民の相談窓口となる、市の「市民協働課」で働くことになりました。家庭のことや仕事のこと、自分が経験したことがない悩みや不安に向き合う日々の中、竹内さんが相談を聞く上で重要なことは何か、気づいたといいます。

相談窓口で気づいたこと

○業務で忙しいタイミングに相談が来たときはまず、手を止めて、話を聞く 
○自分が対応できないときには、同僚と協力して、業務を分担して相談を聞く
○すぐに相談を受け付けることがなくても、別の都合のよい日時を提示したり、別の窓口を紹介したりしてきちんと「取り次ぐ」

竹内麻衣子さん

人に相談するということは、すでに気持ちに余裕がない状況なので、最初の段階で 向き合っているよと、理解をしているよ、ということを伝えてあげることが重要だと 感じています。

市民協働課で2年目を迎えた竹内さん。メンタルヘルスについてさらに専門的に学びな がら知識を身につけていきたいと話してくれました。

竹内麻衣子さん

再び航空業界に戻ったときには、この経験を生かして、職場での悩みに耳を傾けて 話を聞いて、回復していく会社、そして仲間を支えたいと思っています。

コロナで一番ダメージをうけた客室業務員の仕事。大変な思いをされているはず。
それでも竹内さんはどんな質問にも、率直に、前向きに話をしてくれました。そのまっすぐな強い思いがとても印象的で、私の悩みも相談したくなりました。航空業界に戻った竹内さんが、空の上でも地上でも、これまで以上に活躍する姿が待ち遠しいと思いました。

 

今しかないと思った

最後は、ことし4月から成田市に出向している三上紗也香さん(29)です。
4月1日、成田市役所で開かれた出向者への辞令交付式で出会いました。三上さんは慣れないスーツに身を包み、緊張の面持ちで辞令を受けていました。配属先を尋ねると、観光プロモーション課ということでした。

この3月まで三上さんの職場は飛行場でした。飛行機への貨物の出し入れなどをする「グランドハンドリング」とよばれる仕事です。そう、空港の地上で働く、制服を来たあの人たちです。

コロナ禍で、三上さんが置かれた状況は、客室乗務員の竹内さんや免税店で働く横田さんとは少し違いました。このコロナ禍で成田空港は、国際貨物の取り扱い量が過去最高になり、三上さんが担当していた貨物機の取り扱いは増え、業務は逆に多忙でした。

グランドハンドリング こんな高い所でも 本人提供

専門学校を出て20歳から、空港で働き始めた三上さん。大好きな飛行機のそばで黙々と業務をこなし、時間通りに機体を飛ばすことにやりがいを感じていました。

そんな彼女がキャリア10年目を迎える前にふと思ったことがあったといいます。
「ずっと空港のなかで働いていて、いいのだろうか」。
三上さんは自他共に認める“人見知り”。グランドハンドリングの仕事では、外部の人とかかわる機会はほとんどなかったといいます。私が最初に三上さんに会ってインタビューをしたとき、緊張して固まってしまっていて、さまざまな関係先と接する観光プロモーション課で働いて大丈夫なのか、と勝手に心配をしたほどです。

そんな彼女が、30歳を目前にし、コロナ禍もあいまって、初めて自分のキャリアと向き合ったのです。そして自ら希望し“出向”に応募したのです。

三上紗也香さん

空港で飛行機のそばにいれることは幸せでした。でも、10年たっても、人となかなかうまく話せない、そんな自分を変えたいと思いました。やるなら今しかないと思いました。

間瀬記者

出向について、家族には相談したんですか?

三上紗也香さん

・・・いえ、しませんでした。採用されないかなと思ってて。決まってから報告しました。

間瀬記者

出向が決まったとき家族はなんて?

三上紗也香さん

・・・両親は「なんで市役所なの?」って言って驚いていました。でも、応援してくれました。

デスクワークにも少し慣れました

ことしは成田市でも、新型コロナで2年連続で開催が中止となっていた祭りやイベントが開催される予定です。三上さんは、地元や市役所のたくさんの人と関わって、いずれは成田市と空港をつなげる架け橋となれるように頑張りたいと、夢を語ってくれました。

取材で4回ほど三上さんと直接会って話を聞かせてもらいましたが、徐々に自分の気持ち話をしてくれるようになり、三上さんが真剣に自分のキャリアと向き合っていることを感じ、人と関わることにもすでに少し積極的になっているのかなと、その変化も感じました。三上さんの挑戦を応援したいと、心の底から思いました。

取材後記

「こんなはずじゃなかった」「コロナじゃなければもっとできたのに」。
新型コロナの影響で、誰もが苦しい思いをしていると思います。あれができない、これができないと、ネガティブな思考に陥っていた人も多いかもしれません。私もそんな一人です。航空業界からの出向は、もちろん大変なことも多くあり、すべてが“良かった”のひとことで語れるものでもないと思います。それでも、自分が置かれた状況下で奮闘する彼女たちの思いに共感し、ポジティブに今を生きるその姿に、勇気をもらいました。
 

  • 間瀬有麻奈

    千葉放送局成田支局

    間瀬有麻奈

    平成28年入局。愛知県出身、長野局初任地。 悩みがつきない20代最後の春、人生と向き合っています。

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