東日本大震災で県内では、成田市などで震度6弱の揺れを観測し、外房では津波被害が発生、浦安市や千葉市などでは液状化の被害にも見舞われました。死者は関連死を含めて22人、行方不明者は2人(県まとめ)。震災から11年、各地で祈りがささげられました。
高さ7点6メートルの津波が押し寄せた旭市。関連死を含めて14人が亡くなり、2人が今も行方がわかっていません。被害が大きかった飯岡地区では、日の出の時間から海岸に足を運び、海を見つめる人の姿が見られました。
「ふるさとは旭市ですが、11年前は銚子市に住んでいました。あの日の津波で、実家が半壊しました。子どもの頃から仲良くしていた近所の人が亡くなりました。何かあったらすぐに避難できるよう貴重品などはひとつにまとめています」
「自宅は無事でしたが、液状化で自宅が傾きました。11年は早いです。子どもの頃にチリ地震で津波を経験しましたが、あの日の津波は比べものにならないほどの大きさでした」
旭市では毎年、県と合同で追悼式を開催していましたが、10年をひとつの区切りとして、去年を最後に式典の開催を取りやめています。きょうは飯岡地区にある慰霊碑の前に献花台が設けられました。
震災が発生した午後2時46分にサイレンが鳴り響くと黙とうして 犠牲者を悼んでいました。
「『安らかに』という気持ちで献花しました。震災への思いは時間がたってもなくなることはありません。生きている限りは花を手向け続けたい」
「市民の生命と財産を守らなければいけないという思いを新たにしました。震災の経験や教訓を後世に伝えていきたい」
福島から千葉に避難している人たちも祈りをささげました。
京成津田沼駅の前では、県外避難者を支援している千葉県のグループが集まり、福島からの避難者とともに地震が発生した午後2時46分にあわせて黙とうしました。
復興庁によりますと、原発事故などの影響で福島から県外で避難している人は2月の時点で、全国で2万6600人余りに上り、このうち、2015人が千葉県で暮らしているということです。
「3月11日になるとあの日を思い出します。亡くなった人たちのことを思い黙とうをささげました。 ウクライナの原子力発電所がロシア軍の攻撃を受けるニュースをみて、福島でひどい思いをしたのに また同じことが繰り返されるのかと思うと悲しく、現地の人たちがかわいそうでしかたがありません」
旭市では新年度、沿岸から内陸につながる津波避難道路が完成する見通しです。
避難道路は、車道と歩道の幅があわせて12メートルと広く、▼片側1車線の車道の幅は3メートル▼歩道はスムーズに非難できるよう、2メートルの幅が確保されます。道路には海水浴に訪れた人などを誘導する表示板も設置される 予定だということです。
避難道路の近くにはことし4月、ニュータウンが完成する予定で、震災を教訓としたまちづくりが進められています。