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“重度訪問介護制度” で自宅で暮らしたい ALS患者たちの願い

  • 2022年02月10日

難病とたたかう患者やその家族が自宅で生活したいと願っても、必要な介護の支援サービスが受けられない。そんな深刻な現実が見えてきました。今回私が取材したのは、全身の筋肉が次第に動かなくなる難病、ALSの患者です。コロナ禍で入院先での面会が制限されるなか、自宅に戻りたいと望む患者もいて、今、改善を求める声が上がっています。

コロナ禍で夫とのやりとりが断絶

宇都宮市に住む内藤知子さん(71)です。
7年前、夫の啓一さん(73)がALS=筋萎縮性側索硬化症を発症しました。
啓一さんは寝たきりで、動かせるのは眼球と指の一部です。
4年前、介護をしていた妻の知子さんが体調を崩したことをきっかけに、市内の病院に入院しました。

啓一さんの入院生活の楽しみは、知子さん宛てのメールです。1日あたり20通ものメールを、毎日一生懸命書いて送っていました。知子さんも、啓一さんが入院する病院に毎日のように通い、メールのやりとりも楽しんでいました。

しかし、それがコロナ禍で大きく変わりました。

病院での面会が、自由にできなくなりました。
また、啓一さんが体調を崩したため、メールも送られてこなくなりました。
一体、夫の身に何が起きているのか。知子さんは不安に駆られたといいます。

これまで、「妻や家族の負担になりたくない」という思いから、啓一さんは入院生活を選んできました。しかし去年の夏、ついに啓一さんは「自分のわがままなのは分かっているけれど、退院したい」という意思を、知子さんに伝えてきたといいます。

夫の願いを知り、知子さんは、もう一度、家族みんなで暮らしたいと思いました。
そこで利用しようと考えたのが「重度訪問介護制度」という障害福祉サービスです。

これは、ALSの患者など難病や障害がある人が自宅で生活することを希望した場合、申請する制度です。通常の介護制度は、利用できる時間が限られているのに対し、「重度訪問介護制度」は昼夜を問わず1日中ヘルパーの介護を受けられます。

在宅介護イメージ

たとえば、ALSの患者で人工呼吸器をつけている場合は、呼吸器が外れないか、たんが詰まっていないかなど常に「見守り」が必要になります。その場合に使える制度です。

知子さんは、家に帰りたいという気持ちを啓一さんに打ち明けられてからすぐに、宇都宮市に「この制度を利用したい」と相談しました。
しかし、市は 以下のような理由を述べて、申請を受け付けませんでした。

▽啓一さんが退院後、介護にあたる十分な医療態勢が作れるか確認できないため、退院しないほうがいいのではないか?
▽ショートステイなど既存のサービスを利用してほしい
▽介護保険と併用して重度訪問介護制度を利用している人は市内にはいない

知子さん「周りの人に相談すると、“この制度は勝ち取らないと使えない”と言われました。国の制度なので申請すれば使えると思っていたので驚きました。夫のためにも頑張らなくちゃと思いました」

太田さんに助けを求める

事態を打開するため、知子さんは、ある人に連絡を取ろうと考えました。
ALSの患者であり、千葉県八千代市に住む医師の太田守武さん(50)です。

太田守武さん

太田さんは眼球と顔の一部しか動かせないため、自ら考案した黒目の位置で文字を示す方法(=Wアイクロストークという名前で眼球の位置で母音や子音を示す)で妻の友香利さんを通じて思いを伝えています。

去年9月、知子さんの元を太田さんが訪ねました。

太田さんに見守られながら、知子さんはその場で、改めて市の担当者に連絡しました。

知子さん
「以前、介護保険制度と重度訪問介護制度の両方を使っている人はいませんと伺ったことがあるんですが、どういう意味でしょうか?市内では併用している人はいらっしゃらないんですか?」
「重度訪問介護制度はハードルが高いので使えないと言われて、ショートステイを使うように言われたんですが・・・」
「夜間などで家族の介護力が見えないと何度も言われたんですけれど・・・」

やりとりの中でも、市側の回答は変わりませんでした。

宇都宮市役所を訪ねる太田さん

そこで、太田さん夫妻は、知子さんの代理人として、その日のうちに市役所を訪問しました。
担当者に直接、「重度訪問介護制度」は、患者や家族が自分らしく過ごすための命に直結する制度だと訴えました。

太田さん「啓一さんのことを市の担当者は“看取りの段階”とおっしゃったと聞きました。医師でもないのに診断を下したことになります。大事な家族のことをそのように言われた方の気持ちを分かってください。みなさんにも家族がおられると思います。大事な家族です。これは明らかな難病患者への差別ですよ」。

市の担当者は、知子さんとのやりとりの中で誤解があったとして、今後は慎重にやりとりを重ね、医療関係者へ聞き取りなどを行い、啓一さんが自宅に戻ったあとの態勢が十分かどうか審査することを約束したといいます。

宇都宮市とやりとりを重ねて1か月。
市は、「退院後の生活をどう支えていくかの確認に時間がかかったものの、その態勢が整ったことがわかった」として、啓一さんに重度訪問介護制度を使えるという通知を出しました。

夫婦が望む十分なサービスが受けられることになり、去年11月、家族がともに暮らせる日々が戻ってきました。自宅の庭には、啓一さんがALSを発症する前に植えたオレンジやレモンの木に実がなっていて、それを孫が穫って見せてくれるといいます。啓一さんは、何度も瞬きをして感謝の気持ちを伝えていました。

年末、太田さんが、そんな家族の様子を見に来ました。
啓一さんが家族に囲まれて過ごしている姿を見て、私には、太田さんがほっとしたように見えました。

太田さん「退院おめでとうございます!本当によかったですね」

啓一さん「ありがとう、自分の家に居られるのも太田先生、それから家族のおかげです」

知子さん「今、とても幸せです」

太田さんのもとには相談が続々と

医師である太田さんの元には、全国の難病患者やその家族から、不安や苦しみを訴える声が相次いで寄せられています。

「限界です_苦しいです_楽に死なせて」
「ただただ、しんどい。。もう終わっていいのでは。。」
「平穏に日々を過ごしたいだけなのに、それすらできないのか」

去年11月、太田さんは富津市で相談会を開き、ALS患者たちの声に耳を傾けていました。

この相談会に来ていた、市内に住む34歳の男性は、5歳、10歳、15歳の子ども3人と妻と暮らしています。男性は、健康と体力には自信がありましたが、4年前から両手にしびれを感じるようになり、2年前には腕が上がらなくなったそうです。

去年5月にALSと診断され、それから1か月ぐらいで呼吸が苦しくなり容体が急変しました。このまま病気が進行すると自発呼吸が難しくなり、気管切開をしなければ命に危険があります。しかし、気管切開をすると、家族に介護してもらうことになり迷惑をかけると考えて躊躇していました。そんなとき、重度訪問介護制度を利用できれば、家族以外の人から介護を受けられることを知り、手術を受けることにしました。

男性は、富津市に制度を利用するための計画書や申請書を出しましたが、自宅で家族以外の人から介護を受けられる十分な介護時間数分の許可が未だ下りていないといいます。

男性「前よりも働けなくなって、さらに自分が生きていくのにお金もかかって、そのうえで子どもや妻を養っていくということを考えると、自分の生きている価値とは何だろうと考えてしまいます。太田先生みたいにまだ“生きていて良かった”という感覚にはなれていません。それでも、太田先生はALSの当事者でかつ医師なので、理解してもらえる部分は大きく、信頼して何でも相談できます」

千葉県庁にも訴えかけ

太田さん「制度は利用できるはずなのに、地域によって利用させてもらえない患者さんがたくさんいます。地域格差のないように、困っている患者さんたちの手助けをしてあげたい」

先月、太田さんは、千葉県庁の障害福祉事業課を訪れ、自治体によって制度の利用許可にばらつきがあることについて、担当者の認識を聞きにいきました。

太田さん「八千代市の脳性麻痺の患者さんから、『“重度訪問介護制度を18歳で認めるのは前例がない”として市から制度の申請許可が下りない』という相談を受けました。18歳から利用してはいけないんですか?」

県担当者「年齢は関係なく、18歳だから認められないというのは制度上はあり得ない話です。前例がないというのも関係ないです。その方の状態や環境に応じて制度を利用してもらうものなので、それを理由に必要な支援を行わないというのは制度の趣旨にそぐわないと思います」

太田さん「富津市に住むALSの患者さんは、市から『重度訪問介護制度の基準は月248時間だ』と言われたそうです。月248時間が基準では、それ以外は家族が介護をすることになり、家族に負担をかけたくない患者は自宅で暮らせる訳がありません。県としてどう思われますか?」

県担当者「実際に富津市の審査基準を見ていないので断言できませんが、基準以上に必要な方は、相応の支援を受けることができると、制度には書いてあります。富津市に限らず、必要な支援の量は見極める必要があります」
「国のマニュアルにもありますが、家族がいることを前提に介護量を決めてはいけないんです。そういう意味では、『家族がこれくらいの介護はできるよね』というふうに支援から差し引くのはダメですね。自治体の担当者が誤解することがある部分なのですが、家族の介護量を決めつけず、実際の状態を確認した上で必要な支援を決めていく必要があると思います」

太田さん「県として市町村の対応のばらつきを調査したほうがいいと思います」

県担当者「やり方は2つあると思います。1つは、県として細かな状況を患者などから教えてもらい、『なぜそういう状況になったのか』を把握して、市町村に助言をすることができます。もう1つは、患者が県の窓口に審査請求をして、県が第三者の立場で状況を把握し、一定の強制力を持って対応に当たるというものです。こちらは結論が出るまで時間はかかりますが、こういうやり方もあります」

太田さんと県の担当者とのやりとりは、1時間以上続きました。

県担当者「きょうの太田さんの話を聞き、国のマニュアルを正確に理解できていない自治体も多い印象を受けました。正しく理解してもらえるよう県としてもフォローしていきたいと思っています」

太田さん「重度訪問介護制度を受けられる時間数を出してもらうことができず、自分は生きていても仕方がない、家族のために延命したくないという患者がいます。命はたった1つしかないんです。生きる希望をとりあげないでください。みんな家族のために死を選んでしまうんです。重度障害があっても、自宅で過ごせる時代なんです。でも、役所に頭を下げ続け、生きる希望を失ってしまうんです。だから、県や市が味方になってください

私は、国の見解を厚生労働省に聞きました。
制度の利用を希望する人の実態を把握していないとする一方、自治体に通知を出すなどして必要な人が利用できるよう促している、という回答が返ってきました。

自治体は制度利用の呼びかけを

障害者政策に詳しい早稲田大学の岡部耕典教授は、重度訪問介護制度の申請許可を出すことに後ろ向きな自治体があることについて、財政負担の問題を指摘します。

早稲田大学 岡部耕典教授

岡部教授「この制度の財源は、国が2分の1、都道府県が4分の1、市区町村が4分の1を負担することになっています。どんなに小さい自治体でも、利用希望者が1人や2人なら財政が揺れることはないのですが、希望者が増えた場合に、国からの支給額を超える恐れがあります。その場合は、超過分をそれぞれの市区町村が負担するわけです」

また、自治体担当者の意識の問題もあるのではないかと話します。

岡部教授「日本は、障害者の権利に関する条約を批准する国として、どんな障害があっても、どんなに障害が重くても、地域で自分の望む暮らしができるようにしなくてはいけないと思います。その意識が自治体によってはまだ薄いのかもしれない。本来なら国や自治体が、重度訪問介護制度や仕組みを積極的に使うよう薦めたり、遠慮せずに使っていいんだよと呼びかけたりする必要があります。そうしなければ、家族が崩壊してしまったり、望まない施設への入所を強いられたり、入院を選択したりしてしまう。自治体には、この制度によって救われる人や家族が多くいることをしっかりと自覚してもらいたいです」

太田さんを突き動かすもの

太田さんのもとに寄せられた相談は、この1年で1000件を超えるといいます。このうち、200件ほどが深刻なもので、その大半が重度訪問介護制度の利用についてだったそうです。

私は2年前から、太田さんを取材してきました。今では「仏の太田」と言われるほど、穏やかな方ですが、壮絶な過去と、それを乗り越えてきたからこその強い信念があると感じています。少し太田さんの過去についてお話しします。

太田さんにALSの症状が出始めたのは11年前、東日本大震災の直後でした。足に力が入らず、階段の上り下りが不自由になったといいます。それでも、医師として、東北の被災地に入り、医療相談や訪問診療を手がけ、被災者と向き合って心のケアに取り組んできました。

当時は、息子の陸斗くんが生まれた直後でもあり、医師としても、父としてもこれからという時にALSと診断されました。診断直後、看護師でもある妻の友香利さんはその場で泣き崩れたといいます。太田さん自身も今後自分の身に起こることが痛いほどわかり、絶望して死ぬことしか考えられなくなったそうです。

「生きていても意味がない。家族の負担になるくらいなら死にたい。幸いまだ息子は小さいので今のうち離れれば、記憶に残らないだろう」と、死ぬことばかり考えていたといいます。

しかし、足が動かなくなった自分に対して、医師としての役割を期待してくれた被災地の患者や、講演会で自分の話を楽しみにしてくれていた地域の人々を思い出し、太田さんはだんだんと、「患者になった医師だからこそ伝えられる思いがあり、できることがある」と思えるようになったそうです。

太田さん家族

それからというもの、太田さんは毎年のように被災地を訪れて被災者の心のケアに取り組んできました。
去年の東京オリンピックでは、聖火ランナーにも挑戦しました。
誰かに車いすを押してもらうのではなく、手や足が動かなくなった今でも、ひとりの力で車いすを動かして完走する姿を通して、少しでも寝たきりの人や障害のある人に希望を届けられるのではないかと考えたからです。わずかにうごく顔の一部にセンサーをつけて、一生懸命特訓をし、200メートルの距離を12分間かけて完走しました。

太田さん「介護疲れで共倒れしてしまう人が多いです。家族が介護しなければならないという風潮を変えたいですね。国の制度を必要な人が必要なだけ利用できないのはおかしいです。自宅こそ最高の場所ですから。私はひとりでも多くの方を手助けしていきます。だからひとりで抱え込まずに困ったことがあればいつでも相談をしてほしいです」

太田さんは、誰もが「自分らしく生きること」ができる社会にしたいと、きょうも奮闘しています。

取材後記

太田さんの元に寄せられる難病患者や障害者の悲痛な声の多さには非常に驚きました。
取材を通して、重い病と闘う患者やその家族が、サービスの利用を繰り返しかけあっても市区町村から認められず、二重の苦しみにつながっているという実態も見えてきました。
自治体には相談があった場合、「どうしたらいいのか」「どれくらい支援が必要なのか」を親身に考え、当事者や家族に寄り添った支援方法を模索してほしいと思います。

一度死を考え、絶望した経験があるからこそ、太田さんは「自分らしく生きる」ことの重要性を訴えています。

太田さんは、家族や仲間に囲まれて毎日楽しそうに暮らしています。息子の陸斗くんは、そんな父の背中を見て育ち、将来は医師を目指しているそうです。太田さんは寝たきりになっても旅行に行っていますし、胃ろうになっても大好きなジャンクフードとお酒を楽しんでいます。

太田さんは、「自分は病気が治って、10年後には息子とキャッチボールをしている」と常々話しています。決して希望を捨てていません。前を向いて生きる強さを感じます。

最後に太田医師の言葉を添えたいと思います。
「生きることは素晴らしい。
 これからも皆さんと共に生きる希望の光を灯し続けていきたいです。
 苦しみの中に光あれ!」

  • 松尾愛

    千葉放送局 記者

    松尾愛

    2013年に入局後、宇都宮、金沢を経て現所属。
    2019年の台風15号の時に初めて医師・太田守武さんと出会い2年以上、太田さんに密着取材を行う。今後も太田さんやALSなど難病患者の人たちに寄り添った取材をしたい。

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