ページの本文へ

静岡WEB特集

  1. NHK静岡
  2. 静岡WEB特集
  3. 家康と帝国スペインの接点 大航海時代の大砲の弾の謎 NHK静岡

家康と帝国スペインの接点 大航海時代の大砲の弾の謎 NHK静岡

千葉県御宿沖に沈むサン・フランシスコ号沈没の謎
  • 2023年07月07日

2017年、千葉県御宿町沖の水深39メートルの海底で、水中考古学者が1つの丸い石を見つけました。 この海域では江戸時代のはじめ、スペインに繁栄をもたらした船、ガレオン船が沈没しましたが、船体や残骸はいまだに見つかっていません。
家康は乗組員らを手厚く保護。日本で初めての洋式帆船まで建造して本国に送り届けます。
その後スペイン国王から家康に返礼の品として洋時計が贈られます。 
果たして丸い石は船と関連があるのでしょうか?
実は田中洋行アナウンサーはこの石が発見されたときに研究者に密着し、潜水取材を行っていました。 丸い石のその後を追いました。

大航海時代のスペインに
繁栄をもたらしたガレオン船

大砲を放つスペインのガレオン船の絵画

御宿沖に沈んだスペインの船、サン・フランシスコ号は、1609年、当時植民地だったフィリピンから太平洋を横断してメキシコに帰る途中に難破。9月30日、千葉県の御宿沖で沈没しました。

乗組員が上陸したとされる御宿町の浜

 乗組員373人のうち、助かったのは317人。乗組員の中にはフィリピンの前総督もいました。御宿町は当時、大多喜藩の領地で、家康は大多喜城主の本多忠朝(ドラマでおなじみ本多忠勝の次男)に命じ、彼らを手厚く保護します。当時の様子は日本側だけでなくスペイン側の乗組員も記録していて、文献の上では家康が大航海時代の帝国、スペインとどう向き合ったのか知ることができます。

しかし、肝心の船は見つかっていません。

2017年の水中考古学調査

調査計画を国内外の研究者に説明する木村淳さん(2017)

 東海大学人文学部の水中考古学者、木村淳准教授は2016年から3年かけて、この海域で考古学調査を実施。2017年にはアメリカやオーストラリア、フィリピンの研究者らとともに推定される海域に潜りました。
実はその調査に私も同行して潜水取材を行っていました。 

調査地点に潜る直前をリポートする田中洋行アナ

沈没推定海域の潜水調査

調べるのは岸から6キロ沖合の水深およそ40メートルの地点。これまであまり調査されてこなかった場所です。最新の磁気探査技術などを用いて推定しました。

水深40メートルはマンションなどのビル13階に相当する深さで、空気で潜る限界です。海底で作業できる時間は10分程度しかありません。
 経験豊富なダイバーばかりですが、海流もあり、大型の船舶も航行する海域のため、全員緊張感を持って海に入りました。 

水深40mの海底

青い海。視界は良好でしたが、海底を見回してもそれらしき残骸はありません。研究者は金属探知機で海底を探索しますが、反応はなく、船らしき残骸も見つかりません。 

広い海では大きな船も点でしかありません。私も実際に潜ってみて、改めて沈没船を探すのはそう簡単なことではないことを思い知らされました。 

丸い石を発見!

海面に浮上しようとした時のことです。オーストラリアの研究者、イアン・マックカーンさんが丸いものを手にしていました。

石のようですが、水中ではよくわからず、私は「何を握っているのだろう?」と思っていました。
しかし、陸にあがると研究者がその石を熱心に観察します。

大砲の弾 石弾か?

 実は、サン・フランシスコ号と同じ時期にフィリピンのマニラで沈没したガレオン船からは大砲の弾に使われた丸い石、石弾が数多く引き上げられています。

 当時船に積まれていた大砲の弾かもしれないと期待が高まりました。

しかし、天候の不順などで丸い石の見つかった場所にその後潜ることはできず、調査期間は終わりました。また石も完全な球形ではなく、長い間海に沈んでいたようで、海藻や付着物に覆われていたため、この時の調査でサン・フランシスコ号の遺物かどうかはわかりませんでした。

発見から5年 改めて石に迫る

あれから5年。コロナ禍によって研究は一時中断していましたが、木村准教授は改めてヨーロッパの研究者と共同でこの石や、当時のガレオン船による交易を調べることにしました。 

石をクリーニングする木村准教授(資料)

沈没船につながる手がかりがない中、今年3月、この石の組成を岩石の専門家に調べてもらうため、思い切って切断することにしました。

石は千葉県にはない安山岩

専門家による分析の結果、石は火山岩の安山岩であることがわかりました。火山のない千葉県で自然にできる石ではないことがはっきりしました。 また地元の漁業者へ聞き取りを行った結果、このあたりでこのような石が漁具などに使われた話もありませんでした。

小さなサンプルは海外の研究機関に送る予定

ことし5月 フィリピン国立博物館へ

石の分析が終わり、木村准教授は実際の石弾を確認する必要があると考えました。ことし5月、当時のガレオン船から引き上げられた石弾が収蔵されているフィリピン国立博物館を訪ねました。
御宿の沖で見つかったものは、球状でもややいびつな形をしていたため、本当に大砲の弾として使用できるのか、疑念があったのです。

フィリピン国立博物館(木村准教授提供)

形もサイズもそっくり

マニラの国立博物館には、サン・フランシスコ号と同じ時代に沈んだガレオン船、サン・ディエゴ号から引き上げられた石弾が収蔵されています。

サン・ディエゴ号の石弾(木村准教授提供)

現地で確認したところ、フィリピンの石弾の中にも御宿の沖で見つかったようなややいびつな形状の石弾もあり、かなり形状が近いものも確認できました。

左手前の石弾は御宿の石に似ています(木村准教授提供)

大砲 ペドレロ砲にサイズが合う

当時のガレオン船に積まれていた大砲は数種類ありましたが、ペドレロ砲(Pedrero Cannon)と呼ばれる大砲の口径は17センチと、御宿の石(最大の径が12センチ)を打ち出すのに合うこともわかりました。

ペドレロ砲(左)(木村准教授提供)

 フィリピンの石弾は文化財として管理されているため、安易に切断して岩石を調べることはできませんが、3次元のデータを取得したり、御宿の石のサンプルと比較したりして、今後さらに分析を進める予定です。

沈んだ船には
ダイヤモンドやルビーも

船が沈没した御宿町の海

千葉県御宿沖に沈んだサン・フランシスコ号にはダイヤモンドやルビーなどが積まれていた記載もあります。これまで「宝船」との言い伝えで、様々な団体が探索してきましたが、手がかりは得られていません。
 千葉県御宿沖の丸い石が本当に当時の大砲の玉なら、沈没船に一歩近づいたことになります。 

世界の研究者が注目する
“太平洋”のガレオン交易

それにしてもなぜ、今、考古学的な調査が行われているのでしょうか? 
実は、当時のスペイン帝国は大西洋だけでなく、既に太平洋を横断し、フィリピンとメキシコを行き来するマニラ・アカプルコ航路でも交易を行っていました。ところが、大西洋側にくらべて太平洋側の研究はあまり進んでいません。

 250年続いたこの交易で太平洋では9隻のガレオン船の沈没が知られています。積み荷や船の構造などから当時の交易が徐々に明らかになりつつあるのです。

マニラ・アカプルコ交易の沈没船遺跡

沈没船は遺跡としても保護が進んでいます。サン・フランシスコ号の発見は大航海時代に繁栄を極めたスペインの交易をさらに詳しく知る手がかりになるはずだと欧米の考古学者から注目されているのです。 

駿府の家康と面会した
スペイン人

一方で、日本は家康が天下統一を果たし、駿河で大御所として暮らしていた時代です。沈没した船に乗っていたフィリピンの前総督は駿河の家康と面会します。
家康は沈没船の乗組員のために、外交顧問のウィリアム・アダムス(三浦按針)に命じて日本初の洋式帆船(ガレオン船)「サン・ブエナベントゥーラ号」を建造。無事に太平洋を横断させて本国に帰還させています。

スペイン国王から贈られた時計

家康はなぜそこまで彼らを手厚く保護したのでしょうか?研究者の間では当時の家康はかなり正確にスペインのことを理解していて、救助の見返りとして、具体的にスペインに要求した内容も記録として残っています。

久能山東照宮所蔵 家康公の時計(重要文化財)

沈没から2年後の1611年。家康は、スペイン国王のフェリペ3世から救助の返礼として貴重な洋時計を受け取ります。
家康はこの洋時計をどのように見ていたのでしょうか? 

研究室で石を手にする木村淳准教授

日本で初めて洋帆船を建造したのは伊東市、そして洋時計は静岡市の久能山東照宮博物館に展示されています。 静岡と深い関係を語る沈没船は一体どこにあるのでしょうか?
石は世界と日本の歴史をつなぐ手がかりとなるのでしょうか?丸い石からは晩年の家康の「どうする?」が見えてくるようです。

  • 田中 洋行(たなか・ひろゆき)

    NHK静岡 アナウンサー

    田中 洋行(たなか・ひろゆき)

    大学で海洋生物を学んでNHKアナウンサーに。
    人と海との関係は奥深く、魅力だけでなく環境の問題や歴史なども長年取材、発信しています。「しず海ひろば」で静岡の海を発信しています!

ページトップに戻る