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徳川家康の家臣 酒井忠次が刀に込めた信念と決死のえびすくい

  • 2023年07月12日

徳川四天王の一人、酒井忠次。徳川家康の右腕として活躍し、徳川家臣団の筆頭家老としても知られています。今回、忠次愛用の刀に込められたある思いをお伝えします。

酒井忠次愛用の刀「猪切(いのししきり)」

徳川家康の重臣・酒井忠次の刀、「猪切」(いのししきり)です。狩りの途中で襲ってきた猪を、忠次(当時16歳)が切り倒して、主君を守った褒美として与えられた刀です。

忠次はこの刀を誇りとして、終生大切にしていました。

 

刀に彫られたふたつの梵字。

刀の裏には、ゆるぎない心を表す「不動明王」。

刀の表には、周囲との融和を大切にする「愛染明王」。

忠次は、この2つの心のあり方で戦国時代を切り開いてきました。

長篠城をめぐる攻防

天正3年(1575年)5月、織田・徳川連合軍と武田軍が長篠城(愛知県新城市)をめぐって戦いました。
武田信玄亡き後、長く続いた武田家との争いに対する、勝利のきっかけとなった戦いです。
 

 

長年家康について研究している市橋章男さん。大河ドラマ「どうする家康」では、資料提供者として携わっています。

市橋章男さん

武田信玄が亡くなって、(家康が)ほっと一息したわけではなくて。
(信玄の)息子の勝頼が、大変な人数で織田・徳川に圧迫をかけてくるわけですね

織田・徳川連合軍3万8千人。武田軍1万5千人。数日間、武田軍とにらみ合いが続きました。

長篠城に立てこもる徳川軍を救出せよ

武田軍の後方にある長篠城に、城主・奥平信昌と城兵およそ500人が立てこもる徳川軍。
その長篠城を、鳶ヶ巣山(とびがすやま)に陣取る武田軍が見張っています。
 

長篠合戦図屏風 豊田市蔵(浦野家旧蔵)

戦いの目的は武田軍の大軍に囲まれた長篠城(城主:奥平信昌)に立てこもる徳川軍の救出です。
しかし、救出は困難を極めていました。

奥平信昌像 自性寺所蔵 新城市設楽原歴史資料館提供

そこで忠次が考えたのは敵が気づかないように迂回して、武田軍が陣を構えた鳶ヶ巣山砦(とびがすやま)を攻め落とす作戦です。


しかし、険しい山道を通り、見つかれば討ち死にする可能性の高い決死の奇襲作戦でした。
軍議の席で、忠次は鳶ヶ巣山にある武田軍の砦を襲う作戦を、信長に申し出ました。

決戦を前に、忠次の家臣へのある気遣いとは

決戦を前に、忠次が考えていたのは作戦だけではなく、家臣へのある気遣いでした。酒井家の史書「御世紀」には、武田軍との決戦を前にして徳川軍の陣中が不安な状況に陥っていた時に、忠次自らが狂言を披露して家臣たちを笑わせる事で、徳川軍の士気を高めたことが記されています。

御世紀(致道博物館蔵)

大河ドラマでも、たびたび忠次が踊る「えびすくい」。
江戸幕府の公式史書である「東照宮御実紀」にも、武田軍を前に意気消沈する家臣団の前で、
家康の命令により、「えびすくい」を披露する様子が記されています。

酒井忠次像(徳川十六将図   
一部加工 浜松市博物館所蔵)

刀に刻まれたふたつの思い

忠次はこの奇襲作戦に、死を覚悟してのぞみました。
忠次が長年大切にしてきた刀に刻まれたふたつの思い。

困難な作戦を最後までやりぬく揺るぎない強い気持ち。

部下の武将をまとめ、勝利に導くこころの在り方。

武田軍の裏をかく、忠次の奇襲作戦

暗闇の中、忠次が率いる織田・徳川軍は、およそ8キロの険しい山道をおよそ8時間かけて進みました。早朝から忠次は武田軍の砦を攻め落として、長篠城に立てこもる味方の奥平信昌を救出しました。

長篠合戦図屏風 豊田市蔵(浦野家旧蔵)

この戦いの詳しい様子が、酒井家の史書「御世紀(致道博物館蔵)」に、次のように残されています。
~御世紀(致道博物館蔵)より~ 
その夜、天気は晴れても暗く、ほんの近くも見分けられず、それゆえ諸軍は道に迷ってしまった。
(徳川軍の武将の)菅沼定盈は、ここの地理が頭に入っており、先導役の先に立って進み、吉川の村を過ぎて、菅沼山を越えようと急いだが、道路がたいそう険しく崖が崩れ、道が断たれて無理をしても一歩も進めず、諸軍はぼう然としてしまった。
忠次公は、上手い策を考え出され(一計を案じられ)、縄を木の根に結び付け、縄にすがってよじのぼり、全軍難なく物音もさせず、一兵も損なうことなく、菅沼山に到着した。
武将も兵もこの地でそれぞれ甲冑を身に着け、そこから祖父山に着き、(5月)21日、空がまだ明るくならないうちに鳶巣山に押し登り、(武田勝頼の)陣営に火を放ち、大勢の鬨(とき)の声をあげて攻めなさると、敵兵は急なことで大変慌てふためき、しだいに弓・刀でもってはねつけ、中でも守将の武田信実、三枝晴行、和田信業、飯尾助友たちは、勢いよく飛び出してきて勇ましく戦ったが、忠次公はこれを打ち破った。
【訳:岡崎市・小幡早苗 学芸員 】

御世紀(致道博物館蔵)

その後、戦いは戦国最強といわれた武田軍の武将や騎馬隊を打ち破り、忠次は織田・徳川連合軍に大きく勝利を引き寄せました。
 

市橋章男さん

忠次というのは、作戦を立てるっていうのも優れていると思います。
もう一つは実行力です。やるんだというところがないと、この作戦成功しません。
でも、それを(忠次は)やり遂げたということですよね。

市橋章男さん

(忠次は)強面の、ビシビシの軍略家だけじゃなくてね。
家臣たちには優しい面白い、よく理解力のある、
そういうリーダーじゃなかったのかなと。非常にバランスの取れた。
だから、(家康は)酒井忠次を最後まで重臣として自分の側から離さなかった。

梵字に込められた忠次の思い

忠次愛用の猪切(いのししきり)に刻まれた二つの梵字。ゆるぎない心で戦い抜き、部下を見守る忠次の強い思いが刻まれています。

【動画】2023年6月16日放送

  • 鎌田隆宏

    NHK静岡放送局 カメラマン

    鎌田隆宏

    おととし20年ぶりに初任地・静岡に戻りました
    推しは【駿河湾特産のシラス】です

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