静岡家康紀行 梅に込めた家康の思い
- 2023年03月03日
徳川家康ゆかりの人や史跡を訪ねる「静岡家康紀行」。
今回の舞台は静岡市清水区にある「清見寺」(せいけんじ)です。清見寺は、家康が将軍職を息子・秀忠に譲った後も大御所としての政務の合間に足を運んでいました。今年もお寺の一角では梅が花を咲かせています。花に込められた家康の思いをお伝えします。
静岡県富士山世界遺産センターが所蔵する「富士三保清見寺図屏風」は、17世紀後半に描かれた屏風絵で、当時の清見寺の様子が詳細に描かれています。
静岡県富士山世界遺産センター 松島仁教授
「この境内の中には、臥龍梅という家康お手植えとして知られる梅も植わっていて、それがひときわ大きく、こちらの屏風の中には描かれています」
静岡市清水区にある清見寺では、家康お手植えの樹齢400年を越える臥龍梅が、ことしも花を咲かせました。
清見寺は約1300年前、交通の要所として設けられた関所「清見が関」(きよみがせき)が由来の寺で、後に今川家や徳川家の帰依を受けて繁栄した寺です。
少年時代、人質として駿府で過ごしていた家康は、清見寺で今川家の軍師であった雪斎禅師から歴史や兵法を習っていました。後に息子の秀忠に将軍職を譲った家康は、江戸から駿府へ戻り、忙しい合間を縫って清見寺を訪れていました。
国の名勝庭園に指定されている「清見寺庭園」は、家康がみずから指揮をして作り上げた庭園です。その頃の清見寺は、家康が国交回復に尽力した朝鮮の外交団を迎える宿舎でもあり、寺を訪れた外交団は、平和友好のシンボルとして、梅を眺めて楽しいひとときを過ごしました。
朝鮮通信使が当時の住職と交わした漢詩には「(清見寺の)庭によい梅が植わっている」との記述も残っています。
清見寺 一條文昭住職
「当時の住職の大輝和尚と非常に交流が深くて、たびたび清見寺に来ていただいて茶会をしたり、能の舞を催したり、家康公にとってはおそらく心落ち着く場所だったろうなと思う。心静かに人生を振り返って、自分の歩んできた人生などを振り返って、ゆっくりと考えられる場所だったのではないのかなと思います」
静岡市の天然記念物に指定されている家康お手植えの「臥龍梅」は、地面に竜が臥した様な姿からその名がつけられました。
樹齢400年以上の老木ですが、ことしも綺麗な白い花を咲かせました。
清見寺を訪れた女性
「なんだか徳川家康とおんなじ時間の中で見ている感じがしますね」
散歩で訪れた夫婦
「世の中がね、平和だから花をめでることができると思うので、それが幸せだなと思います」
清見寺 一條文昭住職
「家康公の(平和を願う)心を現代まで伝えていただいている。そういう梅と私はとらえています。(臥竜梅の)命が続く限り、またこれからの時代に伝えていきたいなと思っています」
家康がこころを休めに訪れていた清見寺では、今の世に、平和への思いをつなぐ梅の花が咲き続けています。