プロフェッショナル仕事の流儀 魚屋・前田尚毅さんの情熱焼津
- 2023年06月07日
国内外の一流のシェフらと取り引きする日本を代表する鮮魚店の前田尚毅さん(48)。「記憶に残る味を未来に残したい。勝負するなら近いところ」と今、地元の食材を最大限に生かす取り組みに力を注いでいます。1人の魚のプロが駿河湾の恵みを軸に漁師や調理人を巻き込み、水産の街、焼津市を変えようとしています。
バトンリレーが焼津の強みに!
屋号「サスエ」、魚の街に60年以上続く老舗の鮮魚店。その5代目の前田尚毅さんは競りがある日は毎日、港に足を運びます。2月26日午前7時前。焼津市の小川港の魚市場にその姿がありました。水揚げされたのは定置網漁で取れた魚たち。スマホで料理人からの注文を確認しながら、魚の状態を見て回ります。
(前田尚毅さん)「魚のサイズを見ています。競り落とした魚がいつ、どんな料理で提供されるのかすべて頭に入っていて、料理人とは二人三脚です。漁師が加われば地元の鮮度のよい食材がさらに生かされます。魚は漁師、魚屋、料理人のバトンリレーでお客さんに提供されます。すべてのバトンがつながれば、焼津の強みになると思うんです」
生きたまま 浜も変わる!
魚をベストな状態で提供すること。前田さんの呼びかけで、漁師たちも変わり始めているといいます。焼津市にある定置網漁の会社も去年11月から、生きたまま魚を水揚げすることに協力してくれています。
(前田尚毅さん)「おいしくするには、魚にストレスが少しでもない方がいい。定置網は魚の種類が豊富で、タチウオやカマス、エボダイまで生かしてもって来てくれます。今では、10程度ある漁法のすべてで漁師さんたちが魚を大事にしてくれています。間違いなく浜も変わってきています」
定置網の会社では、これまで生かしていなかった魚をいけすで持ち帰っています。タチウオを生かしたままにすることなど考えもしなかったといいます。
(定置網の会社 酒井久則副社長)「本当にありがたいです。生かした魚をきちんと評価してくれる。働いている若い者たちも、自分たちが取った魚を世間に評価してもらって、やりがいが上がり、とても喜んでいます」
市場に1人残って魚と向き合う
競りの後、前田さんは1人市場に残っていました。取り引きのある料理店に卸す魚を絞めるためです。
「店に持ち帰ったら、魚が死んでダメになる。面倒かもしれませんが、ストレスが少ない今のうちに、魚をよい状態にしないとダメなんです」
繊細な仕立てに驚きました。
並べられた2つのおけ。それぞれ水温が違います。この魚が泳いでいた海水温は17度前後。これを考慮し、黄色いおけは約9度。青いおけは約5度にしています。魚の血抜きする際、水温が低すぎるとうまく抜けないからだといいます。そこで海水温よりやや低い黄色のおけで血抜きをして、青いおけで冷やすそうです。前田さんはじっと血が抜ける状態まで尻尾を持っています。
「魚がもういいよと合図してくれるんです」
魚がぴくっとしたあと、前田さんは血抜きを終えました。さらに血の塊を見て魚の状態を見極めます。
「血の色が鮮やかな赤ほど、魚のストレスが少ないと考えています。それが正解かどうかわかりませんが、日々、検証、その連続です。きょうはうまくいった方だと思います」
血抜きをしたあとは、1匹1匹神経締め。マットに含ませる海水やおけから流れ出る海水の量にまで気を配っていました。
アジやサバ、エボダイなども。前田さんは1時間余り、この作業を続けていました。
街の魚屋さんの義務
前田さんは、魚の水分を調整する脱水とうまみを閉じ込める冷やしで、一流レストランと取り引きし、日本を代表する魚屋に上り詰めました。一時は、国内外に160もの取引先を持っていましたが、今では魚を大切に扱う80に絞り込んでいます。一方で、魚を食べる人が減るからこそ、街の魚屋で居続けたいといいます。
(前田尚毅さん)「おいしく魚を食べてもらうのが街の魚屋さんの義務なんです。6割は一般の小売りのお客さんが支えてくれています。いつまでもおいしい魚を地元の子どもたちに残したい。それを大事にしたいんです」
若者に知ってもらいたい!
この日、調理師学校の学生5人が前田さんの鮮魚店を訪れました。この春、県内外のレストランなどに就職が決まっているそうです。前田さんは地元の食材のよさを知って欲しいと訴えました。
ヒラメを使って血抜きや5枚おろしを紹介したあと、脱水を見てもらいました。
どう塩を振れば、魚の水分をよい状態に調整できるのか。刺身で食べるヒラメは腐敗のもとになる水分を多めに抜く。熱を入れるヒラメは、水分を多めにするそうです。塩加減で微調整。学生たちは、ヒラメを触ったり、食べたりしてその食感の違いを体感しました。
(学生)「触ると、張っているような感じです。しっとりというかもっちりというか」
前田さんは、子どものころ、どうしようもないやつだったと自らの人生をさらけ出しながら、職人としての心構えを伝えました。
(前田尚毅さん)「自分の仕事に疑問を持って日々検証して欲しい。失敗を恐れず、こんちくしょうと思えば頑張れる。技術も大事だけど。人の気持ちを察したり、くんだりすることが大事。お金で買えないものは壊れない」
(学生・荻田澪央さん)
「地元の食材を大切にし、さまざまな工夫をしていることがわかりました。塩や締め方には驚きました。いつかは自分の店を出したいと思っていますが、失敗を恐れずに頑張ります」
広がる飲食店!
前田さんの魚を軸に焼津の食が変わり始めています。去年6月にオープンした焼津市のフレンチレストラン。広島市から移転し、前田さんとの取り引きを続けています。
シェフの西健一さん(42)、有名和食店で働いていたときに前田さんが送ってくれていたカツオにほれたそうです。しかし静岡を訪れた際、地元で取れた魚をその日のうちに食べると、これほど違うのかとショックを受けたといいます。
(西健一さん)「広島でもう少しお店をよくしたいと思っていたときに、前田さんから『来ないか』と声をかけてもらいました。すぐに決断しました。やはり料理人としては最高の食材を使っていい料理を作りたい。わたしもおいしい魚が好きですから」
内装も前田さんとともに考えたそうで、駿河湾をイメージした青を基調としたデザイン。ここから世界に発信したいと世界地図が飾られています。
海外へも発信する!
この日は、県が招いたアジアのトップシェフらが店を訪れました。
提供されたのは、すべて焼津の魚介類を使った料理でした。
前田さんもちゅう房に入って支援。魚の仕立てや調理方法を代わる代わる説明し、海外のシェフたちからは次々と質問が寄せられていました。
(シンガポールで日本料理店をオープン予定の坂本光隆さん)
「食材と向き合う、雑味がなく、疲れない料理でした。食は、食べた人が幸せになる、社会を豊かにする、そういうゴールを私も目指したいと思いました」
前田さんと西さんは、満足そうに笑顔を見せていました。
(西健一さん)「最初はお客さんが来てくれるのか不安でしたが、前田さんやほかの先輩シェフとのチームは強いんです。海外の方もわざわざ焼津に来てもらえるような店にしたいです」
(前田尚毅さん)「地元の焼津にこうした国内外からのお客さんに来てもらえる店が3軒あれば、そこに泊まってもらえる。観光やタクシー、それにお土産などその効果はどんどん地域に広がっていく。そうして焼津が元気になればうれしいです」
前田さんと連携する料理店は、焼津市内に2軒。この春にはさらに増える見通しです。
焼津市の人口は13万余り、年間の観光客数は175万人(うち宿泊客は24万人)です。
コロナ禍からようやく抜け出す兆しが見え始めた今、魚のリレーを生かしたガストロノミーツーリズムは、地域の力を生み出す新たな原動力になりそうです。
今回の取材で驚いたのは、前田さんの魚の扱い方です!
どうしたら魚が美味しくなるのか、常に考えて行動していました。みなさんにも、その技と熱量もっとお伝えできるかもしれません。乞うご期待!