家康の遺産? いぶく伝統の味
- 2023年01月31日

日本一のカツオの水揚げで知られる静岡県焼津市。大きな港が駿河湾に広がっています。この漁業の町の発展には徳川家康が関わっていたそうです。
どういうことなんでしょう?訪ねてみました。
こんな昔ばなし知っていますか?
徳川家康が駿府城にいたころの話です。
家康が作った規則の1つに船の櫓(ろ)の数があったとさ。櫓の数で船足(スピード)が決まるので、その数は7本以下に制限されていたそうじゃ。
ところがある日、家康が軍艦でたか狩りに行くとき、漁船が護衛に駆り出されました。しかし軍艦に追いつくことができず、家康はカンカン!
そこで特別にその漁師たちに8本の櫓を許したそうじゃ。(やいづの昔話 八丁櫓のおこりより・概要)
この船足の速い漁船のおかげで漁場が広がったといいます。
それが焼津の漁船で、漁業の町発展の始まりとされています。

今は大きな漁船がいっぱい!
江戸時代には写真のような漁船が海に浮かんでいたのでしょうか。
まずは今の焼津漁港に行ってみました。大きな漁船があちこちでいかりを降ろしていました。

知っていますか? マグロツリー!
うわさの“マグロツリー”も‥‥。冷凍マグロが漁船からクレーンで吊り上げられています。なかなかの迫力です。

現場の漁協職員によると、インドネシアから運ばれた冷凍マグロだそうです。
なかなかの活気。荷台を並べた20台あまりのトラックにどんどん吸い込まれていきます。

いぶく伝統の味
漁港のすぐそばにある通りを訪ねました。漁業の町の中核としてにぎわったという駿河湾沿い南北1.5キロの「浜通り」です。

江戸時代後期にはカツオやサバなどを加工・販売する“さかなや”が集積。市場や漁師たちの家々も並んでいたといいます。
行ってみると、当時の面影があちこちに見られました。

明治時代に創業し、かつお節の製造から始めたという「だし専門店」です。工場は移転しましたが、社長の自宅を店舗にしています。ここで生まれ育った4代目の妻、村松貞子さん(92)が話をしてくれました。
「昔は多くの人たちが働いてにぎやかでした。相撲の興行の際には、うちにお相撲さんが何人も泊まっていました。横綱の千代の山は何度か来てくれてよく覚えています。わたしの中では、ここは今でも当時のまま、明治、大正時代です」
そういえば、幕内・焼津市出身の翠富士も活躍が楽しみですね。
なまり節は家康のおかげ?
こちらは魚の加工場のようです。何かをいぶした香りがします。お店をのぞくと、6代目の山口高宏さん(31)が案内してくれました。

「うちではこの屋号になった明治16年時代からなまり節を作っています。なまり節は家康の八丁櫓のおかげで船足の速い漁船でカツオをたくさん取るようになってから、江戸時代からあった保存食だと聞いています」

さばいたカツオをゆでたあと、ならの原木で30~40分いぶします。いぶすのはこの店独特の手法で、一本釣りのカツオを使っているそうです。

かつお節をつくる行程のうち、乾燥させる前のいわば生のかつお節だそうです。
出来たてのなまり節は、しっとりした口当たりと、香りがなんとも言えず、何よりカツオのうまみが詰まっていました。おいしいですよ!

「食生活が変わって、ほかにもおいしいものがたくさんあるので、なまり節を作る店もどんどん減っています。でも生まれてずっとなまり節と一緒に育って、うちの味に誇りも自信もあります。なくしたくない。途絶えさせたくないんです」(山口高宏さん)

焼津市によると、カツオやマグロだけでなく、すべての魚類の水揚げ額は約504億円(2022年)で日本一。天下をとった家康と重なりませんか。
今も伝統の味とそれを守る人々がいぶく漁業の町、焼津市。
八丁櫓を許したとされる家康の遺産かもしません。