2021年03月24日 (水)一人称 【 三上 弥 】
こんにちは。
シニア・アナウンサーの三上弥(みかみ・わたる)です。
3月21日(日)をもって、
緊急事態宣言が解除されました。
年度替わりのこの時期は、
例年、人の往来が増えます。
今後も最新の情報をもとに、
新型コロナウイルスについて対策をとることが欠かせません。
NHKでは、特設サイトを設けています。
三上弥の「現場のことば」
第27回は、「一人称」です。
取材で各地に赴くと、
相手の方々とあいさつを交わしたり、
打ち合わせをしたりします。
通例
電話の場合は、音声を通じて伝えるので、
本人であることを正しく相手に伝えるために、
自分自身の名字やフルネームを伝えるのがふつうです。
身内や親しい間柄であれば、
ファーストネームということもあるでしょう。
対面では、
自己紹介であれば、電話と同じように、
名字やフルネームなどを語ります。
一方、相手が自分自身のことや意見を話すときは、
おおむね「わたし」「わたくし」「ぼく」「おれ」のいずれかで、
改まった場所では例外なく「わたし」か「わたくし」です。
本人が語っていることが明確な場合は、
「わたし」や「わたくし」などと言わないまま本題に入っても
違和感はありません。
ところが、
「名字」や「フルネーム」、
「ファーストネーム」で語り始める人もごく稀にいて、
そうした人については「特別な印象」が残ります。
参考事例
架空の名前でたとえを示しますと、
駿河富士(するが・ふじ)さんという人の場合、
自己紹介や電話であれば、通常、
「駿河です」・「駿河富士です」・
「下の名前は富士です」のように語ります。
改まった場で自分自身の考えや意見を語るときは、
「わたし」や「わたくし」で始めるか、
特に何も付けないで本題に入るのが自然です。
もし、駿河富士さん本人が、
「『駿河』は……と考えています」や、
「わたし『駿河』は……と思います」、
「『富士』は……と感じました」、
「『駿河富士』は……しています」と話した場合は、
「特別な印象」が残るという具合です。
このほか、
「『自分』は……と考えます」や、
「『自分自身』は……と思うんです」のような言い方も、
やや「特別な印象」を与えます。
特別な印象
この「特別な印象」というのは、
相手が意識しているかどうかにかかわらず、
自然に感じるレベルを超えて
自己主張・自己顕示をしている場合が少なくないというサインです。
「やや変わっている感じ」や
「明らかな違和感」のような場合もあります。
年度替わりのこの時期に
「一人称」のことを思い出したのは、
社会人になった年、
当時のベテラン(現在70代または80代の「大先輩」)が
こうした視点を
教えてくださったことがあったからです。
相手が何気なく話している「一人称」に
重大なヒントが隠されている場合があるという教えでした。
放送の現場で役立った経験が何度もあります。
基本
読者のなかには、
これから社会人になる人もいるはずです。
改まった場では、
「わたし」や「わたくし」と言う習慣を身につけておけば
間違いありません。
「マスク着用時代」の一人称
新型コロナウイルスの感染防止策が続くことしの春は、
オンラインを活用したり、
実地でマスクを着用したりする場が多々あるはずです。
マスクの布地は、
シンプルなものが大半を占める一方で、時に、
個性あふれるものや、奇抜なデザインのものもあります。
取材相手と話していると、
口元や頬のほとんどはマスクに隠れているので、
▼目の動き、
▼「目元」や「頬の上・目の下に当たる部分」の血色の変化が
以前にも増してよく分かります。
「目は口ほどに物を言う」や「目は心の鏡」、
「目は心の窓」ということわざの「鋭さ」が伝わってくるようです。
目そのものや、目の周辺の動き、マスクの柄を通じて
本人の感情や主張が表れるという点で、
「一人称」につながるものがあると感じました。
投稿者:三上 弥 | 投稿時間:18:40