2020年06月08日 (月)横田滋さんの死を悼む  【 三上 弥 】


こんにちは。
シニア・アナウンサーの三上弥(みかみ・わたる)です。

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日ざしが強くなってきました。
緊急事態宣言が解除されたとはいえ、
新型コロナウイルスの感染拡大前と
街の様子や日常生活は異なります。

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新型コロナウイルスをめぐる世の中の動きが「進行形」なので
最終的にどんな形に落ち着くのか分かりません。
少しずつ変化のある日々を着実に過ごしていくことが
大切なのではないかと感じます。

最新の情報は引き続きこちら、
『新型コロナウイルス』特設サイト」に掲載しています。




三上弥の「現場のことば」

第20回は「横田滋さんの死を悼む」です。

総合テレビで全国の気象情報を放送していた
6月5日(金)午後6時53分、速報スーパーが出ました。

横田めぐみさんの父・滋さん死去87歳
拉致被害者の救出活動で中心的な役割


直後の「ニュース7」や「ニュースウオッチ9」でも
トップ項目で詳しく伝えたように、
横田滋さんが6月5日午後2時57分、老衰のため87歳で亡くなりました。
昭和52年に新潟市で北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親です。
当時、中学1年生だっためぐみさんは、学校から帰る途中に拉致されました。

救出を呼びかける街頭での活動が盛んに行われるようになったころ、
筆者は2か所目の勤務地・新潟で夕方のニュースを担当していました。
新潟市で街頭活動を目の前で見たこともあれば、
横田さんにゆかりのある場所を訪ねたこともあります。

東京に異動した平成14年は、ピョンヤンで日朝首脳会談が行われ、
拉致被害者5人が帰国した年です。
拉致取材班の一員として、取材や中継を担当しました。
その後、管理職になる直前まで、ニュースや国会中継のほか、
現状を伝えつつ解決を願う特集番組を制作・放送した経験があります。

拉致問題については、当事者の家族会の方々はもちろんのこと、
支援する各界の人たち、外交関係者、報道関係者を含め、
かなり多くの方々が関わってきました。

そのうちの1人として、訃報に接した日の夜は、深く悼みました。

長い歳月が経ったものの、消息が分からない人もいて、
すべての被害者の帰国はまだ実現していません。

横田めぐみさんが誕生したのは昭和39年、
東京オリンピック開会式の5日前です。
55年余りが経過しました。

解決に一歩でも近づく動きがあることを願っています。


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投稿者:三上 弥 | 投稿時間:14:30

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