「驚異の組織力」組合選挙はいま

港町・長崎。山が港に迫る。そして港に広がるのが三菱重工業長崎造船所だ。単独の造船所としてはかつて世界一を誇り、日本の造船業をけん引してきた。広大な敷地には世界文化遺産の「明治日本の産業革命遺産」もある。そして工場北側の門を出たところにあるのが、「労働会館」の看板を掲げた立派な4階建てのビルだ。中にあるのは、長崎で最も有名な労働組合。一時は、国会議員を含め26人の議員を輩出して隆盛を誇ったが、「平成」が終わるいま、その姿は大きく変わりつつある。

栄光の「長船ながせん支部」

三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が長崎の地で造船業をスタートさせたのは、1884年(明治17年)。長崎は、三菱重工業のいわゆる「祖業」の地だ。以降、長崎のまちは造船業とともに発展した。戦後の高度経済成長期、長崎造船所は、単独の造船所としては進水量世界一を誇った。

そして1965年(昭和40年)、戦後の財閥解体で分割されていた3社が合併し、新生・三菱重工業が誕生したのをきっかけに、のちに三菱重工労働組合長崎造船支部、通称「長船(ながせん)支部」となる労働組合が結成された。
最盛期には組合員1万6000人余りを抱える大所帯になり、「長船支部」が入る労働会館は活気にあふれた。

1995年(平成7年)に自社さ政権の村山内閣のもとで行われた統一地方選挙では、長崎県議会議員や長崎市議会議員のほか、周辺の市や町でも多くの議員が当選し、国会議員を含めて26人の議員を擁した。いまでも、途切れることなく議員を輩出し続けている。

縦と横 強じんな組織

「三菱の選挙の強いところは、小学校区ごとの地域組織。自分の職場以外の地域組織を作る」

こう語るのは、元衆議院議員の高木義明氏。高木氏は、当時の三菱造船に就職後、組合活動に携わるようになり、長崎市議会議員、長崎県議会議員を経て、衆議院議員選挙で連続9期当選。文部科学大臣も務めた。「長船」の象徴とも言える人物だ。

職場が縦なら、地域は横。かつて「長船支部」の先輩が、旭化成誕生の地、宮崎県延岡市に調査に行ったことをきっかけに、こうした組織モデルを編み出したと言う。

特徴的なのが、機関誌だ。普通の組合であれば、職場で配られる機関誌。「長船支部」では、その機関誌「だんらん」を地域で配り続けてきた。「だんらん」は、まず小学校の校区ごとに置かれた「校区長」のもとへ、それが町内会ごとに置かれた「地区長」のもとへ、さらにその下の「班長」のもとへと届けられる。

そして班長は、仕事が終わった後や休日を使い、機関誌を各戸へ配り歩くことによって組合員やその家族と直接顔を合わせる。こうして職場とは異なる人脈を形成して行った。校区ごとの組合員の妻による「婦人部」、退職者による「長船OB会」も組織された。

市議会議員は、複数の校区を1つの「ブロック」として取りまとめた。この「ブロック」や校区ごとに運動会などの行事が開催され、地域の絆を育んでいった。編み目のように張り巡らされた地域組織を形成し、組合員どうしの絆を育てる。これが「長船支部」の組織力の源泉だった。

「民主党の牙城」に

「長船支部」がその組織力を見せつけるのは選挙のときだ。土台となるのが「後援会加入カード」。選挙の半年ほど前から、組合員には1人10人の「後援会加入カード」のノルマが与えられる。組織内候補の後援会に加入する組合員は、親族や知人・友人の氏名や住所、連絡先を書き込んで提出。かつては、賛同の意を明確にするため、印鑑までもらっていた時期もあった。

それを受け取った組織内候補は、電話だけでなく、手紙や戸別訪問を繰り返して、後援会のすそ野を広げていった。

組合員みずからが有給休暇を取得し、親族や知人・友人を訪問する「大ローラー作戦」もたびたび繰り広げられた。さらに選挙期間中には、長崎造船所の幹部が候補者の集会でマイクを握るなど、「労使一体」の選挙戦も展開された。

こうした「長船支部」の組織力は、他陣営にとっては脅威そのものだった。

「事前の情勢で『劣勢』であっても『3日あればひっくり返せる』と豪語していた。そして終盤では必ずひっくり返されたんだ」

強大な組織力は全国に知れ渡り、高木氏が当選を続けた衆議院長崎1区は「民主党の牙城」とまで呼ばれた。

造船不況の波を受けて

しかし、中国や韓国の造船会社との競争が激しくなる中、三菱重工業の「聖域」とされてきた造船部門にも組織再編の波が押し寄せる。会社側は造船事業を縮小し、分社や再編を繰り返した。新規採用の削減や外部人材の活用が進み、組合員はピーク時の4分の1程度の3900人弱にまで減少した。

こうした影響は、かつての強固な地域組織にも影を落としている。

ことしになり、機関誌「だんらん」は郵送に切り替えられた。長崎市内の「ブロック」は、前回(4年前)の統一地方選挙時の5つから4つに再編。これは、4月に行われる長崎市議会議員選挙に擁立する組織内候補を5人から4人に減らすことを意味する。

組織内候補も、これまでとは違う政治活動を展開するようになっている。ある候補者は、子どものPTA活動を通じて作った友人や趣味の仲間など、個人的なつてを頼って支持を呼びかけている。

「『人口減少を迎えるなか、組合だけの活動では先細りになる。個人の支持者を獲得するのが大事だ』と言われてから、個人的な関係から生まれた支援者を増やすようにしている」

組合選挙 次の時代は

「組織内候補は『組合貴族』だ。組織の中しか見ておらず、バランス感覚が悪い」「選挙に落選しても会社員に戻るというだけで、リスクを取っていない」

強固な組織力を誇る「長船支部」には、他陣営から批判も出る。

さらに、若手の組合員の中には、労働組合への冷めた声もあるのが実情だ。

「後援会に入っても、実際の投票となると、それはまた別の話」「家族の名前を後援会カードに書いたり、後援会活動に妻まで借り出されたりするのは違和感を覚える」

それでも、依然として、長崎県内の造船関連企業は133社もあり、県全体の製造品出荷額の25%を占めている。造船業は、長崎にとって、欠くことのできない存在であることに変わりはない。

高木氏は、なお労働組合や組織内候補の存在は、社会に必要だと訴える。

「三菱重工は大企業だから、そこだけを見て政治をしてはいけない。組合活動の原点は社会正義を追求すること。最低賃金を増やしたり、長時間労働をなくしたり。自分たちだけではなく、働く仲間の環境を底上げし、格差のない社会を実現する必要がある」

昭和に生まれた「長船支部」。隆盛と衰退の平成を経て、次の時代にはどのような役割を果たすのだろう。

馬場 直子

長崎放送局

馬場 直子

新聞記者を経て、平成27年入局。長崎局で県政を担当。趣味はラグビー観戦。

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