選挙を知ろう

【世界選挙紀行】ポーランド①
「国王」を選挙で選ぶ国!「投票箱」は超オシャレ!

吉岡 潤さん吉岡 潤さん

津田塾大学学芸学部国際関係学科教授。ポーランド現代史を専門に研究。

「投票箱」がスタイリッシュ!

普段、私たち日本人が票を投じるのは、銀色に鈍く光る“無骨”な投票箱。それに対して、東欧・ポーランドの投票箱はこちら!

ポーランドの投票箱

ポーランドの投票箱

大胆にカット割りされた白地と赤字を背景に、翼を広げた白鷲のマークがあしらわれ、なんともスタイリッシュ!白と赤はポーランド国旗の色。王冠を頂く白鷲は、ポーランドが王国だった時代から伝統的に使われてきた国のシンボルだ。ポーランド人は歴史や伝統を重んじ、愛国心の強い国民だと言われているが、この投票箱はその表れかもしれない。

「国王」は世襲だけでなく、選挙でも決める!

ポーランドの「選挙」を話すうえで、外せない歴史上のエピソードがある。なんと!この国では、かつて国王を選挙で決めていたのだ!

国王といえば、一つの家系が世襲で継承していくものと思うのが普通だろう。ところがポーランドでは、1572年にヤギェウォ家という王家の男系が途絶えた時、次代以降の国王を選挙で選ぶという決定を下したのだ。

国王選挙の有権者は、当時の特権身分だった貴族たち。選出方法は全員による直接投票。彼らは決められた身分の者だけが議員になれる国会「身分制議会」を拠点として、自分たちを縛ろうとする国王の権力に対抗しようとしたのだ。現在のポーランドの首都ワルシャワ郊外の野原に、全国の貴族が集結し、天幕を張って野営しながら(現在でいえば、アウトドアでテントを張って)選挙に臨んだ。1573年以降、約200年間の国王選挙で、外国人を含めた11人が貴族たちによって選ばれ、国王として戴冠した。

“Wettin’s election as Polish king” Wawel Royal Castle, Cracow 1697年の国王選挙の様子

“Wettin’s election as Polish king” Wawel Royal Castle, Cracow
1697年の国王選挙の様子

もっとも、現代と同じように当時も、有権者全員が投票権を行使したわけではない。なにせ飛行機も新幹線も高速道路もない時代。全国でたった一ヵ所の投票所に、全貴族が集まることは実際には不可能だったのだ。それでも、ポーランドの貴族たちは、自分たちが国の主人公であること、そして国王をも自分たちで選ぶ権利を手にしていることを、大いに誇りとしていた。

ポーランド王の玉座

ポーランド王の玉座

悲しいポーランドの歴史

このように、王国時代のポーランドでは、貴族たちが王権を抑えこむほどの「黄金の自由」を享受していたが、やがて自由にこだわっていたがために自由を失うことになる。ポーランドとは逆に、王権を強化して国力を高めることを時代が求めるようになり、皇帝や国王を中心に強国に成長したロシア、オーストリア、プロイセンの三国によって、18世紀末、ポーランドは分割され、独立を失ってしまう。

ワルシャワの旧市街。右が王宮

ワルシャワの旧市街。右が王宮

その後ポーランド人は、19世紀の間はずっと自分の国を持てないままだった。1918年に独立を果たしてからも、ナチス・ドイツの占領や、共産党の一党独裁体制を強いられるなど、政治に自由に参加できない期間が長く続いた。

だからこそ、「自由」はポーランド人にとって、ひときわ大切な価値を持つ。「我らなくして我らのこと決めるべからず」これは国王権力に対抗したときの貴族たちのスローガンだ。白赤と鷲のマークの投票箱には、そんな思いもこめられているのではないだろうか。

国情報

ポーランド共和国
  • 国名:ポーランド共和国
  • 首都:ワルシャワ
  • 人口:約3,848万人(2014年:IMF)
  • 投票権:18歳以上
  • 大統領:アンジェイ・ドゥダ
  • 首相:ベアタ・シドゥウォ
  • 有名なもの:フレデリック・ショパン、コペルニクス、キュリー夫人、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所、琥珀、ウォッカ

(掲載されている情報は2016年9月現在の内容です)