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“親愛なるドイツの友へ” 文通を続けて70年

  • 2024年05月22日

 

ことし1月、ドイツに住む日本人から70年にわたってドイツ人女性と文通を続けている日本人男性が宮城県にいると情報提供が寄せられました。
70年という期間にも驚きですが、2人がいったいどんなやりとりをしていたのか、とても気になって取材しました。                                                     (仙台局放送局記者 井手上洋子)

取材のきっかけは1通のメール

“日本とドイツで70年間文通をしている人たちがいます”  
メールで情報を寄せてくれたのはドイツに移住して23年という福井県出身の橋詰真澄さんです。

橋詰さんの家族とマットさんの家族。※左から2人目が橋詰さん。

家族ぐるみで親しくしていたドイツ人女性から文通のことを知らされました。ドイツと日本で長い期間にわたって文通が続いていることを伝えたいとNHKに情報を寄せてくれました。

橋詰真澄さん  
「実は文通の話は20年程前に聞いていましたが、その後も続いていることのすごさを改めて実感し、この話を多くの人に知って欲しいと思いました」

語学上達を目的に始まった文通

管野長治さん

その文通相手を訪ねると取材に快く応じてくれました。宮城県多賀城市の管野長治さん(88)です。  
文通を始めたのは大学1年生。第2外国語で選んだドイツ語の教授から「語学を上達させるために文通も効果がある」と勧められたのがきっかけでした。

マットさんと管野さん

そして、名前と住所が書かれたリストがクラスで回覧され、選んだ相手が生涯の文通相手となるドイツ人のブリギッテ・マットさんでした。当時、管野さんより4つ下の学生だったマットさんも文通の目的は英語の上達だったそうです。管野さんからは英語の手紙を、マットさんからはドイツ語で書いた手紙を送り、2人の文通が始まりました。  
管野さんによると、最初はドイツ語を理解するのにとても苦労をしたそうで、その様子を手紙につづっていました。

管野さんがマットさんに送った手紙

「わくわくして手紙の封筒を開けるのがやっとでした。あなたの手紙はとても美しくてすばらしいです。ドイツ語の手紙を読むのに3日かかりました」

趣味や日常の出来事などを伝えあっていた手紙。  
最初はお互い語学の上達が目的でしたが、それぞれ社会人になり、結婚し、家庭を持ったあとも文通は月に1度くらいのペースで続きました。手紙でどんなやりとりをしていたのか、ドイツに暮らすマットさんにも話を伺いました。

ブリギッテ・マットさん

ブリギッテ・マットさん  
「お互いの日常的な出来事だけではなく、お祭りなどの伝統や宗教、気候、趣味、ドイツと日本の社会経済に関するニュースなどです。私たちの手紙の内容も年々変化していました。お互いの情報の発信により真剣になっていったと思います」

23年目 初めて出会う

文通を始めて23年がたった1978年、日本を訪れるのが長年の夢だったマットさんが家族と一緒に来日。  管野さんはマットさんと初めて出会います。  
当時は会うまでとても緊張していたという管野さんがそのときの様子を次のよう語ってくれました。

管野長治さん  
「最初に会った時とても緊張して『私は管野長治です』とだけドイツ語であいさつしました。  
 日本の滞在をどのように楽しんでもらったらいいか考えるのに必死でした」

マットさん家族は日本に7日間滞在しました。  
管野さんは楽しい思い出を作ってもらおうとさまざまな場所を案内しました。次は帰国したマットさんから届いたお礼を伝える手紙です。

マットさんから届いた手紙

「私たちのためにすてきな滞在を企画してくれた親愛なる長治にもう一度感謝したいと思います。あなたは本当によい友達です」

震災後には支援物資も

文通を始めて56年がたった2011年の東日本大震災。  

画像提供:多賀城市(東日本大震災時の多賀城市内の様子)

管野さんの自宅も津波で被災し、保管していたマットさんの手紙も一部が被害を受けました。  
約2週間後、マットさんからその後の様子を心配する手紙が届きました。

震災後にマットさんから届いた手紙

「私たちはテレビで恐ろしい場面を見ました。あなたの人生で最悪の事態だったと思います。  
あなたに何か送ることができれば注文してください。あなたを助けたい」

管野さんの元にはマットさんからチーズやビスケット、ソーセージなどの食料が入った支援物資が届きました。当時、食料の確保がままならなかった管野さんにとって温かい支援でした。

今も続く文通

2人の文通は今も続いています。文通の良さについてそれぞれに質問したところ2人から同じ答えが返ってきました。

管野さん  
「見慣れた字にほっとする。生活の一部のような感じです。あんまり考えるとこだわってしまうので、何も考えず自然な感じでやっています」

マットさん  
「メールよりも手書きの手紙の方がより個人的なもので書き手の気分や感情も伝わります。  
相手がどう受け止めるか考えながら丁寧に書いています」

文通文化は今もなお

相模女子大学 宮田穣 教授  
「2人が文通を始めた昭和30年代、文通相手をペンフレンドと呼び、雑誌に文通相手を募集する コーナーが登場するなど、文通人気が広がっていました。一部には英語学習を目的に文通する人もいたということですが、70年近くも文通を続けている人がいると聞いて驚くと共にすてきだなと思いました」

最近の2人の手紙にはお互いの体調を気遣う内容が増えています。2人とも“元気でいるかぎり文通を続けたい”と話していました。

マットさん  
「お互い健康でいて、これからもずっと文通を続けていきたい。いつか私の地元のリキュールと日本酒で乾杯できる日が来ることを願っています」

管野さん  
「マットさんにはとにかく健康で長生きしてくださいと伝えたい。健康なら文通も長くできますし、私も精いっぱい残りの人生がんばろうと思います」

70年も続いた理由は

ところで文通が70年も続いた理由について、管野さんは「手紙が届くからまた書いて送り、気づいたら70年がたっていました。マットさんとの文通が生活の一部になっています」と話していました。  
一方のマットさんからも「管野さんの手紙が届くから」と同じような答えが返ってきました。  
マットさんは管野さんへの手紙を書く際、いまもドイツ語で下書きしたあとに英語に書き換えておよそ3時間かけて書いているそうです。

取材後記

2人の長きにわたる文通のことはドイツの新聞にも紹介されました。取材で管野さんの自宅を訪れ、マットさんと交わした手紙を見せてもらった時「時間がたつのは早いですね」と懐かしそうにじっくりと手紙を読み返す姿が印象的でした。  
私は最近はメールやLINEでのやりとりばかりで、年賀状以外に手紙を書いたのがいつだったか思い出せないくらい月日がたっていることに気づきました。管野さんとマットさんの70年に及ぶ文通の話を取材して  私も時間をかけて手紙を書いてみたくなりました。                                

  • 井手上洋子

    仙台放送局 記者

    井手上洋子

    ネットワーク報道部、首都圏局などでデジタル中心に記事を発信。2022年から仙台放送局勤務。

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