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お寄せいただいたメッセージをご紹介しています

福島県  吉田邦吉さん  30代  男性
2011年、東日本大震災と原発事故の災害映像が流れる。辛いので消してしまうのが始まった。事前に通知されて助かる。これから5か月間は10年節目の報道があるだろう。あれこれ、まだ課題山積であっても、マスコミと視聴者の人達のおかげもあってここまで来れた。こころより感謝している。みなさんもお元気でお幸せに。
埼玉県新座市  備忘録子さん  60代  男性
被災地ではありますが、両親が被災したことから メッセージを投稿させていただきます。 昨年の台風被害から一年、生まれ故郷であり 両親が住んでいるところは筆甫の、水のきれいなところです。 町中までの最短の林道が台風により寸断され、通行止めとなり、通常なら片道10kmの ところ、迂回のため20kmとなっています。寸断された道路は復旧予定に入っているものの 現状全くの手つかずです。 影響を受ける住民は非常に少なく、両親も 半分諦め気味です。なんとか早めの復旧、少なくても早めに復旧工事 着手をお願いしたいところです。
岩手県山田町  小林秀人さん  20代  男性
岩手県山田町への取材ありがとうございました。私は今も、家族とともにホタテ、わかめの養殖業の仕事を続けております。少しでも早く仕事を覚えられればと考えております。 現在、世界で新型コロナウイルスの感染が広がり、それは一次産業である漁業にも影響し、水産物の値段下落などさまざまです。 また、工事がまだ終わっていない場所があるので早く進むこと、これ以上災害がないことを願います。 山田が明るく元気な街、ひとがたくさん集まる街になりまたの取材をお待ちしております。
藤川幸久さん  50代  男性
隠れた震災 2011年は太平洋側の震災ばかり焦点が当てられますが日本海側の秋田県も大変だった。1月いっぱい豪雪で1ヶ月太陽光が見れず倒壊した家屋が多くあった。そのため隣県への救援が遅れた。心の中ではダブルパンチを受けた心境だった。我が家もパイプハウスが倒壊し、その片付けもままならいうちの隣県の大震災だった。私は自分のパイプハウスは後回しにして友人と一緒に釜石市に駆けつけた。映画のセットかと思ったくらい衝撃を受けた。我が家の被害はそれに比べたら小さなゴミのように感じたけれど、どうか秋田県も大震災の前に豪雪の震災を受けていたことを覚えていて欲しい。
糟谷晴彦さん  50代  男性
大震災から9年と2カ月、今なお行方不明になられている方々を探していらっしゃる方々をテレビを見て涙が出て止まりません。去年、詩をテレビで紹介してくださりましたが、被災した方々は毎日がつらい日を送られています。コロナの影響で中々捜索や復興に困難をきわめていらっしゃると思いますが、1日でも早い建物や心の復興を願って止みません。被災地からの声、あの日わたしは、を欠かさず拝見しています。これからもずっと続いて欲しいです