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お寄せいただいたメッセージをご紹介しています

福岡市 STANDさん 40代 女性

全国版放送を拝見しました。震災当日、東京にいて不安な一夜を過ごしたこともあり、NHKの震災関連番組はなるべく見るようにしています。九州に住んでいると人々の関心が薄れていくのに危機感を通りこして恐怖すら感じます。募金をしているという人も減っています。震災直後はあんなに書店に並んでいた東北への観光ガイドブックが今ほとんど置かれていない、という小さなことも気になります。

「目を離さないで」という一言がとても印象に残りました。東北の方々が声をあげてくださる限り、自分のできる範囲でずっと応援し続けることだけは、遠く離れた私たちにもできるのです。どうか声をあげ続けて下さい。

この番組を定期的に全国放送してください(ショートバージョンだけではなくて)。一人でも被災地のことを思い出す人が増えればいい、小さな支援でもしてみようと思う人が増えればいい、そう切に祈ります。よろしくお願いします。

宮城県名取市 匿名希望 70代 女性
今日の被災地からの声全国放送を見ました。全国にこの番組を届けてほしいという願いが聞き届けられて何より嬉しいです。これからも続けて放送してください。最後に津田アナウンサーが言われた一言がとても重いです。全国の視聴者の方々は見るのが辛いとチャンネルを回さないで、この被災地の声をしっかり聞いてくださいますようお願いします。
千葉美幸さん 30代 女性
ようやく全国放送!しかし、まだこんなことでは足りない!僕はこれからも目を背けない、施設での労働と勉強の両立は大変だけど、未来がないと失望している方々の分まで頑張らなきゃいけないと思いました。これからも定期的に被災地の声を発信していけたらいいですね。応援し続けます。
匿名希望 30代 女性
東松島の実家が被災しました。番組に出られる方、みんなが親戚のように感じられます。もっともっと全国のみなさんに伝わるように、放送してください。今の声、ありがとうございました。
仙台市青葉区 桜のママさん 60代 女性
時間の許す限り番組を見ています。あの大震災から1年が過ぎたとはいえ、被災された皆様の声や苦労、これからのことなど聞くたびにいまだに涙が流れます。津田さんの表情、声から状況がひしひしと伝わってきます。被災地から離れたところでは、あの大震災はもう遠く昔のことになっているとも聞きます。これからがほんとうに大変な時期。東北人は口が重く、内向的な性格。自分の感情を吐き出す人は少ないなか 、でもがんばっている。耐えている。東北人の一人として誇りに思います。津田さんもっと伝えてください!!全国に発信してください。まだまだ終わりはありません。
名取市 匿名希望 70代 女性
毎週見ています。被災地の方々の真実の声が聞こえ津田アナウンサーの深い思いが更に心に伝わって涙します。こんなに良い番組を仙台で作っている事に誇りさえ思います。国中で原発再開が始まるみたいで福島は過去に葬り去られようとしています。この番組が全国に送られていたなら、原発に対する人々の考えは違っていたとおもいます。この原発被災地の苦しみを全国の人達が知ったら、自分の事に置き換えて考えると思います。危ない現状を救える番組と思っています。どうぞ全国放送になるよう頑張ってください。
大崎市 大崎の自然が大スキさん 40代 男性

震災から1年3か月、大崎市田尻にあった我が家も半壊の判定を受け、修理をして住むかどうか迷いましたが、元々築年数が経っていたことと、車を運転しない高齢の母とは「震災前」からも建て直すのであれば、田尻の不便な場所ではなく、もっと便利な場所に転居をという気持ちを聞いていたので、再度母の気持ちも確認し、そして有り難い事に母からの資金援助も受け、大崎市古川の駅前にマンションを購入し昨年末に引っ越しました。

全国の皆さまからの義援金などで、新居で必要なものはほとんどそろえさせていただきました。本当に心から感謝いたしております。また、被災家屋の解体も公費でしていただくことができ、かなり自己負担が減り本当に助かりました。

これで、新たな気持ちで新生活を始められると思っていた矢先、それまでの疲れがでたのか自分が「うつ病」になってしまい仕事を休む事になってしまいました。母は元来農家の出身。これまでは、畑仕事や庭の草むしりなど自分のペースで予定を組んで汗水を流してましたが、引っ越ししてからは畑仕事はもちろん、草むしり一つする必要もなく、農作業以外に趣味のない母にとっては日々の時間を持て余し寂しささえ感じられます。かといって、なにかサークルにでも入会したらと勧めてもそんな気持ちにはならないみたいです。

震災で生活環境は大きく変わりました。でも私は今の生活に満足しています。多くの方々に支援され大変な状況を何とか乗り越えてこれたから。沿岸の津波で被災を受けた方々に比べればどれだけ恵まれていることか…。言葉に表すことすら申し訳ない気持ちです。 しかし、便利な地に移りたいと言った年老いた母の言葉を真に受けて転居し、これで本当によかったのか?とも感じます。親しい隣近所の人達から離れ、畑仕事からも遠ざけてしまったこと。誰一人として近所に知人もなく、もちろん畑仕事も出来ない姿を見ていると日に日に母が小さくなっていくようで堪りません。ただ、もう後戻りは出来ません。自分の病気の回復と合わせて、母にもこの地で余生を少しでも楽しいものにしてもらえる事をみつけてもらい元気に過ごして欲しいと願わずにはいられません。

沿岸ばかりではなく、内陸にもこの震災で生活が180度変わってしまった人がいることを忘れないでいてほしいです。

匿名希望 40代 男性
昨今、腰の無いマスコミからの報道のなかで、この番組はしっかり腰がすわっていると思います。被災者の方々の真実の声とそれを補足してくださる津田アナウンサーの深い解釈とで毎回涙し、また奮い立されます。東京へ出ていった東北出身の仲間と話していても、被災地とそれ以外の地域の温度差が日をおうごとに大きくなっていることを感じます。被災地以外では既に過去のもとなっている。この番組は東北のみならず全国に発信すべきです。震災は東北限定のものではありません。ぜひ全国区での放送をお願いしたいです。この番組は復興発展している姿と、どなたに取材しても明るく元気な声がかえってくる時までずっと続けてください。
仙台市太白区 風待ちさん 50代 男性
仙台市でも電気がとまり普段の生活が困難になりました。節電のおり昼間のビルの看板、スーパー等の商業用施設の駐車場の天井の電気は消すべきです。
仙台市宮城野区 天野時雄さん 40代 男性
復興庁が設立されたが、「担当者は先ず、現場を見よ。」と言いたい。現場を知らずして、何ができるだろうか。行政担当者の言葉は、どうしても、集約された画一的な言葉になりがちである。大枠を作り、そこに住民を当てはめて行く。これが実情ではないだろうか。番組を見て、行政と住民の声が、著しくかい離していると強く感じる。『最大多数の最大幸福』という民主主義の原理があるが、これは平常時に通用する言葉ではないだろうか。震災発生以来、一年の時間が経過したが、今も非常時である。被災地住民の声を全国に伝え、政治や行政の在り方を変えるためには、地道な努力が必要である。そうした中で、この番組の存在は、とても貴重で有意義だと思う。是非、今後も続けてもらいたい。
福島県 あずまの黒うさぎさん 40代 男性

津田さんの取材と画面に向かって話しかける被災した方々の心からの叫びを用紙につづって静かに語りかける番組を毎回見ています。

福島の内陸で被災していますが、うちは修理すればなんとかなる程度でした。

現在の放射線や食品内在の放射性物質の計測精度は25年前ソビエト事故の100倍から1000倍の高精密度になっています。限りないゼロを求める動きは過剰すぎると思います。25年前大学にいた頃植物系の実験で知人は腰に鉛の遮蔽ベルトをして実験していました。植物に放射線を当て影響を調べるためです。

だから「知っている人は知っている」「知らない人は全く知らない」そのかい離が放射線教育無教育30年を生み出してしまったと思います。

現在は30年ほど前東北大で開発された光ファイバーで面的放射線測定をし、スマホアプリケーションとして画面表示される技術が開発されています。たった1年で信じられないくらいの技術進歩をしてしまったと思います。

除染には精密なモニタリングが必要、ジャージー牛の農家の方の苦労を無駄にしないために、効率的な方法を確立して早く昔の福島に戻って欲しいです。

匿名希望 40代 女性
冒頭の津田アナウンサーの一言一言に涙してしまいます。震災後、知らず知らずに全身に鎧をかぶっていて、いつも「これ以上傷つかないモード」の自分でしたが津田アナウンサーの言葉はその鎧の隙間から入ってきます。棚上げにしていたことや、見ないでおこうと思っていた感情をズバズバ言うので、毎回「やられた〜」って思ってます。でも傷ってこうすることで耐性をもって癒えていくのかなとも思えてきます。これからも被災地の細やかな様子を伝えたくださいね。
岩手県盛岡市 匿名希望 40代 男性
私はあの日、石巻で被災しました。今、他県の内陸で暮らしています。今も思うのは、あの出来事は無かったんじゃないのか?職場や自宅アパートが、まだそこにある様な気がして・・・。でも何度も訪れても、アパート・職場は全壊した残骸をさらし、気持ちが沈みます。でも私はいいんです。実家の家に戻ったから。石巻の元職場の仲間へ会いに行くと、さまざまな問題を抱え苦しんでます。自分に何もしてあげられ ないのがもどかしく、苦しいです。報道で復興は進んでます、とか高台移転が進んでます、とか復興住宅がなど明るい話題だけが目立つような気がします。その裏では取り残された人もいて、先の見えない人もいることを知ってほしいです。すべて公平にとは難しいことはわかっています。でも、あえて言いたい。石巻の湊中学校付近は、たくさんの人が亡くなったエリアです。しかし、「防潮堤を高くするから住んでも大丈夫です」との石巻市の説明です。集団移転もかなわないため、土地も売ることもできず、(買う人がいない)土地のかさ上げ、防潮堤の建設は、いつ完成するのかもわからなく。満潮時の浸水といつ来るかわからない津波の恐怖の中、家を建ててくださいと言う石巻市の方針がわかりません。報道では知りえない内容でした。いつまでも被災者ではいられない。天災だから仕方がないと言われますが、あの地獄を体験したのだから明るい未来を見せてあげたいと思います。
千葉美幸さん 30代 女性

忘れてはいませんが、忙しくて、時間ぴったりに黙祷することができませんでした。いつのまにか、震災前より充実した生活をしている自分がいました。そのことに関して負い目はありません。それだけの努力と苦労をして、今があることを大事にしているからです。

でも、もし、今以上に幸せになって、内陸地震のときのように、自分の中で震災で失われた大事なものの意味が薄れていったとしたら、と思うと怖いです。忘れていくことは怖いことです。覚えていることより怖いです。 私は今も苦しんでいる人の苦しみがほしいです。悲しみがほしいです。一緒に苦しみたい。一緒に悲しみたい。そしていつか、心のそこから笑いあいたい。

今日もつらい思いを飲み込んで、がんばっぺしねと奮起して祈りを捧げた、みなさんのことを私は愛しています。この悲しみと愛だけが、絆なんだと信じて。

匿名希望 40代 女性
津田さんの心から湧き出す言葉に胸を打たれて、毎回家族全員で放送を心待ちにしていました。被災地福島に住む私どもにとって、現状を装飾なく伝え、そして、住民目線で的確にコメントしていただけて、うれしかったです。このような番組を 本当の復興の時まで全国へむけて発信し続けていただきたい。
南相馬市鹿島区 たねきちさん 30代 男性
いつも見ています。テレビやラジオ、マスコミでの報道やドキュメントを見ていると大変な場所や方々を取り上げてますが、南相馬市の北部鹿島区9割は30キロ圏外で帰宅避難者が多いです。原発事故の不安は全く拭えません。低線量被爆は日常茶飯事です。何が安全で何が危ないのかが麻痺してしまいます。補償や支援は仮設住宅、借り上げ住宅も自宅避難も統一した制度が必要に思います。
仙台市太白区 匿名希望 30代 女性
仙台市在住、南相馬市からの原発事故の避難者です。自宅は原発から33キロ、幼い子どものために自主避難を継続中です。自主避難の為、思うような補償も得られず、かさむ生活費。しかし、除染がされていない自宅に戻れば、線量計を片手に生活する現実。既に戻って生活をせざる得ない人たちは、大丈夫だと信じて生活しています。誰も、安心安全だと思って生活している人は居ません。この生活は私達が生きている限り続くのです。私達の人生の目的は、悲しい事に『放射線から逃げる事』になってしまいました。 国、東電は私達のような国民の痛みを全く分かっていません。将来、子ども達に何かがあったら誰が責任を取ってくれるのでしょうか?こんな世の中に、子どもを産んでしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。復興が進んでいる仙台に居るからこそ、とても複雑な気持ちです。
匿名希望 30代 女性
会社の昼休みに拝見しております。震災から1年、ニュースの話題が被災地から離れつつあり、現地で何が起きているのか分かりにくい状況になってきました。ただでさえつらい経験をした被災者の皆様に、さらに孤独感まで味あわせてしまうのかと心配していたので、NHKさんには感謝です。そして、一人一人の「声」に寄り添い、被災地の現実を淡々と話してくださる津田喜章アナウンサーの気持ちの入ったコメントを聞いては、まだ震災の渦中であることを思い出し襟を正します。
仙台市青葉区 あつしさん 40代 男性
現代は、使い捨ての時代なのだろうか。もっと、高齢者を大切にする様な社会に変えなくてはならない。身近に住んでいる被災した高齢者を、守って行きましょう。
千葉美幸さん 30代 女性
栗原市では、地震でダメになった志波姫支所が取り壊しの真っ最中です。子供の頃からお昼のサイレンを鳴らしてくれていた(子供の耳にはうるさかった記憶)支所なので、それがなくなるということは、記憶がまた一つ剥がれ落ちる気分です。沿岸部の被災地の皆さんが思うように、私も忘れたくないし、知りたいです。お昼の震災ニュースがなくなったのは悲しかったです。まだ、被災地は繋がっているべきだった。すくなくとも、情報だけでも共有できれば・・・。被災地からの声、が、その役割を果たしてくれれば、と願います。これからも取材お願いします。