全国版放送を拝見しました。震災当日、東京にいて不安な一夜を過ごしたこともあり、NHKの震災関連番組はなるべく見るようにしています。九州に住んでいると人々の関心が薄れていくのに危機感を通りこして恐怖すら感じます。募金をしているという人も減っています。震災直後はあんなに書店に並んでいた東北への観光ガイドブックが今ほとんど置かれていない、という小さなことも気になります。
「目を離さないで」という一言がとても印象に残りました。東北の方々が声をあげてくださる限り、自分のできる範囲でずっと応援し続けることだけは、遠く離れた私たちにもできるのです。どうか声をあげ続けて下さい。
この番組を定期的に全国放送してください(ショートバージョンだけではなくて)。一人でも被災地のことを思い出す人が増えればいい、小さな支援でもしてみようと思う人が増えればいい、そう切に祈ります。よろしくお願いします。
震災から1年3か月、大崎市田尻にあった我が家も半壊の判定を受け、修理をして住むかどうか迷いましたが、元々築年数が経っていたことと、車を運転しない高齢の母とは「震災前」からも建て直すのであれば、田尻の不便な場所ではなく、もっと便利な場所に転居をという気持ちを聞いていたので、再度母の気持ちも確認し、そして有り難い事に母からの資金援助も受け、大崎市古川の駅前にマンションを購入し昨年末に引っ越しました。
全国の皆さまからの義援金などで、新居で必要なものはほとんどそろえさせていただきました。本当に心から感謝いたしております。また、被災家屋の解体も公費でしていただくことができ、かなり自己負担が減り本当に助かりました。
これで、新たな気持ちで新生活を始められると思っていた矢先、それまでの疲れがでたのか自分が「うつ病」になってしまい仕事を休む事になってしまいました。母は元来農家の出身。これまでは、畑仕事や庭の草むしりなど自分のペースで予定を組んで汗水を流してましたが、引っ越ししてからは畑仕事はもちろん、草むしり一つする必要もなく、農作業以外に趣味のない母にとっては日々の時間を持て余し寂しささえ感じられます。かといって、なにかサークルにでも入会したらと勧めてもそんな気持ちにはならないみたいです。
震災で生活環境は大きく変わりました。でも私は今の生活に満足しています。多くの方々に支援され大変な状況を何とか乗り越えてこれたから。沿岸の津波で被災を受けた方々に比べればどれだけ恵まれていることか…。言葉に表すことすら申し訳ない気持ちです。 しかし、便利な地に移りたいと言った年老いた母の言葉を真に受けて転居し、これで本当によかったのか?とも感じます。親しい隣近所の人達から離れ、畑仕事からも遠ざけてしまったこと。誰一人として近所に知人もなく、もちろん畑仕事も出来ない姿を見ていると日に日に母が小さくなっていくようで堪りません。ただ、もう後戻りは出来ません。自分の病気の回復と合わせて、母にもこの地で余生を少しでも楽しいものにしてもらえる事をみつけてもらい元気に過ごして欲しいと願わずにはいられません。
沿岸ばかりではなく、内陸にもこの震災で生活が180度変わってしまった人がいることを忘れないでいてほしいです。
津田さんの取材と画面に向かって話しかける被災した方々の心からの叫びを用紙につづって静かに語りかける番組を毎回見ています。
福島の内陸で被災していますが、うちは修理すればなんとかなる程度でした。
現在の放射線や食品内在の放射性物質の計測精度は25年前ソビエト事故の100倍から1000倍の高精密度になっています。限りないゼロを求める動きは過剰すぎると思います。25年前大学にいた頃植物系の実験で知人は腰に鉛の遮蔽ベルトをして実験していました。植物に放射線を当て影響を調べるためです。
だから「知っている人は知っている」「知らない人は全く知らない」そのかい離が放射線教育無教育30年を生み出してしまったと思います。
現在は30年ほど前東北大で開発された光ファイバーで面的放射線測定をし、スマホアプリケーションとして画面表示される技術が開発されています。たった1年で信じられないくらいの技術進歩をしてしまったと思います。
除染には精密なモニタリングが必要、ジャージー牛の農家の方の苦労を無駄にしないために、効率的な方法を確立して早く昔の福島に戻って欲しいです。
忘れてはいませんが、忙しくて、時間ぴったりに黙祷することができませんでした。いつのまにか、震災前より充実した生活をしている自分がいました。そのことに関して負い目はありません。それだけの努力と苦労をして、今があることを大事にしているからです。
でも、もし、今以上に幸せになって、内陸地震のときのように、自分の中で震災で失われた大事なものの意味が薄れていったとしたら、と思うと怖いです。忘れていくことは怖いことです。覚えていることより怖いです。 私は今も苦しんでいる人の苦しみがほしいです。悲しみがほしいです。一緒に苦しみたい。一緒に悲しみたい。そしていつか、心のそこから笑いあいたい。
今日もつらい思いを飲み込んで、がんばっぺしねと奮起して祈りを捧げた、みなさんのことを私は愛しています。この悲しみと愛だけが、絆なんだと信じて。